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揉湯――時間湯。
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五月廿五日[#「五月廿五日」に二重傍線] 行程四里(上り三里、下り一里)。
からりと晴れてまさに日本晴、身心あらたに出立する、万座温泉まで四里には近いのだが、七時半から三時までかゝつた、ずゐぶん難かしい山路だつた。
草津の街を出はづれると落葉松林、それから落葉松山、そして灌木と熊笹、頂上近くなれば硫黄粘土と岩石ばかり。
白根山は噴煙をふきあげてゐる、荒凉として人生の寂寥を感じた。
涙のない人生、茫漠たる自然。
五月廿五日(続)
まことにしづかな道だつた、かつこうもうぐひすもほうじろもよく啼いてくれたが、雪のあるところはすべるし、解けたところはぬかつてゐるし、はふたりころんだり、かなり苦しんだ。
残雪をたべたり、見渡したり、雪解の水音を聴いたり、ぢつと考へこんだり。
山、山、山、うつくしい山、好きな山、歩き慣れない雪の山路には弱つたが、江畔おくるところの杖で大いに助かつた、ありがたし/\。
草津から二里あまり登つて芳ヶ平、ヒユツテーがある、スキーの盛んなことだらうなどゝ思ひつゝ歩いた。
○白根山の頂上は何ともいへないさびしさだつた、噴烟、岩石(枯木、熊笹は頂上近くまであつたが)、残雪、太陽!
落葉松の老木は尊いすがたである。
やうやく一里あまり下ると、ぷんと谷底から湯の匂ひ、温泉宿らしい屋根が見える、着いたのは三時だつた、何と手間取つたことだらう、それだけ愉快だつた。
とりつきの宿――日進館といふ、私にはよすぎる宿に泊る、一泊二飯で一円。
すべてが古風であることはうれしい、コタツ、ランプ、樋から落ちる湯(膳部がいかにも貧弱なのはやつぱり佗しかつたが)、何よりも熱い湯の湧出量が豊富なのはうれしい。
○ぐん/\湧きあがる熱湯が湛へて溢れる湯けむりを見よ。
旅館は並んで二軒、離れて一軒、どれも相当大きい、たゞし今頃は閑散季で、ゆつくりとしづかである。
自炊式であることはよろしい、給仕してくれないのが私には気楽でよろしい。
さつそく洗濯をする、それから鬚を剃り爪を切る、さつぱりする、あかるくなる。
だん/\曇つてきた、とかく山国は雨になりがちだ、明日もまた降るかも解らない。
○山国と味噌汁[#「山国と味噌汁」に傍点]、朝も汁、晩も汁だ、汁はわるくないが、その味噌が臭くて酸つぱいと弱る。
ねむれないので夜ふけてまた入浴、誰もゐない薄暗い湯壺にずんぶりひたつて水音に心を澄ます、……内湯のありがたさ、山の湯のありがたさである、……よくねむれた。
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万座よいとこ、水があふれて湯があふれて。
昔風で、行き届かないやうな、気のきかないやうな昔ぶりがうれしい。
遠慮のない、見得を張らないで済む気安さ。
のんびりとくつろげる。
苦湯《ニガユ》へ下つて一浴びしなかつたことは惜しかつた、その豊富な素朴な孤独味を知らなかつた(長野で北光君に教へられて残念がつた)。
草津は金持と患者とが入湯するところだらう、万座はしづかに体を養ひ気を吐くところである、プロでもブルでも。
古来からの有名さと交通の便利さとが草津を享楽郷とし、また療養地とした、たしかに草津の湯は効く、浴してゐるといかにも効くやうに感じる。
万座は交通の不便で助かつてゐる、草鞋穿きで杖をつかなければ登つて行けないところに万座のよさの一つがある。
こん/\と湧いてなみ/\と湛へてそしてどし/\溢れる温泉のあたゝかさ。
この湯宿は案外田舎式であるが、そこによいところ好もしいところがある、ヘマなサービスぶりにもかへつて愛嬌がある。
朝の膳に川魚のカツレツが載せてある、ちようど草津の宿で、夕飯としてカレーライスをどつさり出されたやうなものだ、おかしくもあり、いやでもあり、珍妙々々。
私が温泉を好むのは、いはゆる湯治のためでもなく遊興のためでもない、あふれる熱い湯に浸つて、手足をのび/\と伸ばして、とうぜんたる気分になりたいからである。
豊富な熱湯、閑静な空気が何よりだ。
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――(山をうたふ)――
・春の鳥とんできてとんでいつた(白根越へ)
・ひとりで越える残雪をたべては
・山ふところ咲いてゐる花は白くて
・杖よどちらへゆかう芽ぶく山山
・墓が一つこゝでも誰か死んでゐる
・山路しめやかな馬糞をふむ
・残雪ひかる足あとをたどる
・山路たま/\ゆきあへばしたしい挨拶
・春の山のそここゝけむりいたゞきから吐く
・いたゞきの木はみんな枯れてゐる風
・残雪の誰かの足あとが道しるべ
――(山をうたふ)――
・山は火を噴くとゞろきの残雪に立つ
・すべつて杖もいつしよにころんで
・残雪をふんできてあふれる湯の中
・とつぷり暮れて音たてて水
万座温泉
・水音がねむらせないおもひでがそ
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