晴――曇、八幡。
青城子居に寄る、不在、待つ。
青君はよき友である、ありがたい友である、私はしば/\叱られる、怒られる、そして愛せられる。……
私ばかりが飲み、君は盛んに食べる。
青城子君よ、子を叱るなかれ、どなつてはいけません。
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改作追加
春は驢馬にまたがつてどちらまで
八幡製鉄所風景
すくすく煙突みんな煙を吐いて
鉱滓うつくしくも空へ水へ流れたり
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四月一日 晴、門司、下関。
雲平さんを訪ねた、不在、奥さんも留守、待つてゐる気も出なくて、電車で門司へ急いだ、局に黎々火君を訪ねる、久しぶりだ、今日は四月馬鹿[#「四月馬鹿」に傍点]なので来訪者の呼出しも嘘だと思つたので長く待たせてすまなかつたといふ、昼食を共にし、後刻駅の待合室で会ふことを約して別れた、私はそれから銀行に岔水君を訪ねた、都合の悪いことには宿直で、しかも年度がはりで多忙で、とても時間の余裕もからだのひまもない、暮れ方に黎君と同道して訪問して寸時話して、私たち二人は海峡を渡つた、そして下関で握鮨など食べて、さようなら、黎君、早く結婚したまへ!
昨日今日何だかいら/\してたまらない、一人ぶら/\歩いては飲み、飲んでは歩いた、酔つぱらつた、腹がいつぱいになつて財布がからつぽになつた、たうとう待合室のベンチに寝込んでしまつた!
四月二日 日本晴、埴生。
ふと眼が覚める、何だ、駅に寝てゐる、五時の汽車の出るところだ、帰るだけの乗車賃は持つてゐたけれど、まてよ、これから徒歩で帰らう! 黎君が知つたら、だからゆふべ早くお帰りなさいといつたではありませんかと笑ふだらう。
唐戸で十銭の朝飯を詰め込み、ゆつくりとしかもがつしりと歩き出した。――
しんじつうらゝかな日である、日本晴といはうか、節句晴といはうか(今日は旧の三月二日)。
長府の海岸は汐干狩の人々で賑うてゐた、誰もがぢつとしてはゐられないうらゝかさである、ノンキな旅人の私もその群にまじつて暫く遊んだ。
埴生で泊つた、まだ早いけれど、歩けば歩けたが(行程七里)。
合宿はうるさい事が多い、といつても詮のない事だけれど。
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長府海岸
旅人わたしもしばしいつしよに貝を掘る
波音のうららかな草がよい寝床
松原伐りひらき新らしい仕事が始まる
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四月三日 曇、時々降る、帰庵。
出来るだけ早々出立、急がず休まずで歩く。
春が駈足でやつて来たので、至るところ桜がちらりほらり咲き出してゐる、山桜は散つてしまつて若葉のかゞやかしいところもある、田舎の豪家の邸内いつぱいに咲き充ちた桜の大木二三樹はほんたうに美しかつた、まつたく日本的であつた、家も花も人も。
厚東川べりの桜並木も美しかつた。
春の日曜の祭日、絶好の行楽日だけれど、お天気が思はしくない、何だか気の毒に思ふ、嘆くなかれ、むろん悔いるなかれ、人々具足、ほどよく楽しめ。
いつしか十里近く歩きおほせて、五時すぎには、三週間ぶりで帰庵した。
[#改ページ]
四月三日[#「四月三日」に二重傍線] 曇。
――夕方帰庵したけれど、濡れた着物を乾かす火もなく、空いた腹を充たす米もない、そして無一文、無一物だ、――暮羊君を徃訪する、私を待つてゐてくれたが今日は実家へ行きました、と奥さんが残念さうにいはれる、詮方なく街へ出てW店に腰をおろす、酒を借り飯をよばれ、はては泊めて貰つた!
