である。
「貴方《あなた》だつて、鼻《はな》を着《つ》けて嗅《か》いで入らしつたぢやありませんか」と云つた。代助はそんな事があつた様にも思つて、仕方なしに苦笑した。
十の六
そのうち雨《あめ》は益《ます/\》深《ふか》くなつた。家《いへ》を包《つゝ》んで遠い音《おと》が聴《きこ》えた。門野《かどの》が出《で》て来《き》て、少《すこ》し寒《さむ》い様ですな、硝子戸《がらすど》を閉《し》めませうかと聞《き》いた。硝子戸《がらすど》を引《ひ》く間《あひだ》、二人《ふたり》は顔《かほ》を揃《そろ》えて庭《には》の方を見《み》てゐた。青《あを》い木《き》の葉《は》が悉《ことごと》く濡《ぬ》れて、静《しづ》かな湿《しめ》り気《け》が、硝子越《がらすごし》に代助の頭《あたま》に吹《ふ》き込《こ》んで来《き》た。世《よ》の中《なか》の浮《う》いてゐるものは残らず大地《だいち》の上《うへ》に落ち付《つ》いた様に見えた。代助は久《ひさ》し振《ぶ》りで吾《われ》に返《かへ》つた心持がした。
「好《い》い雨《あめ》ですね」と云つた。
「些《ちつ》とも好《よ》かないわ、私《わたし》、草履《ざうり》を穿《は》いて来《き》たんですもの」
三千代は寧ろ恨《うら》めしさうに樋から洩《も》る雨点《あまだれ》を眺《なが》めた。
「帰《かへ》りには車《くるま》を云ひ付《つ》けて上《あ》げるから可《い》いでせう。緩《ゆつく》りなさい」
三千代はあまり緩《ゆつく》り出来《でき》さうな様子も見えなかつた。まともに、代助の方を見て、
「貴方《あなた》も相変らず呑気《のんき》な事を仰《おつ》しやるのね」と窘《たしな》めた。けれども其|眼元《めもと》には笑《わらひ》の影《かげ》が泛《うか》んでゐた。
今迄三千代の陰《かげ》に隠《かく》れてぼんやりしてゐた平岡の顔《かほ》が、此時|明《あき》らかに代助の心《こゝろ》の瞳《ひとみ》に映《うつ》つた。代助は急に薄暗《うすくら》がりから物《もの》に襲はれた様な気がした。三千代は矢張り、離《はな》れ難《がた》い黒い影《かげ》を引き摺《ず》つて歩《ある》いてゐる女であつた。
「平岡君は何《ど》うしました」とわざと何気《なにげ》なく聞《き》いた。すると三千代の口元《くちもと》が心持《こゝろもち》締《しま》つて見えた。
「相変らずですわ」
「まだ何《なん》に
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