ない。
湯があふれて川となつて流れてゆく、浪費の快感がないでもない。
山の水を縦横に引いて、山の水はつめたくてうまい。
湯の花、そして草津味噌[#「草津味噌」に傍点]。
○ロクロくる/\椀が出来る盆が出来る。……
昼もレコードがうたひ、三味線が鳴るのは、さすがに草津。
しかし草津シーズンはこれからだ、揉湯、時間湯の光景はめづらしくおもしろい、そしてかなしい。
草津よいとこかよくないとこか、乞食坊主の私には解らん、お湯の中に花が咲くかどうか、凡そ縁遠いものです。
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午后、宿のおかみさんに案内されて、しづかなきれいななぎの湯[#「なぎの湯」に傍点]といふのへゆく、なるほど不便なだけしづかで、紙ぎれや綿きれがちらばつてゐない、しかしこゝもやつぱり特有の男女混浴[#「男女混浴」に傍点]だ、男一人(私に)女五人(二人はダルマ、二人は田舎娘、一人は宿のおかみさんだ)、ぶく/\下から湧く、透き通つて底の石が見える。
皈途、一杯また一杯、酔つぱらつて、おしやべり、――それもよからうではありませんか!
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ぼろ/\
どろ/\
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五月廿三日 雨、霽れて曇。
滞在、昨夜の今朝で身心おだやかでない。
一切万事落々漠々。
私は何故時々泥酔するのか、泥酔しないではゐられないのか。――
私はほんたうにおちついてゐない[#「私はほんたうにおちついてゐない」に傍点]、いつも内面では動揺してゐる、――それもその源因ではあるが、私は自己忘却[#「自己忘却」に傍点]を敢てしなければ堪へられないのである、かなしいかな。
私はまだ自己脱却[#「自己脱却」に傍点]に達してゐないのである、泥酔は自己を忘れさせてはくれるが、自己を超越させてはくれない。
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生死を生死すれば生死なし。
煩悩を煩悩せずば煩悩なし。
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五月廿四日[#「五月廿四日」に二重傍線] 雨。
昨夜の風雨は高原らしい風雨であつた、雷鳴急雨、それは私の荒みつゝある身心を鞭つた。
今日も詮方なしに滞在する、私のやうなものでも、それは時間と旅費との浪費に過ぎなかつた。
よく降る、よく寝る、よく食べる、よく飲める、よく考へる。……
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(草津雑詠)
もめやうたへや湯けむり湯けむり
ふいてあふれて湯烟の青さ澄む
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揉湯――時間湯。
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五月廿五日[#「五月廿五日」に二重傍線] 行程四里(上り三里、下り一里)。
からりと晴れてまさに日本晴、身心あらたに出立する、万座温泉まで四里には近いのだが、七時半から三時までかゝつた、ずゐぶん難かしい山路だつた。
草津の街を出はづれると落葉松林、それから落葉松山、そして灌木と熊笹、頂上近くなれば硫黄粘土と岩石ばかり。
白根山は噴煙をふきあげてゐる、荒凉として人生の寂寥を感じた。
涙のない人生、茫漠たる自然。
五月廿五日(続)
まことにしづかな道だつた、かつこうもうぐひすもほうじろもよく啼いてくれたが、雪のあるところはすべるし、解けたところはぬかつてゐるし、はふたりころんだり、かなり苦しんだ。
残雪をたべたり、見渡したり、雪解の水音を聴いたり、ぢつと考へこんだり。
山、山、山、うつくしい山、好きな山、歩き慣れない雪の山路には弱つたが、江畔おくるところの杖で大いに助かつた、ありがたし/\。
草津から二里あまり登つて芳ヶ平、ヒユツテーがある、スキーの盛んなことだらうなどゝ思ひつゝ歩いた。
○白根山の頂上は何ともいへないさびしさだつた、噴烟、岩石(枯木、熊笹は頂上近くまであつたが)、残雪、太陽!
落葉松の老木は尊いすがたである。
やうやく一里あまり下ると、ぷんと谷底から湯の匂ひ、温泉宿らしい屋根が見える、着いたのは三時だつた、何と手間取つたことだらう、それだけ愉快だつた。
とりつきの宿――日進館といふ、私にはよすぎる宿に泊る、一泊二飯で一円。
すべてが古風であることはうれしい、コタツ、ランプ、樋から落ちる湯(膳部がいかにも貧弱なのはやつぱり佗しかつたが)、何よりも熱い湯の湧出量が豊富なのはうれしい。
○ぐん/\湧きあがる熱湯が湛へて溢れる湯けむりを見よ。
旅館は並んで二軒、離れて一軒、どれも相当大きい、たゞし今頃は閑散季で、ゆつくりとしづかである。
自炊式であることはよろしい、給仕してくれないのが私には気楽でよろしい。
さつそく洗濯をする、それから鬚を剃り爪を切る、さつぱりする、あかるくなる。
だん/\曇つてきた、とかく山国は雨になりがちだ、明日もまた降るかも解らない。
○山国と味噌汁[#「山国と味噌汁」に傍点]、朝も汁、晩も汁だ、汁はわるくないが、その味噌が臭くて酸つぱいと弱る。
ねむれないので夜ふけてまた入浴、誰もゐない薄暗い湯壺にずんぶりひたつて水音に心を澄ます、……内湯のありがたさ、山の湯のありがたさである、……よくねむれた。
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万座よいとこ、水があふれて湯があふれて。
昔風で、行き届かないやうな、気のきかないやうな昔ぶりがうれしい。
遠慮のない、見得を張らないで済む気安さ。
のんびりとくつろげる。
苦湯《ニガユ》へ下つて一浴びしなかつたことは惜しかつた、その豊富な素朴な孤独味を知らなかつた(長野で北光君に教へられて残念がつた)。
草津は金持と患者とが入湯するところだらう、万座はしづかに体を養ひ気を吐くところである、プロでもブルでも。
古来からの有名さと交通の便利さとが草津を享楽郷とし、また療養地とした、たしかに草津の湯は効く、浴してゐるといかにも効くやうに感じる。
万座は交通の不便で助かつてゐる、草鞋穿きで杖をつかなければ登つて行けないところに万座のよさの一つがある。
こん/\と湧いてなみ/\と湛へてそしてどし/\溢れる温泉のあたゝかさ。
この湯宿は案外田舎式であるが、そこによいところ好もしいところがある、ヘマなサービスぶりにもかへつて愛嬌がある。
朝の膳に川魚のカツレツが載せてある、ちようど草津の宿で、夕飯としてカレーライスをどつさり出されたやうなものだ、おかしくもあり、いやでもあり、珍妙々々。
私が温泉を好むのは、いはゆる湯治のためでもなく遊興のためでもない、あふれる熱い湯に浸つて、手足をのび/\と伸ばして、とうぜんたる気分になりたいからである。
豊富な熱湯、閑静な空気が何よりだ。
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――(山をうたふ)――
・春の鳥とんできてとんでいつた(白根越へ)
・ひとりで越える残雪をたべては
・山ふところ咲いてゐる花は白くて
・杖よどちらへゆかう芽ぶく山山
・墓が一つこゝでも誰か死んでゐる
・山路しめやかな馬糞をふむ
・残雪ひかる足あとをたどる
・山路たま/\ゆきあへばしたしい挨拶
・春の山のそここゝけむりいたゞきから吐く
・いたゞきの木はみんな枯れてゐる風
・残雪の誰かの足あとが道しるべ
――(山をうたふ)――
・山は火を噴くとゞろきの残雪に立つ
・すべつて杖もいつしよにころんで
・残雪をふんできてあふれる湯の中
・とつぷり暮れて音たてて水
万座温泉
・水音がねむらせないおもひでがそれからそれへ
・更けてもう/\とわきあがるもののしゞま
万座峠
・霧の底にて啼くは筒鳥
・山路なつかしくバツトのカラも
・ふきのとうも咲いてほほけて断崖
・ごろりと岩が道のまんなかに
・あんなところに家がある子供がゐる犬がほえる(追加)
内山へ
・霧雨しくしく濡れるもよろしく
・けふは街へ下る山は雨
・八重ざくらうつくしく南無観世音菩薩像
・かつこう啼いて霽れさうなみどりしづくする
・こんやの寝床はある若葉あかるい雨
・このみちがをなごやへ霽れさうもないぬかるみ
・こゝろおちつかない麦の穂のそよぐや
・つめたい雨が牡丹に、牡丹くづれる
・ころびやすうなつたからだがころんだままでしみ/″\
・明けるとかつこう家ちかくかつこう
・すぐそこでしたしや信濃路のかつこう
