一処でもあるが)、幸にして持合があるので、ビールとビフテキとをおごつてあげた、彼のよろこび、彼のかなしみ、それは私にもよく解る、君よ幸福であれ。
五月十四日[#「五月十四日」に二重傍線] 曇――晴。
こゝから引返すことにして、松井田まで歩き、そこから汽車で御代田まで、また歩いて暮れ方、平原の甘利君の宅に落ちつくことが出来た。
手打蕎麦も酒もうまかつた、よく睡れた。
五月十五日[#「五月十五日」に二重傍線] 曇。
附近散歩、小川でふんどしを洗ふ。
甘酒を頂戴するなど。
炬燵に寝そべつて悠々休養。
椋鳥がしきりに啼く、初めて郭公を聞いた、旅情あらたなり。
夜おそくまで閑談。
親子四人の睦まじい家庭。
五月十六日[#「五月十六日」に二重傍線] 曇、夜は雨。
お早う、椋鳥君、おや鶯も来てゐる。
さようなら、ごきげんよう。
再び江畔居の厄介になる。
午后は岩子鉱泉行、そして平根の粋花居へ、よばれて酔うて夜になつて帰る。
比古君黙壺君からの来信ありがたし、ありがたし。
五月十七日[#「五月十七日」に二重傍線] 雨、曇、そして晴。
稔郎君、粋花君来訪。
終日閑談、悪筆を揮ふ、いつものやうに。――
甲州路。
信濃路。――
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・あるけばかつこういそげばかつこう
(無相庵)
・のんびり尿するそこら草の芽だらけ
・浅間をまへにおべんたうは青草の
・風かをるしの[#「しの」に「マヽ」の注記]の国の水のよろしさは
歩々生死、一歩一歩が生であり死である、生死を超越しなければならない。
転身一路、自己の自己となり、自然の自然でなければならない。
自然即自己[#「自然即自己」に傍点]、自己即自然[#「自己即自然」に傍点]。
自問自答
ゆうぜんとして生きてゆけるか
しようようとして死ねるか
どうぢや、どうぢや
山に聴け、水が語るだらう
[#ここで字下げ終わり]
生の執着があるやうに、死の誘惑もある。
生きたいといふ欲求に死にたいといふ希望が代ることもあらう。
五月十八日[#「五月十八日」に二重傍線] 日本晴。
今日も無相庵江畔居滞在。
朝から郭公がさかんに啼く。
江畔老といつしよに閼迦流山へ遊ぶ、尻からげ、地下足袋、帽子なしの杖ついて、弥次さん喜多さん、とてもほがらかである。
長野種馬所の青草に足を投げ出して休む、右は落葉松林、左は赤松林、前は青々と茂る草のむかうに残雪の八ヶ岳蓼科の連峰、よい眺望である。
初めて林檎の木と花とを見た。
信濃――北国山国はどこでもさうであるが――梅桜桃李一時開で、自然も人間も忙がしい。
此地方には山羊が多い、おとなしい家畜だが、あの鳴声はさびしい。
一里あまり歩いて、香坂明泉寺。
自然石のよい石碑が立つてゐる、曰く
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南朝忠臣香坂高宗
[#ここで字下げ終わり]
お山へ登る、老樹うつさうとして小鳥がしきりに囀づる。
頂上十二丁目、大正十二年八月摂政宮殿下御登臨之処といふ記念碑が建てられてある、眺望がよろしい、白馬連山が地平を白く劃つてゐる。
木蔭の若草に寝そべつて、握飯を食べる、一壜を携へて来ることは忘れてゐない、ほろ/\酔ふてうたゝ寝する、まことに大[#「大」に「マヽ」の注記]平楽である。
一杯の水も仏の涙かな――といふ風の閼迦流山くづしがむき出してある、放浪詩人三石勝五郎さんの作。
ぶら/\歩いて戻つたのは四時頃であつた。
電報が二通来てゐた、比古君から、澄太さんからである、どちらも有難い通知だつた。
こゝで私はまた我がまゝ気まゝな性癖を発揮して、汽車で小諸へ向つた、明後日また引返してくるつもりで。
私の滞在もずゐぶん長くなつた、桑が芽ぶいて伸びた。……
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今日の収穫
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・あるけばかつこういそげばかつこう
・落葉松は晴れ切つてかつこう
