、見てゐる其間《そのあひだ》丈の嬉《うれ》しさに溺《おぼ》れ尽《つく》すのが自然の傾向であるかの如くに思はれた。前後を取り囲《かこ》む黒い雲が、今にも逼《せま》つて来はしまいかと云ふ心配は、陰《かげ》ではいざ知らず、代助の前《まへ》には影《かげ》さへ見せなかつた。三千代は元来神経質の女であつた。昨今の態度は、何《ど》うしても此女の手際ではないと思ふと、三千代の周囲の事情が、まだ夫程険悪に近づかない証拠になるよりも、自分の責任が一層重くなつたのだと解釈せざるを得なかつた。
「すこし又話したい事があるから来《き》て下《くだ》さい」と前よりは稍真面目に云つて代助は三千代と別れた。

       十六の二

 中二日《なかふつか》置《お》いて三千代が来《く》る迄、代助の頭《あたま》は何等の新《あたら》しい路《みち》を開拓し得なかつた。彼《かれ》の頭《あたま》の中《なか》には職業の二字が大きな楷書《かいしよ》で焼き付《つ》けられてゐた。それを押《お》し退《の》けると、物質的供給の杜絶がしきりに踊り狂《くる》つた。それが影を隠《かく》すと、三千代の未来が凄《すさま》じく荒れた。彼《かれ》の頭《あ
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