させる為《ため》に、舶来の台詞《せりふ》を用ひる意志は毫もなかつた。少《すく》なくとも二人《ふたり》の間《あひだ》では、尋常の言葉で充分用が足りたのである。が、其所《そこ》に、甲の位地から、知らぬ間《ま》に乙の位置に滑《すべ》り込む危険が潜《ひそ》んでゐた。代助は辛《から》うじて、今一歩《いまいつぽ》と云ふ際《きは》どい所で、踏み留《とゞ》まつた。帰る時、三千代《みちよ》は玄関迄送つて来《き》て、
「淋《さむ》しくつて不可《いけ》ないから、又|来《き》て頂戴」と云つた。下女はまだ裏《うら》で張物《はりもの》をしてゐた。
表《おもて》へ出《で》た代助は、ふら/\と一丁程|歩《ある》いた。好《い》い所《ところ》で切《き》り上《あ》げたといふ意識があるべき筈であるのに、彼《かれ》の心《こゝろ》にはさう云ふ満足が些《ちつ》とも無《な》かつた。と云つて、もつと三千代と対座してゐて、自然の命《めい》ずるが儘《まゝ》に、話し尽して帰れば可《よ》かつたといふ後|悔《くわい》もなかつた。彼《かれ》は、彼所《あすこ》で切り上《あ》げても、五分十分の後切り上げても、必竟は同じ事であつたと思ひ出した。自分と三千代との現在の関係は、此前《このまへ》逢つた時、既に発展してゐたのだと思ひ出した。否、其前逢つた時既に、と思ひ出《だ》した。代助は二人《ふたり》の過去を順次に溯《さかの》ぼつて見て、いづれの断面《だんめん》にも、二人《ふたり》の間に燃《もえ》る愛の炎《ほのほ》を見出さない事はなかつた。必竟は、三千代が平岡に嫁《とつ》ぐ前、既《すで》に自分に嫁《とつ》いでゐたのも同じ事だと考へ詰めた時、彼は堪えがたき重《おも》いものを、胸《むね》の中《なか》に投《な》げ込《こ》まれた。彼《かれ》は其《その》重量の為《ため》に、足《あし》がふらついた。家《いへ》に帰つた時、門野《かどの》が、
「大変|顔《かほ》の色《いろ》が悪《わる》い様ですね、何《ど》うかなさいましたか」と聞いた。代助は風呂場へ行《い》つて、蒼《あを》い額《ひたひ》から奇麗に汗《あせ》を拭《ふ》き取つた。さうして、長く延《の》び過《す》ぎた髪を冷水に浸《ひた》した。
それから二日《ふつか》程代助は全く外出しなかつた。三日目の午後、電車に乗《の》つて、平岡を新聞社に尋ねた。彼は平岡に逢つて、三千代の為《ため》に充分|話《はなし》をする
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