技倆に敬服してゐる。
誠吾が待合へ這入つたり、料理茶屋へ上《あが》つたり、晩餐に出《で》たり、午餐に呼ばれたり、倶楽部に行つたり、新橋に人を送つたり、横浜に人を迎へたり、大磯へ御機嫌伺ひに行つたり、朝から晩迄多勢の集まる所へ顔を出《だ》して、得意にも見えなければ、失意にも思はれない様子は、斯《か》う云ふ生活に慣《な》れ抜《ぬ》いて、海月《くらげ》が海《うみ》に漂《たゞよ》ひながら、塩水《しほみづ》を辛《から》く感じ得ない様なものだらうと代助は考へてゐる。
其所《そこ》が代助には難有い。と云ふのは、誠吾は父《ちゝ》と異《ちが》つて、嘗て小六※[#小書き濁点付き平仮名つ、77−6]かしい説法抔を代助に向つて遣《や》つた事がない。主義だとか、主張だとか、人生観だとか云ふ窮窟なものは、てんで、これつ許《ぱかり》も口《くち》にしないんだから、有《ある》んだか、無《な》いんだか、殆んど要領を得ない。其代り、此窮窟な主義だとか、主張だとか、人生観だとかいふものを積極的《せききよくてき》に打《う》ち壊《こは》して懸《かゝ》つた試《ためし》もない。実に平凡で好《い》い。
だが面白くはない。話し相手としては、兄《あに》よりも嫂《あによめ》の方が、代助に取つて遥かに興味がある。兄《あに》に逢ふと屹度|何《ど》うだいと云ふ。以太利に地震があつたぢやないかと云ふ。土耳古の天子が廃されたぢやないかと云ふ。其外、向ふ島の花はもう駄目になつた、横浜にある外国船の船底《ふなぞこ》に大蛇《だいぢや》が飼《か》つてあつた、誰《だれ》が鉄道で轢《ひ》かれた、ぢやないかと云ふ。みんな新聞に出た事|許《ばかり》である。其代り、当らず障らずの材料はいくらでも持つて居る。いつ迄|経《た》つても種《たね》が尽きる様子が見えない。
さうかと思ふと。時にトルストイと云ふ人は、もう死んだのかね抔と妙な事を聞く事がある。今《いま》日本《にほん》の小説家では誰《だれ》が一番|偉《えら》いのかねと聞く事もある。要するに文芸には丸で無頓着で且つ驚ろくべく無識であるが、尊敬と軽蔑以上に立つて平気で聞くんだから、代助も返事がし易《やす》い。
斯《か》う云ふ兄《あに》と差し向《むか》ひで話をしてゐると、刺激の乏しい代りには、灰汁《あく》がなくつて、気楽で好《い》い。たゞ朝から晩迄|出歩《である》いてゐるから滅多に捕《つら》ま
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