》を出した。あの、旦那様が、奥様に一寸《ちよつと》電話|口《ぐち》迄と取り次《つ》いだなり、黙つて梅子の返事を待つてゐる。梅子はすぐ立つた。代助も立つた。つゞいて客間《きやくま》を出やうとすると、梅子は振り向いた。
「あなたは、其所《そこ》に居《ゐ》らつしやい。少し話しがあるから」
代助には嫂《あによめ》のかう云ふ命令的の言葉が何時《いつ》でも面白く感ぜられる。御緩《ごゆつくり》と見送つた儘、又腰を掛けて、再び例の画を眺め出《だ》した。しばらくすると、其色が壁《かべ》の上に塗り付けてあるのでなくつて、自分の眼球《めだま》の中《なか》から飛び出して、壁《かべ》の上《うへ》へ行つて、べた/\喰《く》つ付《つ》く様に見えて来《き》た。仕舞には眼球《めだま》から色を出す具合一つで、向ふにある人物樹木が、此方《こちら》の思ひ通りに変化出来る様になつた。代助はかくして、下手《へた》な個所々々を悉く塗り更《か》へて、とう/\自分の想像し得《う》る限りの尤も美くしい色彩に包囲されて、恍惚と坐《すは》つてゐた。所へ梅子《うめこ》が帰つて来《き》たので、忽ち当り前の自分に戻つて仕舞つた。
梅子の用事と
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