すなほにつゝましく。

昨日を忘れよ、明日を思ふな、物事にこだはるな。
一切放下着、超越生活。

ラクダを羨む(新聞の北支記事を読んで)、食べることに苦労してゐると、ラクダに笑はれるやうになる!

カシラナリ(頭成)といふ地名は珍らしい。

ビンボウはカンシヤクの素!

 三月十九日 晴、浜脇、 [#割り注]一泊二飯八十銭。[#改行]一人一室一燈。[#割り注終わり]

早朝入浴して散歩する、あかつき[#「あかつき」に傍点]丸の出航を見送る。
この宿は悪くはないがうるさいので、浜脇のG屋へ移る、しづかでしんせつできれいで、夜具も賄もよい。
歩いたり、浴びたり、書いたり、飲んだり、――旅づかれで、詳しくいへば、人づかれ[#「人づかれ」に傍点]、湯づかれ[#「湯づかれ」に傍点]、酒づかれ[#「酒づかれ」に傍点]で、宵からぐつすり寝た、まことに近頃にない快眠であつた。

 三月二十日 晴、浜脇。

申分のないお天気、ほんたうに好い季節。
早く眼覚めて入浴、散歩、そして、……豊後富士の姿はうつくしい、朝にかゞやいた時は殊に。
宿の居心地がよいので、もう一日逗留することにして、行きあたりばつたり方々を見物する、人出が多い、恵まれた日曜だ。
波止場に立つて出港するすみれ丸[#「すみれ丸」に傍点]を見送り、入港するあかつき丸[#「あかつき丸」に傍点]を迎へる。
夜も散歩、どてら姿が右徃左徃する。
今日も破戒した、シヨウチユウを飲みアワモリを飲んだ、アワモリ屋のおかみさんは私の顔を覚えてしまつて(さすがに商買[#「買」に「マヽ」の注記]だ)、小海老のてんぴ[#「ぴ」に「マヽ」の注記]ら一片を下物としてサービスしてくれた!
近来、視力の減退が著しいことを感じる、栄養不良のためか、老衰のためか、そのどちらでもあらう。

――別府三泊は長過ぎた、気分も倦怠したし旅費も乏しくなつた、明朝は降つても照つても立たう。
今夜はなか/\睡れなかつた。
[#ここから3字下げ]
 別府埠頭
春風のテープもつれる別れもたのしく
出てゆく汽船《フネ》の、入りくる汽船の、うらゝかな水平線
[#ここで字下げ終わり]

 三月廿一日 曇、風雨となつた、由布院。

朝湯はよいな、けさは朝酒を遠慮した。
お彼岸の中日といふので朝御飯は小豆飯[#「小豆飯」に傍点]、それにも少年の追憶をそゝられる、いよ/\八時出立、由布院へ歩く。――
立派なドライヴウヱー、自動車はうるさい(歩くものには)、乗らないものには外道車[#「外道車」に傍点]だ(便利なこともある、乗らないものにも)。
私はもう登山は出来ない、仰いで山を観るばかりである。
鶴見園[#「鶴見園」に傍点]を横に見て登る、登る程に、海地獄、八幡地獄、無間地獄、等々と地獄の連続だ。
山里は梅やら桃やら咲いて、水車がまはつて、牛が鳴いて、とても長閑である、そこらで演習があるらしい砲声も!
風が出て晴れさうだが、たうとう風雨になつた、ラクダ色の山が山に、ごつ/\そびえてゐる。
朝見川鶴見橋。
火男火売《ホノヲホノメ》神社。
山鶯が啼く、音色のよいのも啼く、水音をさがして飲む、腹いつぱい、うまい/\、山鳴、山霧、さびしいな、何となく心細い。
鐘紡種牧場、なか/\大規模らしい。
城島台、眺望はすばらしいらしいが、霧で視野はすつかり遮られてしまつた。
雲雀が啼く、これもおもひでの種の一つだ、道ばたの蕗の薹二つ三つ頂戴する。
五時近くなつて、やうやく由布院の湯坪へ着く、T屋といふ安宿へおちつく、なか/\よい宿らしい、家は粗末だが、……どてらを貸してくれる、お茶を持つてきてくれる(お茶受として沢庵も悪くない)、火鉢にたくさん火をいけてくれる、内湯がある、電燈が明るい。……
ハガキを出したついでに、さつそく一杯――二杯ひつかける、うまい酒だつた、また、よい酒でもあつた。
ほろ/\ほろ/\、だが、風がガタビシの硝子障子をたゝく音はさびしい/\。
こゝには水がない[#「水がない」に傍点]、温泉だけといふ、さりとは。――
別府由布院六里といふが、どうして/\、山行六里にはすつかり労れきつた、年はとりたくないものだわい!
今夜はゆつくり寝やう、ぐつすり睡れるだらう。

由布院はさびしい温泉だが、そこが好きだ、湯を浴びてはぽか/\ぼんやりしてゐるのがうれしい。

酔ひざめの水ではないので、酔ひざめの湯をがぶ/\飲んだ!

夜が更けて、雨になり風になつた、困つたな、ふと眼覚めて硝子障子越しに見ると、月夜になつてゐる、よかつた。
由布院がきつぜんと聳え立ち、朝月が近くかゝつてゐる、よいな。

[#ここから2字下げ]
・湯けむりの梅のまつさかり
・うりものと書かれて岩のうららかな
・枯野風ふくお日様のぞいた
・のぼつたりくだつたり濡れても寒くはない雨の
・蕗のとうここで休まう
・山霧ふかく風車のまはるでもなく
  牧水に
・ずんぶり濡れてけふも旅ゆく(幾山河……)
・山のなか山が見えない霧のなか行く
・草枯れてほんによい岩がところ/″\
  由布越
・吹きおろす風をまともに吹きとばされまいぞ
[#ここで字下げ終わり]

 三月廿二日 好晴、春光熙々、玖珠。

七時、身心かろく出発する、高原のさわやかさ、秋のやうな、南由布へまはり、いよ/\山路にかゝる、水分峠[#「水分峠」に傍点]である、山又山、鶯がやたらに啼く。
十歩行いては立ちどまり百歩行いては腰をおろす。
雲雀が啼く、蛙が鳴く、蕗の薹、水音、家があると、鶏の声、牛の声、子供の声。
生きてゐる幸福、歩いてゐる悦楽。
野糞[#「野糞」に傍点]、いや山糞をいう/\として垂れた!
うまい水が流れ落ちてゐる、もちろん腹いつぱい飲んだ。
人間には逢はない、ことし最初の蝶に逢つた。
長い峠であつたが、よい峠であつた。
知らぬ間に野矢駅を通り越して中村へ下つてゐた、グリコ噛み噛み、さらに三里歩いて、暮れかゝる頃やうやく森町に着いた、運よくM屋といふ宿を教へられて泊めて貰ふ、ほどよい宿であつた。
防空訓練で電燈は消されてしまつたので、一杯ひつかけてそのまゝ寝た、夜中に、トタン屋根をたゝく雨音に旅愁を感じた。

里程の主観的意味[#「里程の主観的意味」に傍点](徒歩の苦楽)。
客観的には一里でも主観的に二里の場合もある。
里程観念[#「里程観念」に傍点]。
小学生が比較的に正しい。

日出生台《ヒヂオダイ》とはよい地名。

田舎の人は総じて深切だけれど、時として不深切きはまることもある、今日はその不深切のために半里ばかり歩き損した。
その山近く住んでゐて、その山の名を知らない、のんき[#「のんき」に傍点]といふか、まぬけ[#「まぬけ」に傍点]といはうか!
老梅が咲き満ちてゐた、しづかに、しづかに、野の聖のやうに(廿二日)。

追憶の道[#「追憶の道」に傍点]。――

人間のいやしさ、きたなさを痛切に感じる、肉体的に、生理的に人間の臭さ[#「人間の臭さ」に傍点]がたへきれないやうにさへ!
[#ここから3字下げ]
  水分峠
枯山あまねく日のあたる鶯うたふ
のどけさ仔牛が乳房をはなれない
はれ/″\山はむつちりよこたはる
ふと見れば足にふまれてつく/\し
蕗のとうかたまつて山ふところに
  由布岳
ふりかへる山のすがたの見えたり見えなかつたり
  水分峠
誰にも逢はない山のてふてふ
てふてふうらうらどこまでついてくる
春もすつかり鶯うまくなつた
芽ぶく山をまへにどつしりすわる
散る花や咲く花やぽか/\歩く
水音の里ちかくなつてきた
こぼれ菜の花もをさないおもひで
芽ぶく木木の濡れてます/\うつくしく
旅のわびしさのトタン屋根たたく雨
[#ここで字下げ終わり]