・若葉したたるながれで旅のふんどしを
・お山へのぼる花をむしつてはたべ
・岩に腰かけ樹にもたれ何をおもふや
・いただきの木のてつぺんで鳥はうたふ
・おべんたうをひらくどこから散つてくる花びら
・雲かげもない木の芽のしづか
・寝ころびたいスロープで寝ころぶ若草
・落葉松落葉まどろめばふるさとの夢
・落葉松落葉墓が二つ三つ
懐古園三句
・浅間は千曲はゆうべはそゞろ寒い風
・ゆふ風さわがしくわたしも旅人
・その石垣の草の青さも(牧水をおもふ)
・浅間をむかうに深い水を汲みあげる
・ぞんぶんに水のんで去る藤の花
・風かをる信濃の国の水のよろしさ
・虱がとりつくせない旅から旅
・浅間へ脚を投げだして虱をとる
・まんなかに池がある昼の蛙なく(岩村田遊廓)
・浅間したしいあしたでゆふべで
(此の二句父草居にて)
・ゆつくりいくにち桑が芽ぶいて若葉した
江畔老に
・けさはおわかれの、あるだけのお酒をいたゞく
・草萌ゆる道が分れる角で別れる
・逢へば別れるよしきりのおしやべり
・さえづりかはして知らない鳥が知らない木に
・水はあふれるままにあふれてうららか
[#ここで字下げ終わり]
○自戒一則――
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貪る勿れ、疑ふ勿れ、欺く勿れ、佞る勿れ、いつもおだやかにつゝましくあれ。
[#ここで字下げ終わり]
五月十八日[#「五月十八日」に二重傍線](続)
岩村田から小諸まで二里半、汽車の窓から眺める風景は千曲谿谷的なものがある、乙女[#「乙女」に傍点]といふ駅名も珍らしかつた(九州に妻[#「妻」に傍点]といふ地名もあるが)。
小諸へ着いたのは夕暮、さつそく宿を探して、簡易御泊処鎌田屋といふのを見つけた、老婆が孫を相手に営業をつゞけてゐるといふ、前金で六拾銭渡す、茶菓子、座蒲団、褞袍を出してくれる、有難い、夜具も割合に清潔だつた。
暮れきらないうちに、懐古園(小諸城阯[#「阯」に「マヽ」の注記])を逍遙する、樹木が多くて懐かしいが、風が吹いて肌寒かつた。
藤村詩碑は立派なものである、藤村自身書いた千曲川旅情の歌が金属板にしてある、その傍の松の木が枯れかけてゐるのは寂しかつた、……雲白く遊子かなしむ……旅情あらたに切なるを感じた。
二之丸阯に藤村庵[#「藤村庵」に傍点]がある、古梁庵主宮坂さんが管理してゐる、小諸文化春秋会といふ標札も出してある(藤村氏自身は藤村庵を深草亭[#「深草亭」に傍点]と名づけた)。
二之丸阯の石垣の一つに牧水の歌が刻んである――
[#ここから2字下げ]
かたはらに秋くさの花かたるらく
ほろびしものはなつかしきかな
[#ここで字下げ終わり]
見晴台からの眺望はよろしい、千曲川のよいところがよく眺められる。
噴き出してゐる水もよかつた。
夜は一杯ひつかけて街を散歩する、小諸銀座といふてもお客は通らない、小川の水音が聞えるだけだ。
なか/\寒い、風が旅愁をそゝる。
また一杯ひつかけて、おばあさんのいはゆる娑婆ふさぎのからだを寝床に横たへた。……
五月十九日[#「五月十九日」に二重傍線] 曇、風、雨。
さすがに浅間の麓町だけあつて、風が強くて雨が冷たい。
やつぱり酒だ、酒より外に私を慰安してくれるものはない(句作と友情とは別物として)、朝から居酒屋情調を味つた。
風雨の中を中棚鉱泉宿に落ちつく、安くして貰つて一泊二飯一円。
あまり待遇はよくないけれど、幾度でも熱い湯にはいれるのがうれしい。
終日ごろ/″\して暮らした、終夜ぐうぐう寝た。
五月二十日[#「五月二十日」に二重傍線] 晴。
八時出立、戻橋を渡つて、千曲川に沿うて、川辺村を歩く。
初めて松蝉を聞いた、初夏気分だ。
谿谷のながめがよろしい、浅間山のすがたも悪くない(浅間山の形容は小諸からはよくない、岩村田からがよい)。
途中人蔘栽培の畠がちらほら見える、人蔘は日光を忌み雨を嫌ひ、一度育つた土では十余年も育てることが出来ないさうな、贅沢な植物ではある。
八ツヶ岳にはまだ雪が光つてゐる。
八幡まで二里、左折して千曲川を渡る、中津といふ田舎町があつた。
○また風が吹きだした、彼がどんなに孤独な旅人を悩ますかは、彼でなくては解るまい。