・崖から夢のよな石楠花で
・ゆふべ啼きしきる郭公を見た
・観てゐる山へ落ちかゝる陽を見る
・これが胡桃といふ花若葉くもる空
・ちよいちよい富士がのぞいてまつしろ
・つかれもなやみもあつい湯にずんぶり(追加)
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五月廿六日[#「五月廿六日」に二重傍線] 曇、后雨。
未明起きてすぐ湯にはいる、朝湯の快さは何ともいへない。
さすがに高原、肌寒い、霧雨が降つてゐる、もことしてあたりが暗い。
今朝はしゆくぜん身心の新たなるを覚えた、私はやうやくまた一転化の機縁が熟してきたことを感じる。
七時出発、長野へ向ふ、身も心も軽い、霧雨しつとり、濡れよとままだ。
万座川の水声、たちのぼる湯けむり、残雪のかゞやき、笹山うぐひすのうた、巨木のすがた、小草のそよぎ、――ゆつたり歩く。
万座峠(山田峠ともいふ県界)の頂上まで半里、それから山田温泉まで下り三里。
雪も残つてをり、破損したところもあるけれど、しづかなよい道、らくな道、好きな道であつた。
岩かゞみ草などがちらほら眼につく、莟はまだ堅い、いろ/\の小鳥がほがらかにさえづつてゐる、しづかな木立、きよらかな水音、くづれた炭焼小屋、ふきのとう、わらび、雑木の芽、落葉松の若葉はこまやかに、白樺の肌は白うかゞやく。
虎杖橋附近の眺望はよかつた、松川谿谷美の一景。
七味橋、それを渡つたところに湯宿一軒、七味温泉と呼んでゐる。
さらにまた五色温泉がある、こゝも宿屋一軒、めづらしいのは河原湯(野天風呂)である、だんだん里近くなる。
雑木山のうつくしさよ、青葉若葉の青さ、せぐりおちる谷水の白さ、山つゝじの赤さ。
道は広くてよいけれど、山崩れがあつて道普請が初まつてゐる。
ほどなく山田温泉に着いた、まさに十二時、薬師堂があつて吉野桜が美しい。
山田温泉場はこぢんまりとして、きれいに掃き清められてゐる、そこがかへつて物足らないやうにも感じられる。
高井橋といふ吊橋も立派なものである。
バスが通う[#「う」に「マヽ」の注記]、一路坦々としてすべるやうに須坂へ向ふ、道ばたに蒲公英が咲きみだれてうつくしい。
子安橋、樋沢橋、千曲川が遙かに光つて見える、郭公が啼きつゞける。
途中、酒屋に寄つて一杯また一杯。
須坂まで三里、さらに西風間まで三里、バスも電車も都合よくないので歩く。
晴れそうであつたが降つて来た、小雨だから濡れるままに濡れる。
妙高、黒姫、戸穏[#「穏」に「マヽ」の注記]の山々が好きな姿を見せたり消したりする。
千曲川を渡る、村上橋は堂々たるものである、もう長野は遠くない。
やうやく北光居をおとづれる、すぐ着換へさせて下さる、手織木綿らしいぎこちなさが却つて温情と質実とを与へる、やれ/\よかつた/\ありがたい/\。
(今日は強行で十里近く歩いたのである)
再び信州に入つて上野をふりかへると、そこに多少の感想がある――
上洲[#「洲」に「マヽ」の注記]から信州へはいつてくると明るくなつたやうだ(白根から万座峠を下つて)、概して道がよろしい、道標がしんせつに建てゝある、旅人はよろこぶのである。
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青く明るく信濃の国はなつかしきかな
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秋山部落の話(北光君から聞く)
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平家の残党――秋山美人――
(離れておくれてゐたのが現今では最も新らしい)
――東京へ女給として進出、モダンガール。
(信濃から越後へ)
・こゝから越後路のまんなかに犬が寝てゐる(関川にて)
・ゆれてゐるかげは何の若葉をふむ
・飲んで食べて寝そべれば蛙の合唱(迂生居即事)
・首だけある仏さまを春ふかき灯に( 〃 )
・ガラス戸へだてて月夜の花が白い( 〃 )
・めづらしく棕梠が咲いてゐて少年の夢(追憶)
・砂丘のをんなはをなごやのをんなで佐渡は見えない(日本海岸)
柏原にて
・ぐるりとまはつてきてこぼれ菜の花(土蔵)
・若葉かぶさる折からの蛙なく(墓所)
・孫のよな子
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