四月四日[#「四月四日」に二重傍線] 曇、霰が降つた、晴。
W店夫妻の好意に甘えすぎたやうではあるが、酔うてそのまゝ寝てしまつたことは仕方がないが、酔中彷徨してY店へ飛び込んだことはよくなかつた、いや悪かつた、悪かつた、恥づかしい、恥づかしい。
夜は暮羊居に招待されて、ニコ/\御馳走になつた。
四月五日[#「四月五日」に二重傍線] 六日[#「六日」に二重傍線] 七日[#「七日」に二重傍線] 八日[#「八日」に二重傍線]
労れて、ごろ/\ぐう/\眠りつゞけたことである、いはゞ旅づかれ[#「旅づかれ」に傍点]といふものであらうか、私の場合では、人づかれ酒づかれ[#「人づかれ酒づかれ」に傍点]といふべきであらう。
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自分の意志で、生れ出ることは出来ないけれど、死んでしまうことは自分の自由だ、こゝに人間の悲喜劇が展開される。
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四月九日[#「四月九日」に二重傍線] 晴。
絶食――不眠――憂欝、そして。――
あはたゞしい春だ、もう桜が散り柿が芽ぶく。
四月十日[#「四月十日」に二重傍線] 曇。
或る店で白米少々借ることが出来た、感謝合掌。
飯! 飯!
H君と某君と同道して来訪、対談しばらく。
午後、めづらしくも敬君来庵、つゞいて樹明君も来庵、うれしい酒盛が始まつた、酔うたよ、酔うたよ、愉快だ、愉快だ。
ほんにぐつすり睡つた、ふと眼覚めると雨の音、まことによい夜明であつた。
――私はいよ/\重大決意をした、――いさぎよく其中庵を解消して[#「其中庵を解消して」に傍点]、再び行乞流転の旅人[#「行乞流転の旅人」に傍点]となるのである。
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絶食[#「絶食」に傍点]と断食[#「断食」に傍点]
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┌客観的事実
└主観的意義
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四月十一日[#「四月十一日」に二重傍線] 曇――晴。
藪鶯がしきりに啼く、だん/\晴れてくる。
ふと鏡をのぞいて、自分の老顔[#「自分の老顔」に傍点]に驚いた!
身辺整理。
シヤガが咲きだした、仏前に供へる、木の芽、草の芽。
秋田蕗が若葉をかゞやかにひろげだした。
――ここに改めて、W店夫妻にお礼を申上げる。
四月十二日[#「四月十二日」に二重傍線] 曇。
待つてゐるのに屑屋さんが来てくれない、違約といふことは、いかなる場合にも不快だ。
身辺整理をつゞける。――
いよ/\覚悟をきめた、私は其中庵を解消して遠い旅に出かけよう、背水の陣[#「背水の陣」に傍点]をしくのだ、捨身の構へ[#「捨身の構へ」に傍点]だ、行乞山頭火でないとほんたうの句[#「ほんたうの句」に傍点]が出来ない、俳人山頭火になりきれない。
春寒うつくしい月夜であつた。
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其中庵解消の記
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行方も知らぬ旅の路かな
濁れるもの、滞れるもの
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四月十三日[#「四月十三日」に二重傍線] 晴。
なか/\寒いことである。
旅日記整理。
戦争は必然の事象とは考へるけれど、何といつても戦争は嫌だと思ふ。
めづらしく畑仕事。
四月十四日[#「四月十四日」に二重傍線] 曇。
うつくしい朝焼、あまり生甲斐もない生活。
Kからうれしい返事が来た、この親にしてこの子があるとは[#「この親にしてこの子があるとは」に傍点]!
街へ出かける、NにWにKに払ふ。
何日ぶりかで理髪入浴、それからゆつくり飲みだしたが、一本が二本になり二本が三本になつて、四本五本六本、そしてたうとう脱線してしまつた、今年最初の脱線だ[#「今年最初の脱線だ」に傍点]、すまなかつた、すまなかつた、慚愧々々(私としては脱線だけれど、世間人としてはさしたことではない)。
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人間臭[#「人間臭」に白三角傍点]
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四月十五日[#「四月十五日」に二重傍線] 晴曇不明。――
昨日の延長だ、まだピリオドがうてない、飲みあるく、――夜やうやく帰庵。
四月十六日[#「四月十六日」に二重傍線] 晴――曇。
庵中独臥、絶食[#「絶食」に傍点]、読書。
また山口の聯隊から出征するので、歓呼の声が渦巻く、その声が身心に沁み入る。……
四月十七日[#「四月十七日」に二重傍線] 曇、微雨。
謹慎、落ちついて雨を聴く。
四月十八日[#「四月十八日」に二重傍線] 曇。
午後は晴れたので山口へ行く、本を米に代へて戻る。
四日ぶりに御飯を食べることが出来た!
