のは斯《か》う云ふ時であつた。彼は今迄何遍も此大問題を捕《とら》へて、彼《かれ》の眼前《がんぜん》に据ゑ付けて見た。其|動機《どうき》は、単《たん》に哲学上の好奇心から来《き》た事《こと》もあるし、又|世間《せけん》の現象が、余《あま》りに複雑《ふくざつ》な色彩《しきさい》を以て、彼《かれ》の頭《あたま》を染め付《つ》けやうと焦《あせ》るから来《く》る事もあるし、又最後には今日《こんにち》の如くアンニユイの結果として来《く》る事もあるが、其|都度《つど》彼は同じ結論に到着した。然し其結論は、此問題の解決ではなくつて、寧ろ其否定と異ならなかつた。彼の考によると、人間はある目的を以て、生れたものではなかつた。之《これ》と反対に、生《うま》れた人間《にんげん》に、始めてある目的が出来《でき》て来《く》るのであつた。最初から客観的にある目的を拵《こし》らえて、それを人間《にんげん》に附着するのは、其|人間《にんげん》の自由な活動を、既に生れる時に奪つたと同じ事になる。だから人間《にんげん》の目的は、生れた本人が、本人自身に作つたものでなければならない。けれども、如何な本人でも、之を随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経過が、既にこれを天下に向つて発表したと同様だからである。
 此根本義から出立した代助は、自己本来の活動を、自己本来の目的としてゐた。歩《ある》きたいから歩《ある》く。すると歩《ある》くのが目的になる。考へたいから考へる。すると考へるのが目的になる。それ以外の目的を以て、歩《ある》いたり、考《かんが》へたりするのは、歩行と思考の堕落になる如く、自己の活動以外に一種の目的を立てゝ、活動するのは活動の堕落になる。従つて自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自《みづか》ら自己存在の目的を破壊したも同然である。
 だから、代助は今日迄、自分の脳裏に願望《ぐわんもう》、嗜欲《きよく》が起るたび毎《ごと》に、是等の願望《ぐわんもう》嗜欲《きよく》を遂行するのを自己の目的として存在してゐた。二個の相容れざる願望《ぐわんもう》嗜欲《きよく》が胸に闘ふ場合も同じ事であつた。たゞ矛盾から出《で》る一目的の消耗と解釈してゐた。これを煎《せん》じ詰《つ》めると、彼は普通に所謂無目的な行為を目的として活動してゐたのである。さうして、他を偽《いつは》らざる
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