だら、どうしたら宜からうといふ心配である。考へると到底死ねさうもない。と云つて、無理にも殺されるんだから、如何《いか》にも残酷である。彼は生《せい》の慾望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練《みれん》に両方に往つたり来《き》たりする苦悶を心に描《ゑが》き出しながら凝《じつ》と坐《すは》つてゐると、脊中《せなか》一面《いちめん》の皮《かは》が毛穴《けあな》ごとにむづ/\して殆《ほと》んど堪《たま》らなくなる。
 彼《かれ》の父《ちゝ》は十七のとき、家中《かちう》の一人《ひとり》を斬り殺して、それが為《た》め切腹をする覚悟をしたと自分で常に人に語《かた》つてゐる。父《ちゝ》の考では兄《あに》の介錯を自分がして、自分の介錯を祖父《ぢゞ》に頼む筈であつたさうだが、能くそんな真似が出来るものである。父《ちゝ》が過去を語《かた》る度《たび》に、代助は父《ちゝ》をえらいと思ふより、不愉快な人間《にんげん》だと思ふ。さうでなければ嘘吐《うそつき》だと思ふ。嘘吐《うそつき》の方がまだ余っ程|父《ちゝ》らしい気がする。
 父許《ちゝばかり》ではない。祖父《ぢゞ》に就ても、こんな話がある。祖父《ぢゞ》が若い時分、撃剣の同門の何とかといふ男が、あまり技芸に達してゐた所から、他《ひと》の嫉妬《ねたみ》を受けて、ある夜縄手|道《みち》を城下へ帰る途中で、誰《だれ》かに斬り殺された。其時第一に馳け付《つ》けたものは祖父《ぢゞ》であつた。左の手に提灯を翳《かざ》して、右の手に抜身《ぬきみ》を持つて、其|抜身《ぬきみ》で死骸《しがい》を叩きながら、軍平《ぐんぺい》確《しつ》かりしろ、創《きづ》は浅《あさ》いぞと云つたさうである。
 伯父《おぢ》が京都で殺された時は、頭巾を着た人間にどや/\と、旅宿《やどや》に踏み込まれて、伯父は二階の廂《ひさし》から飛び下《お》りる途端、庭石に爪付《つまづ》いて倒れる所を上《うへ》から、容赦なく遣《や》られた為に、顔が膾《なます》の様になつたさうである。殺される十日|程《ほど》前、夜中《やちう》、合羽《かつぱ》を着《き》て、傘《かさ》に雪を除《よ》けながら、足駄《あしだ》がけで、四条から三条へ帰つた事がある。其時|旅宿《やど》の二丁程手前で、突然《とつぜん》後《うしろ》から長井|直記《なほき》どのと呼び懸けられた。伯父《おぢ》は振り向きもせず、矢張り傘《かさ》を
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