賛成なんですか」
「賛成ですとも。因念つきぢやありませんか」
「先祖の拵らえた因念よりも、まだ自分の拵えた因念で貰ふ方が貰《もら》ひ好《い》い様だな」
「おや、左様《そん》なのがあるの」
代助は苦笑して答へなかつた。
四の一
代助は今読み切《き》つた許《ばかり》の薄《うす》い洋書を机の上に開《あ》けた儘、両|肱《ひぢ》を突《つ》いて茫乎《ぼんやり》考へた。代助の頭《あたま》は最後の幕《まく》で一杯になつてゐる。――遠くの向ふに寒《さむ》さうな樹が立つてゐる後《うしろ》に、二つの小さな角燈が音《おと》もなく揺《ゆら》めいて見えた。絞首台は其所《そこ》にある。刑人は暗《くら》い所に立つた。木履《くつ》を片足《かたあし》失《な》くなした、寒《さむ》いと一人《ひとり》が云ふと、何《なに》を? と一人《ひとり》が聞き直《なほ》した。木履《くつ》を失《な》くなして寒いと前《まへ》のものが同じ事を繰り返した。Mは何処《どこ》にゐると誰《だれ》か聞いた。此所《こゝ》にゐると誰《だれ》か答へた。樹《き》の間《あひだ》に大きな、白い様な、平たいものが見える。湿《しめ》つぽい風《かぜ》が其所《そこ》から吹いて来《く》る。海だとGが云つた。しばらくすると、宣告文を書《か》いた紙《かみ》と、宣告文を持つた、白い手――手套《てぶくろ》を穿《は》めない――を角燈が照《て》らした。読上《よみあ》げんでも可《よ》からうといふ声がした。其の声は顫へてゐた。やがて角燈が消えた。……もう只《たつた》一人《ひとり》になつたとKが云つた。さうして溜息《ためいき》を吐《つ》いた。Sも死んで仕舞つた。Wも死んで仕舞つた。Mも死んで仕舞つた。只《たつた》一人《ひとり》になつて仕舞つた。……
海から日《ひ》が上《あが》つた。彼等は死骸を一つの車に積み込んだ。さうして引き出した。長くなつた頸《くび》、飛び出《だ》した眼《め》、唇《くちびる》の上《うへ》に咲いた、怖ろしい花の様な血の泡《あは》に濡《ぬ》れた舌《した》を積み込んで元《もと》の路へ引き返した。……
代助はアンドレーフの「七刑人」の最後の模様を、此所《こゝ》迄|頭《あたま》の中《なか》で繰り返して見て、竦《ぞつ》と肩《かた》を縮《すく》めた。斯《か》う云ふ時に、彼《かれ》が尤も痛切に感《かん》ずるのは、万一自分がこんな場に臨《のぞ》ん
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