錆《さび》た鉄《てつ》の様に、頗《すこぶ》る異《あや》しい色《いろ》をしてゐた。其《その》一本は殆んど枯《か》れ掛《か》かつて、上《うへ》の方には丸裸《まるはだか》の骨許《ほねばかり》残つた所に、夕方《ゆふがた》になると烏が沢山集まつて鳴いてゐた。隣には若《わか》い画家《ゑかき》が住《す》んでゐた。車《くるま》もあまり通らない細い横町で、至極閑静な住居《すまゐ》であつた。
 代助は其所《そこ》へ能《よ》く遊びに行《い》つた。始めて三千代《みちよ》に逢《あ》つた時、三千代はたゞ御辞儀をした丈で引込んで仕舞つた。代助は上野の森を評して帰つて来《き》た。二返行つても、三返行つても、三千代はたゞ御茶を持《も》つて出《で》る丈であつた。其|癖《くせ》狭い家《うち》だから、隣《となり》の室《へや》にゐるより外はなかつた。代助は菅沼と話《はな》しながら、隣《となり》の室《へや》に三千代がゐて、自分の話を聴いてゐるといふ自覚を去る訳に行《ゆ》かなかつた。
 三千代《みちよ》と口《くち》を利《き》き出《だ》したのは、どんな機会《はづみ》であつたか、今では代助の記憶に残つてゐない。残つて居《ゐ》ない程、瑣末な尋常の出来事から起つたのだらう。詩や小説に厭《あ》いた代助には、それが却つて面白かつた。けれども一旦|口《くち》を利《き》き出《だ》してからは、矢っ張り詩や小説と同じ様に、二人《ふたり》はすぐ心安《こゝろやす》くなつて仕舞つた。
 平岡も、代助の様に、よく菅沼《すがぬま》の家《うち》へ遊《あそ》びに来《き》た。あるときは二人《ふたり》連《つ》れ立《だ》つて、来《き》た事もある。さうして、代助と前後して、三千代《みちよ》と懇意になつた。三千代は兄と此|二人《ふたり》に食付《くつつ》いて、時々池の端《はた》抔を散歩した事がある。
 四人《よつたり》は此関係で約二年《やくにねん》足らず過《す》ごした。すると菅沼《すがぬま》の卒業する年《とし》の春《はる》、菅沼《すがぬま》の母《はゝ》と云ふのが、田舎《いなか》から遊《あそ》びに出《で》て来《き》て、しばらく清水《しみづ》町に泊《とま》つてゐた。此|母《はゝ》は年に一二度づつは上京して、子供の家に五六日|寐起《ねおき》する例になつてゐたんだが、其時は帰る前日《ぜんじつ》から熱《ねつ》が出《で》だして、全く動《うご》けなくなつた。それが一週間
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