を抱いて雪も消えた庭に(銀汀に)
・砂丘が砂丘に咲いてゐる草の名は知らない
・とかく言葉が通じにくい旅路になつた
・くもりおもたい空が海が憂欝(日本海)
・みんなかへる家はあるゆうべのゆきき
・なんにもない海へ煙ぼうぼうとして(日本海)
・砂山青白く誰もゐない
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五月廿七日[#「五月廿七日」に二重傍線] 雨。
まだ明けきらない床の中で話しする、北光君はまじめでそしてあたゝかい人だ。
よしきりが啼きつゞける、お前はまつたくおしやべりだね、裏店のおかみさんのやうに。
よかつた、ほんたうによかつた、万座で雨にふりこめられると、いらない心配をしなければならなかつたであらう。
朝酒、寄せ書、悪筆。
昼酒、雑談、そしてまた乱筆。
夕方から長野銀座を散歩する、雨が降るのに御苦労々々々、郵便局はよかつた、湯屋もよかつた、蕎麦はむろんうまかつた、帰途、すべつてころんだ、そして一句拾つた!
夜は句会、五人で親しく句会、といふよりも座談会、そこには俳人的といふよりも人間的なあたゝかさがあつた、一時近くなつて散会した。
降る、降る、ほんたうに根気よく降りつゞける雨かな。
五月廿八日[#「五月廿八日」に二重傍線]
曇、もう霽れてもよいだらう、どうやら霽れさうだ、白馬連峰が遠く白くかゞやいてゐる。
午前中はおとなしく執筆。
酒はやつぱりうまい、朝酒、昼酒、晩酒よろしい、今日は今日の風がふくまゝに、明日は明日の風がふくだらう、/\といつた気分で、さよなら/\、ありがたう/\、はい/\。
午后は北光君に連れられて紅葉城君を訪ねる、一杯機嫌で揮毫。
三人同道して長野見物――
まづ西光寺(刈萱親子地蔵尊)へ詣でる、父寂照坊母千里御前、そのまんなかに道念坊の墓がある、それから美篶《ミスズ》橋上に立つ、白根山四阿山のすがたもよろしい。
向うは川中島、そこは千曲川と犀川とが合流するところで有名な古戦場、前は杏の里と呼ばれる部落、朝日山の阿弥陀堂はその右手に見える、さらに裾花川に架してある相生橋のほとりへ行く、とても巨大な柳がある、すこし溯ると白岩といはれる戸隠名勝裾花渓最初の観光場所がある、今日は雪解で水が濁り、桜は散つて河鹿はまだ鳴かない。
街をまつすぐにいよ/\善光寺である(途中郵便局でKからの手紙を受取つた、すまない/\ありがたい/\)。
長野の善光寺か、善光寺の長野かといはれるほどであつて、善光寺はまことにうれしい寺院である、お開帳がすんだばかりで、まだその名残がある、八百屋お七物語の吉三郎建立と伝へる濡仏がある、大勧進大本願の建物は、両者の勢力争を示さないでもない、山門も本堂もがつちりとして荘麗といふ外はない(何と鳩、いや燕の多いことよ)、それにしても参道の両側の土産物店の並んでゐること、そしてその品々の月並なこと。
帰途紅葉城君の御馳走でやぶ[#「やぶ」に傍点]といふ蕎麦中心の料理屋へ寄つた、座敷も庭園も蕎麦も料理も悪くなかつた、私にはよすぎるよさだつた、紅君とは別れて北君と二人で入浴して帰宅して安眠した。
五月廿九日[#「五月廿九日」に二重傍線] 曇。
逢ふは別れのはじめ、名残の酒杯をかはして、衣更して、いろ/\御世話になりました、どうぞ御大事に。……
長野駅はそれにふさはしい仏閣式建物[#「仏閣式建物」に傍点]である、こゝまで北光君と紅葉城君とが見送つて下さつた、そして切符やら煙草やら何やらかやら頂戴した、八時の汽車で柏原へ。――
車中で遠足の小学生が私に少年の夢を味はせてくれた、山のみどりのうつくしさ、まつたく日本晴の日本国だ、九時すぎてさびしい山駅柏原に着いた。
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□触処生涯[#「触処生涯」に傍点]、これが私の境地でなければならない。
□省みて恥づかしくはないか、私はあまりに我がまゝ気まゝではないか、ゼイタクではないか、プチブル的ではないか。……(五月廿九日所感)
