これは悲しい手紙だ、私の全心全身をぶちまけた手紙だ(或は遺書といつてもよからう!)、懺悔告白だ。
良寛遺墨を鑑賞する、羨ましい、そして達しがたい境地の芸術である。
多々楼君、都影君、江畔老、緑平老、……感謝々々。

 六月廿九日[#「六月廿九日」に二重傍線] 曇。

沈静、いよ/\帰ることにする、どこへ。
とにかく小郡まで、そこにはさびしいけれどやすらかな寝床がある。……
七時、さよなら、ありがたう、ごきげんよう、青衣子よ、坊ちやんよ。
十時の汽車で逆戻り、二時、鳴子下車、多賀の湯といふ湯宿に泊る、質実なのが何よりうれしい。
いつでもどこでも、帰家穏座の心でありたい。
どしや降りになつて旅愁しきり。

 六月三十日[#「六月三十日」に二重傍線] 雨――曇。

眼さめるとすぐ熱い熱い湯の中へ、それから酒、酒、そして女、女だつた。
普通の湯治客には何でもないほどの酒と女とが私を痛ましいものにする。

 七月一日[#「七月一日」に二重傍線] 晴。

身心頽廃。
四時出立、酒田泊。
アルコールがなければ生きてゐられないのだ、むりにアルコールなしになれば狂ひさうになるのだ。……

 七月二日 曇。

天地暗く私も暗い。
十時の汽車で南へ南へ。――
雨、風、時化日和となつた。
夜一時福井着、駅で夜の明けるのを待つ。
明けてから歩いて、永平寺へ、途中引返して市中彷徨。

 七月三日[#「七月三日」に二重傍線] 曇。

ぼつり/\歩いてまた永平寺へ、労れて歩けなくなつて、途中野宿する、何ともいへない孤独の哀感だつた。

 七月四日[#「七月四日」に二重傍線] 晴。

どうやら梅雨空も霽れるらしく、私も何となく開けてきた。
野宿のつかれ、無一文のはかなさ。……
二里は田圃道、二里は山道、やうやくにして永平寺門前に着いた。
事情を話して参籠――といつてもあたりまへの宿泊――させていたゞく。
永平寺も俗化してゐるけれど、他の本山に比べるとまだ/\よい方である。
山がよろしい、水がよろしい、伽藍がよろしい、僧侶の起居がよろしい。
しづかで、おごそかで、ありがたい。
久しぶりに安眠。

 七月五日[#「七月五日」に二重傍線] 永平寺にて。

早朝、勤行随喜。
終日独坐、無言、反省、自責。
酒も煙草もない、アルコールがなければ、ニコチンがなければ、などゝいふも我儘だ。
山ほとゝぎす、水音はたえない。
長い日であり長い夜であつたが、うれしい日であれ[#「れ」に「マヽ」の注記]、うれしい夜でもあつた。

 七月六日[#「七月六日」に二重傍線] 曇。

おつとめがすんで、障子をあけはなつと、夜明けの山のみどりがながれこむこゝろよさは何ともいへない。
道即事[#「道即事」に傍点]、事即道[#「事即道」に傍点]。
行住座臥の事々物々を外にして、どこに人生があるか、道があるか。
生活とは念々撓まざる行[#「念々撓まざる行」に傍点]である。
貪らざるなり、偽らざるなり、驕らざるなり。
すなほにしてつゝましく、しづかにしてあたゝかく。
愛するなり、敬ふなり、奉るなり。
雨を観、雨を聴く、心浄うして体閑かなり。
五十五才にして五十五年の非を知る、噫、生々死々去々来々転々また転々。
隠すことなく飾ることなく、媚びることなく。
きどらずに、ごまかさずに、こだはらずに。
無理のない生活、拘泥しない生活、滞らない生活、悔恨のない生活[#「悔恨のない生活」に傍点]。
おのづから流れて、いつも流れてとゞまらない生き方、水のやうな、雲のやうな、風のやうな生き方。
自他清浄、一切清浄。
だらけきつた身心がひきしまつて、本来の自分にたちかへつたやうな気分になつた。
古徃今来、幾多の人間が私とおなじ過失を繰り返し、おなじ苦悩憂悶にもがき、そしておなじ最後のもの[#「最後のもの」に傍点]に向つて急いだであらうか。
一切我今皆懺悔。
(後日、私の懺悔はホンモノでなかつたことを、さらにまた懺悔しなければならない私であつた)夕の勧[#「勧」に「マヽ」の注記]行随喜。
独慎、自分で自分を欺くな。
洗へ、洗へ、洗ひ落せ、…………垢、よごれ、乞食根性、卑屈、恥知らず、すがりごゝろ、…………洗ひ落せ。
夜が更けて沈んでも睡れなかつた。

 七月七日[#「七月七日」に二重傍線] 曇。

莫妄想。
暁の鐘の声が――それは音でなくて、声である――が身心に沁みとほる。
永平本山では、ヱレベーターは出来ても、また、水流し式の便所が出来ても、行持は綿々密々でなければならない、それが曹洞禅の本領である。
黙々として、粛々として、一切が調節された幸福[#「調節された幸福」に傍点]でなければならない。
野菜料理の味。
独り遊ぶ[#「独り遊ぶ」に傍点]、――三日間、私はアルコールなしに、ニコチンなしに、無言行をつゞけた。
これで、私の一生はよかれあしかれ、とにかく終つた、と思ふ。
満心の恥、通身の汗。
流れるまゝに流れよう[#「流れるまゝに流れよう」に傍点]、あせらずに、いういうとして。

 七月八日[#「七月八日」に二重傍線] 雨。

朝課諷経に随喜する。
新山頭火となれ。
身心を正しく持して生きよ。
午後、裸足で歩いて、福井まで出かけた、留置郵便物を受取る、砂夢路君の友情によつて、泊ることが出来た、そして、久しぶりに飲んだ、そしてまた乱れた。……

 七月九日[#「七月九日」に二重傍線]

とぼ/\と永平寺へ戻つて来た。
少しばかりの志納をあげて、南無承陽大師、破戒無慚の私は下山した。
夜行で大阪へ向ふ。

 七月十日 降る降る。

比古さんのお世話になる、何の因縁あつて、私はかうまで比古さんの庇護をうけるのか。
性格破産[#「性格破産」に傍点]か、自我分裂[#「自我分裂」に傍点]か。

 七月十二日[#「七月十二日」に二重傍線] 十三日[#「十三日」に二重傍線]

滞在。

 七月十四日[#「七月十四日」に二重傍線]

夕方、安治川口から大長丸に乗つて、ほつとした。
大阪よ、さよなら、比古さん、ありがたう。

 七月十五日[#「七月十五日」に二重傍線] 晴。

朝の海がだいぶ私をのんびりさせた、朝月のこゝろよさ。
二時、竹原着、螻子居の客となる。
螻子君夫妻の温情は全心全身にしみこんだ。
私はいつも思ふ――
私は何といふ下らない人間だらう、そして友といふ友はみんな何といふありがたい人々だらう。

 七月十六日[#「七月十六日」に二重傍線] 晴。

滞在。
朝の散歩のこゝろよさ。
ごろ寝して読みちらす、まさに安楽国である。
朝酒、昼酒、そしてまた晩酒、けつかう、けつかう。
打水、そこから涼しい風、煽風器の殺風景な風はたゞ風といふだけ。

 七月十七日[#「七月十七日」に二重傍線] 快晴。

ひとりぶら/\的場海岸へ、そこで今年最初の海水浴、ノンキだね。
夾竹桃の花は南国的、泰山木の花は男性的。
身辺整理、やうやくにして落ちつく。

 七月十八日[#「七月十八日」に二重傍線] 晴。

散歩、鳩、雀、月草。……
しばらくにして。……
午前一時発動汽[#「汽」に「マヽ」の注記]船で生野島へ渡る、Kさん、奥さん、お嬢さん、お嬢さんも久しく[#「く」に「マヽ」の注記]に、五人、風もよろしく人もよろしく。
無坪さんは芸術家だ。
夕潮に泳ぐ、私だけ残つて。
星月夜、やつぱりさびしいな。