二里近くで岩村田町、相生の松とよばれる中仙道徃還の名木があつた、赤松黒松の雌雄両木が絡み合ひ結びついてゐる。
書き忘れたが、途中、中佐都といふ部落に蕉翁句碑があつた。
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刈かけし田面の鶴や里の秋
[#ここで字下げ終わり]
岩村田町に着いた時はもう三時、もりそばを味はひ銘酒を味つた。
信濃は一茶がうたつてるやうに、蕎麦の名物を誇つてゐるが、とりわけ、戸隠蕎麦(いはゆる更科蕎麦)浅間蕎麦(浅間山麓一帯の田舎蕎麦)がうまいさうである、私も幸にして浅間蕎麦は再三御馳走になつたことである。
また/\父子草居[#「父子草居」に傍点]――これは私の命名――の食客となつた。
夜は最後の一夜といふので、みんないつしよにしみ/″\と語つた、一期一会の人生ではあるが、縁あらばまた逢へるであらう。
うつくしい夕焼が旅情を切にしたことも書き落してはならない。
物みな可かれと祈る。
五月廿一日[#「五月廿一日」に二重傍線] 快晴。
いよ/\出立だ、朝早くから郭公がしきりに啼く。
八時、岩村田の街はづれまで江畔老が見送つて下さる、ありがたう。
さよなら、さよなら、ほんたうに関口一家は親切な温和な方々ばかりであつた、羨ましい家庭であつた。
御代田駅まで歩く、一里半、沓掛まで汽車、それから歩けるだけ歩いた。
長倉山の頂上、見晴台の見晴らしはすばらしかつた、山また山である、浅間は近く明るく、白馬は遠く白く眺めて来たが、こゝでは高い山低い山、鋭い山丸い山が層々として重なつてゐる、軽井沢の一望も近代的風光たるを失はない。
別荘散在、赤いのや青いのや、日本風なのや西洋流なのや。
かつこう、うぐひす、からまつ、みづおと、そしてほとゝぎすがをり/\啼く、千ヶ滝の水もおいしかつた。
行人稀で、時々自働車。
峯の茶屋で昼飯、こゝを中心にして自働車専用道路がある、私設の有料である。
こゝからすぐ国界県界、道は何だか荒涼たる六里ヶ原を横ぎる。
浅間村牧場、北軽井沢駅。
白樺が多い、歯朶の芽が興を引く、所有建札が眼に障る。
養狐場が所々にある、銀狐を生育さすのである、狐の食料は人間よりも贅沢で月二十円位はかゝるさうな、そして一ヶ年の後には毒殺されて毛皮は数百金に売れるといふ、資金を要する商売であるが、なか/\儲かるさうな。
吾妻《アガツマ》駅から電車で草津へ、五里七十四銭は高いやうであるが、登り登るのだから成程と思ふ、駅で巡査さん駅長さんと雑談する、共に好人物だつた。
殺風景な山や家がつゞいてゐたが、嬬恋《ツマゴヒ》三原あたりの眺めはよかつた。
浅間高原の空気を満喫した。
高く来て肌寒い。
六時頃やつと草津着、やうやく富山館といふ宿をたづねあてた、泊銭七十銭、湯銭十二銭。
同宿は病遍路、おとなしい老人、草津といふところは何となくうるさい、街も湯もきたならしい、よいとこでもなささうだ、お湯の中にはどんな花が咲くか解つたものぢやない!
熱い湯にはいつて二三杯ひつかけて、ライスカレーを食べて(これが宿の夕食だ、変な宿だ)ぐつすり寝た。
夢は何?…………
五月廿二日[#「五月廿二日」に二重傍線] 晴、曇る。
朝湯はほんたうによろしいな、朝は共同湯もきれいだつた。
宿の主人は石工、こつこつこつこつ、でもおちついてしづかだ。
病遍路さんは腎臓脚気でよろ/\して軽井沢――の方へ出て行つた。……
今日一日は休養することにして、ノンキにそこらを歩く。
湯ノ沢といふ場所へ行つた、そこは業病人がうよ/\してゐる、すまないけれど、嫌な気持になつて、すぐ引き返した、かういふ場所でかういふ人々に心から接触してゐる宣教師諸君には頭がさがる、ほんたうに。
白根神社参拝、古風で、派手でないのがうれしい。
草津気分――湯町情調。
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何だかうるさいと思つたが、一日二日滞在してゐるうちに何となく好きになるから妙、しかし何となくきた
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