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活花のお師匠さん――といつてもまだ若い――北光君は語る――
盛花からだん/\投入になつてゆくから面白いですよ。
○白樺は他の植物とは違つて、表皮を剥がれても痛痒を感じない――生育上支障を来さない――むしろそれを喜んでゐるやうに見えるといふ、営林署でも皮を剥ぐことそのことは構はないけれど、観賞上美観を妨げないやうに路傍の白樺だけは皮を剥がないやうにといつてゐるさうである(薪材として役立つより外なかつた白樺が趣味的に色々使用され初めたことはうれしいことの一つ)。
○その土地でその土地の人々にその土地の山の名とか河の名とかを訊ねて、知らない、知りませんと答へられると腹が立つ、これは学校の先生がよろしくない。
○銀汀君から聞いた米若[#「米若」に傍点]の話。
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彼は今浪界第一の人気者だが、若い時は信濃川分水工事の土方だつたさうな、あまり浪花節がうまく、彼がうたひだすと、みんな聞き惚れてしまつて仕事が手につかないので解雇されたといふことだ。
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○虹果君から聞いた話。
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北国ではよく飲む、冬ごもりは毎日毎夜飲むさうで、酒でも飲まなければやりきれないといふ、そんなわけで、一升[#「一升」に傍点]飲むとか二升[#「二升」に傍点]飲むとかいはないで、二日[#「二日」に傍点]飲めるとか三日[#「三日」に傍点]飲めるとかいつて酒量を日数であらはすさうな。
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海国から輸入された鯡が山国信濃化[#「信濃化」に傍点]されて鯡昆布巻[#「鯡昆布巻」に傍点]となつて特殊の味と値とを持つた。
五月三十一日[#「五月三十一日」に二重傍線] 雨。
夢のやうに雨を聞いたが、やつぱり降つてゐる、昨日こゝまで来てゐたことは(宿屋で断られて汽車に乗つたのだつたが)ほんたうによかつた、宿で降りこめられて旅費と時間とを浪費することは私のやうなものには堪へがたい。
早く眼は覚めたけれど家人の迷惑を考へて、床の中でぼんやりしてゐる。
二階の別室に閉ぢ籠つて身辺整理。
信濃川産の生鮭はおいしかつた、生れて初めて知つた鮭の味である。
若葉にふりそゝぐ雨の音はよい、隣は図書館、裏は武徳殿、あたりはしづかである。
虹果君来訪、おもしろい人である。
銀汀君と仕事の合間には話す、なつかしい人だ、よきパパであるらしい。
長岡散歩、入浴、一番風呂で気持がよかつた。
夕方から句会場――おとなりの仕出屋――へ出かける、会者五六人、遠慮なく話し合ひ腹一杯飲み食ひする、例によつて悪筆の乱筆を揮ふ、十二時近くなつて散会、酔ふて戻つてすぐ寝る、酒よりも水、水。
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(越後をうたふ)
・くもつてさむく旅のゆふべのあまりしづかな
・湯あがりの、つつじまつかに咲いて
・春がいそがしく狂人がわめく人だかり(北国所見)
・図書館はいつもひつそりと松の花
・若葉して銅像のすがたも(互尊文庫)
追加数句
・桑畑の若葉のむかうから白馬連峰
・煙突にちかづいて今日の太陽
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戸隠に小鳥の里[#「小鳥の里」に傍点]あり、うれしいではないか。
一茶翁遺蹟めぐり[#「一茶翁遺蹟めぐり」に二重傍線]。
六月一日[#「六月一日」に二重傍線] 晴。
四時にはほがらかに眼覚めた、私はたしかに不死身[#「不死身」に傍点]にちかいらしい、それは幸福でもあり不幸でもあるやうだ!