ほどよく飲んで食べて、つゝましく考へしづかに読み、一生懸命に作る、――それが何よりの楽しみであらう。
四月十九日[#「四月十九日」に二重傍線] 晴――曇。
春蝉が鳴きだした、夏ちかい温かさだ。
流し元の草の中に、捨芹が青々と花をつけてゐる、生きるものゝ生きる力のめざましさ、省みて恥ぢ入つた。
蕗を煮て食べる、うまい、ちしやに味噌をつけて食べる、うまい、何もかもうまいうまい!
夕方、野を逍遙して、野の花[#「野の花」に傍点]を観賞した、すみれ、きんぽうげ、菜の花、紫雲英、とり/″\にうつくしい、青草もうつくしい、虫もうつくしい。
今日はSを訪ねたいと思つたが、銭がないので止めた、骨肉といふものは離れてゐるとなつかしく逢へば嫌になる、そこに人生のなやみがある。……
寝苦しく悪夢に襲はれどほしだ。
四月廿日[#「四月廿日」に二重傍線] 曇。
小鳥の歌のほがらかさ、椿もをはりのうつくしさ。
――自覚自信――自粛自戒。――
今日は陰暦の三月廿日、明日へかけて秋穂地方は賑ふだらう、私も巡拝するつもりだつたが、先日の浪費で、その余裕をなくしてしまつた。
散歩、農学校に寄つて新聞を読ませて貰ふ、新聞を読まない日は飯を食べないやうな感じ。
近来痛切に自然の理法[#「自然の理法」に傍点]といふものを感じる、生々流転の相[#「生々流転の相」に傍点]を観じる。……
石油が切れたので宵から寝る、暗闇で句を作つたり直したりしてゐるうちに、いつとなく睡つた、そして夢中なほ作つたり直したりした。
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無理をするな[#「無理をするな」に傍点]、素直であれ[#「素直であれ」に傍点]。――
すべてがこの語句に尽きる、この心がまへさへ失はなければ、人は人として十分に生きてゆける。
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四月廿一日[#「四月廿一日」に二重傍線] 曇。
沈欝。――
散歩、SのSを訪ねる、逢うてよかつたと思ふ、やつぱり血は水よりも濃い! 暮れて戻る、途中またW店に寄つて飲む、酔ひしれてF屋に出かけ、たうとうそこに寝込んでしまつた!
四月廿二日[#「四月廿二日」に二重傍線] 曇――晴。
酒、酒、酒、馬鹿、馬鹿、馬鹿。
W店にもN店にもT店にもすまないすまない。
動けなくなつてW店のお世話になる。
四月廿三日[#「四月廿三日」に二重傍線] 晴。
朝、さうらうとして帰庵。
Sから貰うた餅を焼いては食べる。
夕方、暮羊君来庵、酒と下物とを持つて。
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ユーモアのある句へ[#「ユーモアのある句へ」に傍点]、それから
ナンセンスの句へ[#「ナンセンスの句へ」に傍点](無為無作の句[#「無為無作の句」に傍点]といつてもよからう)。
[#ここで字下げ終わり]
四月廿四日[#「四月廿四日」に二重傍線] 曇。
こん/\として眠る。
四月廿五日[#「四月廿五日」に二重傍線] 曇。
憂欝たへがたいところへ敬君来庵、しばらく話したので多少落ちつけた、ありがたう。
米と油とを買ふ。
古新聞古雑誌ボロをあつめて屑屋に売り払つたら、何と壱円十九銭出来た、これで今月はどうかなるだらう、ありがたしありがたし!
夕方、暮羊居徃訪、一杯よばれる、散歩してさらに一杯、これで今夜はよく睡れさうなものだが。
四月廿六日[#「四月廿六日」に二重傍線] 晴――曇。
昨夜よく睡れなかつたので身心が重苦しい。
身辺整理する、心内を清掃しよう。
動か静か、――死か生か、――ああ私は迷ふ。
――一切放下着、――無為無念であれ。――
今日も若葉のむかうから、歓呼の歌万歳の声が聞える、私は思はず正坐して合掌した、そして心の奥ふかく、ほんたうにすみませんと叫んだ。……
午後散歩、少し買物をして帰る途上でゆくりなく樹明君に出くわした、ああ樹明君、私はあなたに対して自分の忘恩背徳を恥ぢ入る外はありません。
めづらしい、ほんにめづらしい晩酌! といつても目刺をさかなに焼酎をちびりちび
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