ず離《はな》れずに、高木《たかぎ》と佐川の娘《むすめ》の評判をした。高木には十年程|前《まへ》に一遍|逢《あ》つた限《ぎり》であつたが、妙なもので、何処《どこ》かに見《み》覚があつて、此間《このあひだ》歌舞伎座で眼《め》に着《つ》いた時《とき》は、はてなと思つた。これに反して、佐川の娘《むすめ》の方は、つい先達《せんだつ》て、写真を手にした許《ばかり》であるのに、実物に接《せつ》しても、丸で聯想が浮《うか》ばなかつた。写真は奇体なもので、先づ人間を知つてゐて、その方から、写真の誰彼《だれかれ》を極《き》めるのは容易であるが、その逆《ぎやく》の、写真から人間《にんげん》を定める方は中々《なか/\》六づかしい。是《これ》を哲学にすると、死《し》から生《せい》を出《だ》すのは不可能だが、生《せい》から死《し》に移るのは自然の順序であると云ふ真理に帰着する。
「私《わたし》は左様《さう》考へた」と代助が云つた。兄《あに》は成程と答へたが別段感心した様子もなかつた。葉巻《はまき》の短《みぢ》かくなつて、口髭《くちひげ》に火《ひ》が付きさうなのを無暗に啣《くわ》へ易《か》えて、
「それで、必ずしも
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