潜《ひそ》んでゐた。
 芝居の仕舞になつたのは十一時|近《ちか》くであつた。外《そと》へ出《で》て見ると、風は全く歇《や》んだが、月《つき》も星《ほし》も見《み》えない静《しづ》かな晩を、電燈が少し許り照らしてゐた。時間が遅《おそ》いので茶屋では話《はなし》をする暇《ひま》もなかつた。三人の迎《むかひ》は来《き》てゐたが、代助はつい車《くるま》を誂《あつら》へて置くのを忘れた。面倒だと思つて、嫂《あによめ》の勧《すゝめ》を斥《しりぞ》けて、茶屋の前から電車に乗つた。数寄屋《すきや》橋で乗《の》り易《か》え様と思つて、黒《くろ》い路《みち》の中《なか》に、待ち合《あ》はしてゐると、小供を負《おぶ》つた神《かみ》さんが、退儀《たいぎ》さうに向《むかふ》から近|寄《よ》つて来《き》た。電車は向《むか》ふ側《がは》を二三度|通《とほ》つた。代助と軌道《レール》の間《あひだ》には、土《つち》か石《いし》の積《つ》んだものが、高《たか》い土手の様に挟《はさ》まつてゐた。代助は始《はじ》めて間違《まちが》つた所に立《た》つてゐる事を悟つた。
「御神さん、電車へ乗るなら、此所《こゝ》ぢや不可《いけ》ない。向側《むかふがは》だ」と教へながら歩《ある》き出《だ》した。神さんは礼を云つて跟《つ》いて来《き》た。代助は手探《てさぐり》でもする様に、暗《くら》い所を好加減《いゝかげん》に歩《ある》いた。十四五|間《けん》左《ひだり》の方へ濠際《ほりぎは》を目標《めあて》に出《で》たら、漸く停留所《ていりうじよ》の柱が見付《みつか》つた。神さんは其所《そこ》で、神田橋の方へ向《む》いて乗つた。代助はたつた一人《ひとり》反対の赤坂|行《ゆき》へ這入つた。
 車《くるま》の中《なか》では、眠《ねむ》くて寐《ね》られない様な気がした。揺《ゆ》られながらも今夜の睡眠が苦になつた。彼《かれ》は大いに疲労して、白昼《はくちう》の凡てに、惰気《だき》を催うすにも拘はらず、知られざる何物《なにもの》かの興奮の為《ため》に、静かな夜《よ》を恣《ほしいまゝ》にする事が出来ない事がよくあつた。彼《かれ》の脳裏《のうり》には、今日《けふ》の日中《につちう》に、交《かは》る/″\痕《あと》を残した色彩が、時《とき》の前後と形《かたち》の差別を忘れて、一度に散《ち》らついてゐた。さうして、それが何《なに》の色彩であるか、
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