道中記
種田山頭火
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)母子《オヤコ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)やれ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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三月十二日 晴、春寒、笹鳴、そして出立――八幡。
昨夜は夜通し眠れなかつた、出立前に、アメリカ同人の贈物ポピーを播いてをく!
今朝の誓願、今後は焼酎を飲むまいぞ[#「今後は焼酎を飲むまいぞ」に傍点]、総じて火酒は私に向かない、火酒を飲んでロクな事があつたタメシがない、火酒は地獄の使だ!
やつとこさで、九時の汽車に乗れた、やれ/\、今日の新聞[#「今日の新聞」に傍点]は車内で読ませて貰つた。
十一時、関門海峡を渡る。――
急いで、日本銀行支店の岔水君を訪ふ、岔水君は若い江戸ッ児のよさ[#「若い江戸ッ児のよさ」に傍点]だけを私にあらはしてくれる、ありがたいことである。
黎々火君は出張不在、軽い失望、帰途の希望がある。
――一杯また一杯、安い酒、酔はない酒、淋しい酒!
門司駅の待合室で岔水君を待つ、四時、同道して小倉まで。
大朝支社[#「大朝支社」に傍点]参観、深切に案内して下さつた、近代風景[#「近代風景」に傍点]を断片的に鑑賞することが出来た、或るおでんやで飲んで話して、別れた。
電車で、ほろよひ気分で、暮れ方の鏡子居へとびこむ、客来で、私一人で御馳走になる、さすがにをなごや[#「をなごや」に傍点]だけあつて賑やかだ、時々主人公と世間話をしながら、腹いつぱい飲んで食べた、早々ほろ/\になつてぐつたりと寝た、感謝々々。
好い日であつたが、やつぱり私のその日その日は覚めきらない悪夢の断片[#「覚めきらない悪夢の断片」に傍点]といはなければなるな[#「な」に「マヽ」の注記]い。
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・朝のひかりへ播いてをいて旅立つ(アメリカポピー会同人に)
・食べるもの食べつくしたる旅に出る(自分自身に!)
再録
・春風のどこでも死ねるからだであるく(これも自嘲の一句)
述懐、冬去春来
・かつえずこごえず冬もほぐれた(別)
・戦ひはこれからの大地芽吹きだした
・野中の一本いちはやく芽吹いてゐる
梅はさかりの、軍需工業[#「業」に「マヽ」の注記]のけむり
・たちまち曇り、すぐ晴れて海峡の鴎
門司駅待合室所見
・仲よく読んでゐるよこからいやな顔がのぞいて
[#ここで字下げ終わり]
――綿織物よりも絹織物を! これも非常時の国産奨励。
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改作追加一句、峠にて或る日のルンペンと共に
・草の上におべんたう分けて食べて右左
[#ここで字下げ終わり]
三月十三日 曇、時雨、若松。
朝早く起きてはならないので困つた(夜ふかしの朝寝があたりまへの社会だから)、こつそり抜けだして散歩、時局柄で朝湯もないので、コツプ酒でも呷る外ない、……不用人間の不用時間を持て余した。……
身辺整理、アメリカ行の小包をこしらへ手紙を書く。
八幡の印象、――中心は何といつても製鉄所の煙突、そして飲食店、職工、何もかもごた/\してゐる。
新聞記事で動かされたもの二つ、――モルガンお雪の帰国と岡田博の母を嘆く言葉。
午後、鏡子君に連れられて、徳[#「徳」に白丸傍点]訪問、よい湯を頂戴した、そして酒と金との功徳も頂戴した。
四時頃出立(鏡子君の温情に改めて感謝する)、警察署に星城子君を訪ねたが不在、雲平居は帰途立寄ることにして、電車で戸畑へ。
多々桜居で、奥さんのなげきを聴く(多々桜君の病状について)、同情に堪へない、すぐ若松病院へ行く。
四階の狭い病室、寝台に横はつたまゝで、附添婆さんから夕飯を食べさせてもらつてゐる多々桜君に逢ふ、顔色は予期したほど悪くないので安心した、二時間あまり話す、私一人がおしやべりしたことである。
暮れたけれど月があるので、バスで蘇葉居へいそぐ、折よく在宅、しばらく話したが、何となく身心が落ちつかないので、バスでまた駅まで引返し安宿に泊つた、歩いて飲んで寝た、夜中に臨検があつた。
今日は気持のよい娘を三人見た、バスガール、バアガール、そして電車の乗客。
誰もが戦闘帽[#「戦闘帽」に傍点]をかぶつてゐる、それも非常気[#「常気」に「マヽ」の注記]分を反映してゐてわるくはないけれど、おなじ色に塗りつぶされたゞけの世間のすがたはあまりよくはなからう。
――あれは何でせう?(一杯機嫌の私)
――お月さんですよ[#「お月さんですよ」に傍点]!(街の若い人)
これは若松に於ける私のナンセンスである。
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・早春のくだもの店の日かげうつる
波止場所見として
・風の中のこぼれ米拾ひあつめては母子《オヤコ》
・まんぢゆうたべたべ出船の船を見てゐる、寒い
・朝の雨の石をぬらすより霽れた
若松へわたし場
・ちよいと渡してもらふ早春のさざなみ
多々桜君を病院に見舞うて、病室即事
・投げ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]しは桜のつぼみのとくひらけ
・木の実かさなりあうてゆふべのしづけさ
製鉄所遠望
・夜どほし燃やす火の燃えてさかる音
途上
・かなしい旅だ何といふバスのゆれざまだ
[#ここで字下げ終わり]
三月十四日 晴、糸田。
安宿の気安さ。
めしやでめしを食べ、酒屋で酒を飲み、餅屋で餅を味はつた(草餅の魅力である)。
若松の帆檣林立風景も此頃は以前ほどでないやうだ。
歩くつもりで歩きだしたが、途中でへたばつて、バスで折尾へ、折尾から汽車で直方へ。
S酒場に折から帰郷中の惣参居士を訪ねる、生一本の御馳走になる、お土産としても頂戴する、多謝々々。
街はづれまで送られて、金田までバス、そこから宮床まで歩く、緑平居はいつ来てもしたしい、香春岳もなつかしい、ボタ山も芽吹きさうな色彩をたゝへてゐる、天も春、地も春、人もまた春だ、夜のふけるまで話しつゞける、話しても話しても話がある。
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炭坑地風景
・花ぐもりの炭車長う長うつらなり
・春風ぽこぽこ驢馬にまたがつて
駅構内所見
・うらゝかに青い旗や赤い旗や
炭坑地風景二句
・うらゝかな春空のボタ山かぶる山よ
・そこらぢゆう石炭だらけの石炭を拾ふてゐる
・水にそうてでこぼこのみちの草萌ゆる
ボタ捨車
・ボタ山も芽ぐんでくるスキップ
・爆音、さくらはまだ開かない
[#ここで字下げ終わり]
三月十五日 晴、中津。
今日も身辺整理、やうやく文債書債を果してほつとする。
十時、お暇して、歩いて伊田へ、伊田から汽車で行橋へ、乗り替へて中津へ。
汽車では七曲りの快も味へなかつた、駅でさめ/″\と泣いてゐた若い女をあはれと思つた。
宇平居は数年前のそれだ、お嬢さんがさつそく御馳走して下さる、ありがたかつた。
宇平さんは医者としても市民としても忙がしい、忙がしくて病気をする暇もないといふ、結構々々。
夜、二丘老来訪、三人でのんきぶりを発揮する。
寝苦しかつたが、よい月夜であつた。
[#ここから2字下げ]
中津
・街は花見の売出しも近いペンキぬりたて
宇平居
・石に水を、春の夜にする
・あなたを待つとてまんまるい月の
[#ここで字下げ終わり]
三月十六日 好晴、中津。
早起、塩風呂にはいる、朝酒、味噌汁がおいしかつた。
宇平居でよいものは門と石仏。
昧々居徃訪、昧々君はさびしい人だがおとなしすぎる。
福沢先生の旧邸宅を観る、昔ながらの土蔵は忘れ難い。
柳が芽ぶいてゐる、もう筍が店頭に飾られてゐる、草餅を食べる、双葉山という酒を飲む(双葉山は近在の出生である)。
中津は鰒の本場だ、魚屋といふ魚屋には見事な鰒が並べられてある、それを眺めてゐたら、店番のおばさんから、だしぬけに、「おとうさん、鰒一本洗はうか!」と声をかけられた。
引札(俳諧乞食用としての)出来。
夜は句会、二丘、昧々、耕平、そして主人と私、あまりしやべつたので、さびしくなつた、かなしくさへなつた。
[#ここから2字下げ]
・のぞいて芽柳のなつかしくも
妙蓮寺
お寺の大柳芽吹いてゆれて
春寒の鰒を並べて売りたがつてゐる
塩湯はよろしく春もしだいにととなふ景色
福沢先生旧邸
その土蔵はそのまゝに青木の実
[#ここで字下げ終わり]
三月十七日 日本晴、宇佐。
一片の雲影もない快さ、朝湯朝酒のうれしさ、いよ/\出発、宇平さん、二丘さん、昧々さん、ありがたう、ありがたう、ありがたう。
俳諧乞食業[#「俳諧乞食業」に傍点]は最初から失敗した!
途中、二三杯ひつかける、歩けなくなつて、宇佐までバス、M屋といふ安宿に泊る、よい宿であつた、深切なのが何よりもうれしい、神宮に参拝して祈願した、神宮は修理中。
宇佐風景、丘、白壁、そして宇佐飴を売る店。
ふんどし異変[#「ふんどし異変」に傍点]、山頭火ナンセンスの一つ、私としては飲み過ぎた祟りであり、田舎の巡査としては威張りたがる癖とでもいはう、とにかく、うるさい世の中だ、笑ひたくて笑へない出来事であつた。
[#ここから2字下げ]
自嘲
・旅も春めくもぞもぞ虱がゐるやうな
・春のほこりが、こんなに子供を生んでゐる
・街をぬけると月がある長い橋がある
宇佐神宮
・松から朝日が赤い大鳥居
・春霜にあとつけて詣でる
水をへだててをとことをなごと話がつきない
・道しるべが読めないかげろふもゆる
・たたへて春の水としあふれる
・牛をみちづれにうららかな峠一里
・放たれて馬は食べる草のなんぼでも
・紫雲英や菜の花やふるさとをなくしてしまつた
・春風、石をくだいてこなごなにする
・うらうらこどもとともにグリコがうまい
・今日の日をおさめて山のくつきりと高く
・朝月落ちかゝる山の芽ぶいて来た
・噴水を見てゐる顔ののどかにも
・春のおとづれ大[#「大」に「マヽ」の注記]鼓たたいて何を売る
・ひとり山越えてまた山
[#ここで字下げ終わり]
三月十八日 晴、霜、彼岸入、別府。
早々出立、ぶら/\歩いて南へ、南へ、うらゝかすぎるうらゝかさだ。
北馬城を過ぎ立石で辨当行李を開く、茶店の若いおかみさんの自慢話も興が深かつた。
巡礼の親子三人連れ、子供がいちばんうらゝかだ。
亀川まで汽車、賃四十七銭は惜しかつたが、――亀川にはほどよい宿が見つからないので、電車で別府へ、F屋に地下足袋を脱ぐ、さつそく一浴して一杯! おそくまで散歩して熟睡。
別府は山もよろしく海もよろしく、湯はもちろんよろしく、女もわるくないらしい。
時局のために遊覧客は多くないらしいが、それでも二千や三千はあるらしい。
いたるところ温泉、いたるところをなごや、湯はタダ、女も安いさうな。
遊園別府[#「遊園別府」に傍点]、貧乏人や偏屈者の来る場所ではない。
別府所見、――
小秦誰[#「小秦誰」に傍点]、朝見川朝日橋のほとり、竹田が妓にかく書いて与へたといふが、夜はともかく、昼はゴモクアクタでワヤだ!
別府竹枝[#「別府竹枝」に傍点]、流川通、名残橋阯[#「阯」に「マヽ」の注記]、カフヱーやおでんやや料亭や置屋があつまつてゐる。
高崎山のおもしろさ、鶴見岳のよろしさ。
旅の人々と彼等の財布を狙ふ街の人々と、温泉《イデユ》の匂ひ、脂粉の香り。
土産物を売る店と女を売る店と。
由布岳――旧名、湯ノ嶽――通称、豊後富士は好きな山である、総じて豊後の山岳は好きだ。
なるたけ本道[#「本道」に傍点]を歩くことだ、遠いけれど間違がない、近道、それは多く旧道、その道は歩くにはよろしいが、よく見定めて、念に念を入れて歩くことだ。
無尽寥[#「無尽寥」に傍点]。――
作ることが生きることである[#「作ることが生きることである」に傍点]。
片手で耕やす人!
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