》の頭《あたま》を振《ふ》つてみて、二つのものを混《ま》ぜやうと力《つと》めたものである。彼《かれ》は今《いま》枕《まくら》の上《うへ》へ髪《かみ》を着《つ》けたなり、右《みぎ》の手を固《かた》めて、耳《みゝ》の上《うへ》を二三度|敲《たゝ》いた。
 代助は斯《か》ゝる脳髄《のうずい》の異状を以て、かつて酒《さけ》の咎《とが》に帰した事はなかつた。彼は小供の時《とき》から酒《さけ》に量を得た男であつた。いくら飲《の》んでも、左程平常を離れなかつた。のみならず、一度《いちど》熟睡さへすれば、あとは身体《からだ》に何の故障も認める事が出来《でき》なかつた。嘗《かつ》て何かのはづみに、兄《あに》と競《せ》り飲《の》みをやつて、三合入《さんごういり》の徳利を十三本倒した事がある。其|翌日《あくるひ》代助は平気な顔をして学校へ出《で》た。兄《あに》は二日《ふつか》も頭《あたま》が痛《いた》いと云つて苦《にが》り切《き》つてゐた。さうして、これを年齢《とし》の違《ちがひ》だと云つた。
 昨夕《ゆふべ》飲んだ麦酒《ビール》は是《これ》に比《くら》べると愚《おろか》なものだと、代助は頭《あたま》を敲《たゝ》きながら考へた。幸《さいはひ》に、代助はいくら頭《あたま》が二重《にぢう》になつても、脳の活動に狂《くるひ》を受けた事がなかつた。時としては、たゞ頭《あたま》を使《つか》ふのが臆劫になつた。けれども努力さへすれば、充分複雑な仕事に堪えるといふ自信があつた。だから、斯《こ》んな異状を感じても、脳の組織の変化から、精神に悪《わる》い影響を与へるものとしては、悲観する余地がなかつた。始めて、こんな感覚があつた時は驚ろいた。二遍目は寧ろ新奇な経験として喜《よろこ》んだ。この頃《ごろ》は、此経験が、多くの場合に、精神気力の低落《ていらく》に伴《ともな》ふ様になつた。内容の充実しない行為を敢てして、生活する時の徴候になつた。代助にはそこが不愉快だつた。
 床《とこ》の上《うへ》に起《お》き上《あ》がつて、彼は又|頭《あたま》を振《ふ》つた。朝食《あさめし》の時、門野《かどの》は今朝《けさ》の新聞に出てゐた蛇《へび》と鷲《わし》の戦《たゝかひ》の事を話《はな》し掛けたが、代助は応じなかつた。門野は又|始《はじ》まつたなと思つて、茶の間《ま》を出《で》た。勝手の方で、
「小母《をば》さん、さう働
前へ 次へ
全245ページ中130ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング