二重傍線]
お天気がまたくづれて雨が降つてゐる、一室にこもつて書くことをする。
ほろゑひ人生でなければならない、私のやうなゑつぱらひ生活ではいけない。
微笑の一生[#「微笑の一生」に傍点]でありたい。
四月廿五日[#「四月廿五日」に二重傍線](続)
雨、そして風だ、昨日、無理にもこゝまで来てよかつたと思ふ。
停電、わびしく寝る。
四月廿六日[#「四月廿六日」に二重傍線] 晴。
早く起きて、梅軒・桃月・路耕の三君と共に六時の汽車で東京へ、今日は層雲記念大会である。
一天雲なし、ほがらかな日である。
九時着、孤独な散歩者、乞食坊主、築地本願寺参拝。
一時、会場伊吹へ(物貰ひと思はれて玄関番に断られたりして)。
愉快な大会であつた、なか/\の盛会でもあつた、知つた人知らない人、いろ/\の人に逢つた、誰もが打ち解けて嬉しさうだつた。
句会から宴会、十時すぎて、私は一人街へ出た、酔ふた元気で、銀座のカフヱーに飛び込んだりしたが、けつきよく、こんな服装では浅草あたりの安宿に転げ込むより外なかつた。
今日は旅愁をしみ/″\感じたことである。……
四月廿七日[#「四月廿七日」に二重傍線] 廿八日[#「廿八日」に二重傍線] 曇――雨。
法衣も網代笠も投げ捨てゝ、浅草で遊んだ、遊べるだけ遊んだ。
浅草は好きだ、愉快な遊楽場である、私のやうな人間にはとりわけて。
四月廿九日[#「四月廿九日」に二重傍線] 雨。
今日も浅草彷徨。
四月三十日[#「四月三十日」に二重傍線] 曇。
おなじく。
労れて憂欝になる、金もなくなつたのだが。
五月一日[#「五月一日」に二重傍線] 曇。
東京を横断した、もちろん歩いて。
社に戻つて泊る。
五月二日[#「五月二日」に二重傍線] 曇。
いよ/\東京をあとに、新宿から電車で八王子へ。
多摩少年院に三洞君を訪ねる。
夜は三洞居で丘の会句会。
今日、久しぶりに豊次君に会つて話した、あの頃の事はいつもなつかしい、それにしてもお互に変つたものである。
武蔵野は好きだ、丘、流、草、ことに栃の若葉と春の竜胆とはよかつた。
ゆつくり寝せて貰つた。
[#ここから2字下げ]
・どこかに月あかりの木の芽匂ふなり
・旅もなぐさまないこゝろ持ちあるく
[#ここで字下げ終わり]
五月三日[#「五月三日」に二重傍線]
丘の家はしづかである、あたゝかである。
黙太居を訪ねる、昼飯をよばれる。
君は詩人である。
院庭で中井さんが、黙太三洞そして私をカメラにおさめて下さつた。
広次君を宿に訪ねて、さらに話しつゞけた。
憂欝たへがたくなつた、アルコールでごまかすより外なかつた、私は卑怯者だ、ぐうたらだ!
[#ここから2字下げ]
・旅のすがたをカメラに初夏の雲も
[#ここで字下げ終わり]
五月四日[#「五月四日」に二重傍線] 日本晴。
甲州路をたどる。――
三洞君がしんせつにも浅川まで送つて下さつた、君の温情まことにありがたし、私はその温情に甘えたやうだ。
汽車で小仏峠を越える、雑木山のうつくしさよ。
山また山、富士がひよつこり白いあたまをのぞける、山はけはしく谿はふかく雑木若葉はかゞやく。
与瀬から上野原まで歩いて、清水屋といふ安宿に泊る、一泊二飯で五十銭は安かつた。
[#ここから2字下げ]
(追憶)
・何かさみしく死んでしまへととぶとんぼ
[#ここで字下げ終わり]
五月五日[#「五月五日」に二重傍線] 晴。
至るところ鯉幟吹流しがへんぽんとして青空でおどつてゐる。
やつと自分といふものをとりかへして私らしくなつたやうである。
五月の甲州街道はまことによろしい。
桂川峡では河鹿が鳴いてゐた。
山にも野にもいろ/\の花が咲いてゐる。
猿橋。
[#ここから2字下げ]
・若葉かゞやく今日は猿橋を渡る
[#ここで字下げ終わり]
こんな句が出来るのも旅の一興だ。
甲府まで汽車、笹子峠は長かつた、大菩薩峠の名に心をひかれた。
甲斐絹水晶の産地、葡萄郷、安宿は雑然騒然、私のやうな旅人は何となくものかなしくなる、酒を呷つて甲府銀座をさまよふ。
老を痛切に感じる、ともかくも今日までは死なゝいでゐるけれど!(生きてゐたのではない)
desperate character !
[#ここから2字下げ]
・しつとり濡れて草もわたしもてふてふも
[#ここで字下げ終わり]
五月六日[#「五月六日」に二重傍線] 曇。
何も彼も暗い、天も地も人も。
[#ここから3字下げ]
(自嘲)
どうにもならない生きものが夜の底に
(追加)
旅はいつしか春めく泡盛をあほる
[#ここで字下げ終わり]
五月七日[#「五月七日」に二重傍線] とう/\雨となつた。
緑平老から旅費を送つて貰ふ。
ありがたしかたじけなし。
孤独な散歩者として。――
五月八日[#「五月八日」に二重傍線] 曇。
心機一転、これから私は私らしい旅人として出立しなければならない。
我儘は私の性だから、それはそれとしてよろしいけれど、ブルジヨア的であつてはならない、執着しない我儘でなければならない。
[#ここから2字下げ]
・風は五月のさわやかな死にざま
・ひよいと月が出てゐた富士のむかうから
(甲州から信州へ)
・日の照れば雪山のいよいよ白し
・尿するそこら草の芽だらけ
・こんなに蕎麦がうまい浅間のふもとにゐる
江畔老に鼻頭橋まで見送られて
橋までいつしよに、それからまた一人旅
・浅間をまへにまいにち畑打つてふてふ
・落花ちりこむ壁土のねばりやう
・浅間はつきりとぶてふてふ
・芽ぶいて落葉松落葉は寝ころぶによく
・新道が旧道に草萌ゆる
・袂草のいつとなくたまつてゐる捨てる
碓氷山中雑詠
・木の芽あかるい家があつて誰もゐない
・道がわからなくなり啼く鳥歩く鳥
・遠くなり近くなる水音の一人
・山のふかさはみな芽ぶく
・誰にも逢はない呼子鳥啼く
・はるかにあかるく山ざくら花ざかり
・山ふかうしてなんとするどく
・足もとあやうく咲いてゐる一りん
・春日さんらんとして白樺の肌
・ふと河鹿なくたゝずみて聴く
(追加)
・古びた鯉幟も、屋根には石をおき
・はてしなき旅空の爆音を仰ぐ
・まともに見えてくる妙義でこぼこ
( 〃 )
・行き暮れてほの白くからたちの花
・けふは今日の太陽をいたゞいて行く
・一人となれば分け入る山のかつこう
・うそ寒う夕焼けて山羊がないて
稔郎居
・ゆうべいそがしい音は打つてくださる蕎麦で
江畔老と共に岩子鉱泉に
・はなしがとだえると蛙げろげろ
自省
・衣かへて心いれかへて旅もあらためて
・親馬仔馬みんな戻つてくるあたゝかし
・桑畑芽ぶく中の奉安殿
・浅間朝からあざやかな雲雀の唄です
(追加一句)追分
・こゝで休むとする道の分れるところ
・芽ぶく林の白樺の白く
[#ここで字下げ終わり]
「わびしさも」
五月八日[#「五月八日」に二重傍線](続)
高原、山国らしく、かるさん姿のよろしさ。
たうとう行き暮れてしまつた、泊めてくれるところがない、ままよ今までの贅沢を償ふ意味でも野宿しよう、といふ覚悟で、とぼ/\峠を登つて行くと、ルンペン君に出逢つた、彼も宿がなくて困つてゐるといふ、よく見ると、伊豆で同宿したことのある顔だ、それではいつしよに泊らうといふので、峠の中腹で百姓家――そこには三軒しかない家の一軒――に無理矢理に頼んで泊めて貰つた。
二人の有金持物を合して米一升金五十銭、それだけ全部をあげる。
旅烏はのんきであるがみじめでもある。
そしてこの家の乱雑はどうだ、きたない子供、無智なおかみさん、みじめな食物、自分の生活がもつたいない、恥づかしいとつく/″\思つたことである。
夜ふけて雨、どうやら雪もまじつてゐるらしい、何しろ八ヶ岳の麓だから。
いつまでも睡れなかつた。
五月九日 日本晴。
明けきらないうちに起きた、朝日が寒さうな光を投げてゐる、霜柱がかたい。
見よ、雪をいたゞいた山なみのうつくしさ。
早々出立、話しながらゆつくり歩く。
落葉松、筒鳥、清流、あゝその水のうまさ。
石ころ道をだいぶ歩いて清里駅、こゝらの駅は日本で最高地に在る停車場、熊が汽車見物に出て来たといふ話。
やがて信濃路に入る、野辺山風景は気に入つた、第二の軽井沢になるといはれている、いちめんの落葉松林だ。
妙な因縁で、帰りタクシーに乗せて貰ふ、有難かつた、ルンペン君は驚いてゐる。
海ノ口からまた歩いて海尻、そしてやうやく小海駅、こゝでルンペン君に別れる、汽車は千曲川に沿うて下りやがて岩村田町、江畔老の無相庵に客となる、家内中で待つてゐて下さつた、涙ぐましくもうれしかつた。
おゝ浅間! 初めて観るが懐かしい姿。
江畔老の家庭はまた何といふなごやかさであらう、父草君が是非々々といつて按摩して下さる、恐れ入りました。
五月十日[#「五月十日」に二重傍線]
夜来の雨は霽れて、空の色が身にしみる、雪の浅間の噴烟ものどかだ。
炎の会句会、粋花、如風、等々の同人に紹介される。
山国の春は何もかもいつしよにやつて来て、とても忙しい、人も自然も。
手打蕎麦――いはゆる信州蕎麦の浅間蕎麦――その味は何ともいへない、一茶がおらがそば[#「おらがそば」に傍点]と自慢したゞけはある。
[#ここから3字下げ]
逢つて何よりお蕎麦のうまさは
[#ここで字下げ終わり]
鼻頭稲荷の境内で記念撮影。
江畔老から牧水の事をいろ/\聞く。
うれしくあたゝかくやすらけく寝たり起きたり、我がまゝをさせていたゞく。
五月十一日[#「五月十一日」に二重傍線] 晴。
朝の散歩。
軽井沢方面へ行[#「行」に「マヽ」の注記]かける。――
浅間をまへに落葉松林に寝ころんで高い空を観てゐると、しみ/″\旅、春、人の心、俳句、友の情、……を感じる、木の芽、もろ/\の花、水音、小鳥の歌、……何もかもみんなありがたい。
信濃追分、いかにも廃駅らしい(北国街道と中仙道との別れ路)。
浅間大神里宮
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芭蕉句碑――
婦支飛寿石者浅間能野分可哉
[#ここで字下げ終わり]
天然製氷所が散在してゐる。
やうやく沓掛に着く、別荘地らしい風景である。
軽井沢駅前の噴水の味は忘れない。
駅前の旅館に泊る、一泊二食で一円、私には良すぎるが仕方がない。
一人一室一燈はうれしい、一杯ひつかけて、ぐつすりと寝た。
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水音をさぐる
[#ここで字下げ終わり]
五月十二日[#「五月十二日」に二重傍線] 晴。
高原の朝のすが/\しさ、しづけさ。
旧道碓氷越――
[#ここから1字下げ]
遊園道路を登る、吊橋、雑木若葉。
ふと右に浅間があらはれる、小鳥合唱。
見晴台、妙義の奇怪なる山容。
峠町、熊野神社、上信国境。
こゝまで半里、遊覧徃復客。
[#ここで字下げ終わり]
道を踏み違へて(道標が朽ちてゐたので、右へ下るべきを左へ霧積温泉道を辿つたのである)、山中彷徨、殆んど一日。
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山ざくら、山くずれ、落葉ふかく。
すべつてころんで、谷川の水を飲む。
[#ここで字下げ終わり]
やつと湯の沢といふところへ下つて、杣人と道連れになつて、坂本の宿場に急いだ。
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芭蕉句碑(一つぬいで――)。
[#ここで字下げ終わり]
横川の牛馬宿に泊る、座蒲団も出してくれ茶菓子も出してくれて七十銭。
客は私一人、熱い風呂を浴びて爐辺に胡坐をかいて、やれ/\助かつた!
五月十三日[#「五月十三日」に二重傍線] 晴――曇。
早朝出立。
碓氷関所阯[#「阯」に「マヽ」の注記]、妙義の裏、霧積川の河鹿、松井田町(折からのラヂオは赤城の子守唄だつた)、きんぽうげ、桐の花、安中原市、そこの杉並木はすばらしかつた。
途中で巡査に訊門[#「門」に「マヽ」の注記]されたりなどして、癪だから理髪する。……
高崎市の安宿に寄ると、ふしぎや、また例のルンペン君に出会つた、人生万事如是々々、そして人生はまた一期一会だ(但会
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