しよ》した時の心掛《こゝろが》けでもつて、代助も遣《や》らなくつては、嘘《うそ》だといふ論理になる。尤も代助の方では、何《なに》が嘘《うそ》ですかと聞き返した事がない。だから決して喧嘩にはならない。代助は小供の頃非常な肝癪持で、十八九の時分|親爺《おやぢ》と組打をした事が一二返ある位だが、成長して学校を卒業して、しばらくすると、此肝癪がぱたりと已《や》んで仕舞つた。それから以後ついぞ怒《おこ》つた試《ため》しがない。親爺《おやぢ》はこれを自分の薫育の効果と信じてひそかに誇《ほこ》つてゐる。
実際を云ふと親爺《おやぢ》の所謂薫育は、此父子の間《あひだ》に纏綿する暖《あたゝ》かい情味を次第に冷却せしめた丈である。少なくとも代助はさう思つてゐる。所が親爺《おやぢ》の腹のなかでは、それが全く反対《あべこべ》に解釈されて仕舞つた。何《なに》をしやうと血肉《けつにく》の親子《おやこ》である。子が親《おや》に対する天賦の情|合《あひ》が、子を取扱ふ方法の如何に因つて変る筈《はづ》がない。教育の為《た》め、少しの無理はしやうとも、其結果は決して骨肉の恩愛に影響を及ぼすものではない。儒教の感化を受けた
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