初夏の朝のすが/\しさよ、身も心ものび/\として、おのづからほゝゑましくなる。
街の鳩――飼主のない――が容姿には不似合な声で啼く。
午前中は互尊文庫で読書、探した本は見つからなかつたが。
昼飯は昨日も今日も蕎麦をいたゞいた、蕎麦はうまい、淡々として無限の味。
稲青君に案内されて悠久山へ。
夜は虹果居へ。
飲めるだけ飲んだが。……
六月二日[#「六月二日」に二重傍線] 曇、雨。
出立、銀汀、稲青の二君に長生橋まで送られて、さよなら、さよなら。
良寛和尚の遺蹟めぐり。
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良寛墓、良寛堂。
あらなみをまへになじんでゐた仏。
(国上山中)
青葉分け行く
良寛さまも行かしたろ
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出雲崎泊。
六月三日[#「六月三日」に二重傍線] 曇。
寺泊へ、それから国上山へ。
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水は滝となつて落ちる荒波
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弥彦神社。
バスで新潟へ。
六月四日[#「六月四日」に二重傍線] 五日[#「五日」に二重傍線] 六日[#「六日」に二重傍線] 七日[#「七日」に二重傍線]
新潟滞在。
砂無路居。
六月八日[#「六月八日」に二重傍線]
おわかれ。
村上東町の詢二居へ。
六月九日
詢二居飲会。
六月十日
瀬波温泉にて。
六月十一日 十二日
ぼう/\ばく/\。
六月十三日
鶴岡へ、秋兎死居。
六月十四日
秋君といつしよに湯田川温泉へ。
六月十五日
散歩。
六月十六日[#「六月十六日」に二重傍線]――廿二日[#「廿二日」に二重傍線]
酒、女、むちやくちやだつた。
秋君よ、驚いてはいけない、すまなかつた、かういふ人間として、許してくれたまへ。
湯田川温泉行。
六月廿三日 曇。
梅雨らしく降る。
私は遂に自己を失つた、さうらうとしてどこへ行く。――
抱壺君にだけは是非逢ひたい、幸にして澄太君の温情が仙台までの切符を買つてくれた、十時半の汽車に乗る。
青い山、青い野、私は慰まない、あゝこの憂欝、この苦脳[#「脳」に「マヽ」の注記]、――くづれゆく身心。
六時すぎて仙台着、抱壺君としんみり話す、予期したよりも元気がよいのがうれしい、どちらが果して病人か!
歩々生死、刻々去来。
あたゝかな家庭に落ちついて、病みながらも平安を楽しみつゝある抱壺君、生きてゐられるかぎり生きてゐたまへ。
六月廿四日[#「六月廿四日」に二重傍線] 快晴。
令弟に案内されて市内見物。
仙台はよい都会だ、品格のある都会である、市内で郭公が啼き、河鹿が鳴く。
広瀬川、青葉城。
東北学院に青城子を訪ねる、君は温厚な紳士である、寂しい人でもある(その事情は後で君の口から聞いた)。
午後青衣子君来訪、抱壺君父子と共に会飲、しめやかな酒であつた。
六月廿五日[#「六月廿五日」に二重傍線] 曇。
握飯と傘とを持つて、そして切符までも買つて貰つて、松島遊覧の電車に乗り込む。
塩釜神社参拝、境内神さびて、おのづから頭がさがる、多羅葉樹の姿、松島遊園、――あまりに遊園化してゐる、うるさいと思ふ。
瑞巌寺(雲居禅師の無相窟)。
五大堂、福浦島。
松島は雨の夜月の夜逍遙する景勝であらう。
三時の電車で石巻へ、露江居におちつく、お嬢さんが人なつこくてうれしい。
入浴、微酔、おなじ道をたどるもののありがたさ。
寝ること/\忘れること/\。
六月廿六日[#「六月廿六日」に二重傍線] 雨。
早い朝湯にはいつてから日和山の展望をたのしむ、美しい港風景である、芭蕉句碑もあつた。
十時出発、汽車で平泉へ、沿道の眺望はよかつた、旭山……一関。……
平泉。――
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毛越寺旧蹟、まことに滅びるものは美しい!
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中尊寺、金色堂。
あまりに現代色が光つてゐる!
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何だか不快を感じて、平泉を後に匆々汽車に乗つた。
九時仙台着、やうやく青衣子居を探しあてゝ厄介になる。
青衣子君の苦脳[#「脳」に「マヽ」の注記]と平静とは尊くも悲しい、省みて私は私を恥ぢた。
六月廿七日[#「六月廿七日」に二重傍線] 晴。
――妙な夢を見た。
青衣子が方々を案内して下さる、しづかな日だつた。
政岡の墓、伽羅樹一もと。
躑躅ヶ岡、枝垂桜の老木並木。
乳房の木、萩。
宮城野をよこぎる、蝶々。
Sさんから芳醇一壜頂戴。
夕方、K君わざ/\来訪。
熱い湯からあがつてうまい酒をよばれる。
主人心づくしの鯉の手料理!
手紙二つ書く、――澄太君へ、緑平老へ、――
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