。代助は其奴《そいつ》に体《からだ》をごし/\遣《や》られる度《たび》に、どうしても、埃及人《エジプトじん》に遣《や》られてゐる様な気がした。いくら思ひ返しても日本人とは思へなかつた。
まだ不思議な事がある。此間、ある書物を読んだら、ウエーバーと云ふ生理学者は自分の心臓《しんぞう》の鼓動を、増したり、減《へら》したり、随意に変化さしたと書いてあつたので、平生から鼓動を試験する癖《くせ》のある代助は、ためしに遣《や》つて見たくなつて、一日《いちじつ》に二三回位|怖々《こわ/″\》ながら試《ため》してゐるうちに、何《ど》うやら、ウエーバーと同じ様になりさうなので、急に驚ろいて已めにした。
湯のなかに、静《しづ》かに浸《つか》つてゐた代助は、何の気なしに右の手を左の胸の上《うへ》へ持つて行つたが、どん/\と云ふ命《いのち》の音《おと》を二三度聞くや否や、忽ちウエーバーを思ひ出《だ》して、すぐ流《なが》しへ下《お》りた。さうして、其所《そこ》に胡坐《あぐら》をかいた儘、茫然と、自分の足《あし》を見詰めてゐた。すると其|足《あし》が変になり始めた。どうも自分の胴から生《は》えてゐるんでなくて、自分とは全く無関係のものが、其所《そこ》に無作法に横《よこた》はつてゐる様に思はれて来《き》た。さうなると、今迄は気が付《つ》かなかつたが、実《じつ》に見るに堪えない程醜くいものである。毛が不揃《むら》に延《の》びて、青《あを》い筋《すぢ》が所々《ところ/″\》に蔓《はびこ》つて、如何にも不思議な動物である。
代助は又|湯《ゆ》に這入つて、平岡の云つた通り、全たく暇《ひま》があり過《す》ぎるので、こんな事迄考へるのかと思つた。湯から出《で》て、鏡に自分の姿を写《うつ》した時、又平岡の言葉を思ひ出《だ》した。幅の厚《あつ》い西洋|髪剃《かみそり》で、顎《あご》と頬を剃《そ》る段《だん》になつて、其|鋭《する》どい刃《は》が、鏡《かゞみ》の裏《うら》で閃《ひらめ》く色が、一種むづ痒《がゆ》い様な気持を起《おこ》さした。是《これ》が烈敷《はげしく》なると、高い塔の上から、遥かの下《した》を見下《みおろ》すのと同じになるのだと意識しながら、漸く剃り終《おは》つた。
茶の間《ま》を抜《ぬ》け様とする拍子に、
「何《ど》うも先生は旨《うま》いよ」と門野《かどの》が婆《ばあ》さんに話《はな》し
前へ
次へ
全245ページ中71ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング