に書《か》いて貰《もら》つたんである。爾来長井は何時《いつ》でも、之を自分の居間《ゐま》に掛けて朝夕眺めてゐる。代助は此額の由来を何遍|聞《き》かされたか知れない。
今から十五六年前に、旧藩主の家《いへ》で、月々《つき/″\》の支出が嵩《かさ》んできて、折角持ち直した経済が又|崩《くづ》れ出した時にも、長井は前年の手腕によつて、再度の整理を委託された。其時長井は自分で風呂の薪《まき》を焚いて見《み》て、実際の消費|高《だか》と帳面づらの消費|高《だか》との差違から調《しら》べにかゝつたが、終日終夜この事丈に精魂を打ち込んだ結果は、約一ヶ月内に立派な方法を立て得るに至つた。それより以後藩主の家では比較的豊かな生計《くらし》をしてゐる。
斯う云ふ過去の歴史を持つてゐて、此過去の歴史以外には、一歩も踏み出して考へる事を敢てしない長井は、何《なん》によらず、誠実と熱心へ持つて行きたがる。
「御前は、どう云ふものか、誠実と熱心が欠けてゐる様だ。それぢや不可ん。だから何にも出来ないんだ」
「誠実も熱心もあるんですが、たゞ人事上に応用出来ないんです」
「何《ど》う云ふ訳で」
代助は又返答に窮し
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