 七月十九日[#「七月十九日」に二重傍線] 晴。

未明散歩。
山鳩、水声、人語。

鶴岡――仙台。

[#ここから3字下げ]
  秋兎死君に
これがおわかれのガザの花か
秋兎死うたうてガザ咲いておくのほそみち
あふたりわかれたりさみだるる
はてしなくさみだるる空がみちのく
  平泉
ここまで来しを水飲んで去る
水音とほくちかくおのれをあゆます
水底の雲もみちのくの空のさみだれ
こゝろむなしくあらうみのよせてはかへす
あてもない旅の袂草こんなにたまり
みんなかへる家はあるゆふべのゆきき
さみだるる旅もをはりの足を洗ふ
梅雨空の荒海の憂欝
その手の下にいのちさみしい虫として
  永平寺
てふてふひらひらいらかをこえた
水音のたえずして御仏とあり
山のしづかさへしづかなる雨
法堂あけはなつあけはなたれてゐる
何もかも夢のよな合歓の花さいて
わかれて砂丘の足あとをふむ
島が島に天の川たかく船が船に
ゆう凪の蟹もそれ/″\穴を持つ
今日の足音いちはやく橋をわたりくる
  竹原 生野島
萩とすすきとあを/\として十分
すずしく風は萩の若葉をそよがせてそして
そよかぜの草の葉からてふてふうまれて出た
  無坪兄に
手が顔が遠ざかる白い点となつて
旅もをはりのこゝの涼しい籐椅子
死にそこなうて山は青くて
  螻子君に
朝風すずしくおもふことなくかぼちやの花
朝の海のゆう/\として出船の船
ヱンヂンは正しくまはりつゝ、朝
ほんにはだかはすずしいひとり
[#ここで字下げ終わり]

 七月十九日[#「七月十九日」に二重傍線](続)

老鶯しきりに啼く、島の平和。
島もうるさいね、人間のゐるところ、そこは葛藤のあるところ。
昼寝の夢はどんなであつたらう!
[#ここから2字下げ]
水音の
こゝろのふるさと
波がしろくくだけては
けふも暮れゆく
[#ここで字下げ終わり]
待てば海路のよか船があつた、紫丸に乗せてもらうて竹原へもどることが出来た。
夕凪の内海はほんにうつくしい。
一期一会、いつも、いつも一期の会。
夜は螻子居の家庭をうらやみつゝ寝てしまつた。

 七月廿日[#「七月廿日」に二重傍線] 晴。

いよ/\皈ります、随縁去来[#「随縁去来」に傍点]だ。
煩悩、煩悩、煩悩即菩提、菩提もなくなれ。
[#ここから2字下げ]
煩悩を煩悩せずば(いゝ歌だ!)
煩悩は煩悩ながら煩悩はなし
[#ここで字下げ終わり]
空[#「空」に白三角傍点]、それは煩悩がなくなつた境地だ。
いや/\、菩提に囚はれない境地だ。
執着するなよ!
七時半の列車で出発、忠彦君に送られて、お土産として、酒三本、煙草一罐、そして小郡までの切符!
どうぞ、どうぞ、幸福に、幸福に(不幸がすぐ彼を襲うたとは!)。
炎天かゞやく。
九時半広島安着、黙壺居を訪ねて、また甘やかされた。
共にうち連れて、市中見物、生ビールとトンカツ、等々等。
旅といふものは、旅人の心は――
酒、酒、酒。
澄太君の友情に甘える。
憂欝、哀愁、苦脳[#「脳」に「マヽ」の注記]はてなし。
身辺整理。

 七月廿一日

ブランク、ブランク、いつさいがつさいブランクで。――

 七月廿二日[#「七月廿二日」に二重傍線]

憂欝たへがたし、気が狂はないのが不思議だ。
夜行で皈庵。
       ――――――――
        ――――――――
         ――――――――
大阪――広島
[#ここから2字下げ]
・たれもかへる家はあるゆうべのゆきき
・更けると凉しい月がビルのあいだから
   遊戯場
 やるせなさが毬をぶつつけてゐる
   或る食堂
 食べることのしんじつみんな食べてゐる
[#ここで字下げ終わり]



底本:「山頭火全集 第七巻」春陽堂書店
   1987(昭和62)年5月25日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年9月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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