 三月廿三日 雨――曇――雨、日田。

早起、小雨ニなつたので早々立つ。
八時半の列車で日田へ(今日は歩きたかつたのが雨具の用意がないので、仕方がない)。
天ヶ瀬[#「天ヶ瀬」に傍点]には一夜泊りたかつた。
日田はいつ来てもよい土地だが、いつもよくないのが私の財布だ! 駅で暫らく雨宿りして、それから街を通りぬけて、四年ぶりに馬酔木居を訪れた、なつかしい。
散歩したり、鮠を釣つたり、のんびり遊ぶ、なか/\寒い、汽車にもスチーム、駅にもストーヴ、火鉢にも燠がたやされない。

日田地方は酒の安いところだつた、いひかへると、量りがよいのである、一杯ひつかけてもコツプでなく枡だ、いはゆる枡飲[#「枡飲」に傍点]である。

日田は木どころ、製材所が多い、なか/\大規模だ、産物ハ焼杉下駄、名物ハ鮎、うまいなうるかは。
飲食店、宿屋料理屋が多い。

水郷日田[#「水郷日田」に傍点]、夏から秋が殊に日田!

日田のよいところは――私にうれしいのは――水がゆたかで酒がやすい、たへがたいのは風のふくこと。
霧はわるくないが(底霧とよばれてゐる)。

父と子、子と父。――

 三月廿四日 曇――晴、日田。

どうもお天気がはつきりしない、現代の社会そのものゝやうに!
アンゴラ兎。
淡窓先生墓所、長生園。
頼山陽先生淹留の故宅、如斯亭。
ふぐ料理とはどうかな、川魚料理とはよいが。
ある家の白木蓮まんかい。
川、川、水、水、酒、酒。
日の隈公園、月の隈公園、星の隈公園。
銭渕橋、河原のブールバール。
製材所風景。
[#ここから3字下げ]
  馬酔木居
いつぽんかたすみのみつまたのはな
川風さむみおちつかないてふてふ
水車はまはる泣くやうな声だして
  日田
水じゆうわうに柳は芽ぶく
山ざくら人がのぼつて折つてゐる
藪の椿の赤くもあるか
みちがわかれるさくらさく猿田彦
花ぐもりいういうとして一機また一機
[#ここで字下げ終わり]

 三月廿五日 曇――晴、二日市。

馬酔木君、さよなら、さよなら、馬酔木君。
酒の一日だつた、健よ、ありがたう。
バスで来て武蔵温泉のH屋ニ泊る、くだらない。

 三月廿六日 晴、晴、博多。

朝湯朝酒のゼイタクさだ、すみません。
十時の汽車で博多へ、百道のTさんを訪ねたが不在、そしてやうやく老司の少年院を尋ねあてたが、三洞さんは博多の事務所にゐられるといふ、引き返して事務所へ、さらに仮寓へまで連れて行つて貰つて、三年ぶりに懐かしい温容に接することが出来た、坊ちやん二人を連れての下宿生活である。
夕飯は家庭食堂で、それから暫らく散歩して帰宿。
三洞老! ふさはしい呼び方だ。
[#ここから3字下げ]
  三洞仮寓
うらは椿の落ちたまま
むつかしい因数分解の、赤い何の芽
[#ここで字下げ終わり]

 三月廿七日 曇、微雨、博多。

父と子とのほゝゑましい情景、涙ぐましいほどである。
悪筆をふりまはした。
午後、同道して酒壺洞君を訪ふ、何年ぶりの対談だらうか、君も老けたなと思つた。
酒をよばれることばかりだ、朝も酒、夕も酒、昨日も酒、今日も酒、私もたうとう酒に労れて来た!
今夜も泊めて貰ふ。

飯屋のおかみさんとルンペン(博多にて)
大衆酒場の女給さん

お大師様とルンペン(途上)
仏様と泥坊

 三月廿八日 晴、福岡。

ありがたう三洞さん、さよなら坊ちやん。
福岡市街をムチヤクチヤに歩きまはる、やたらに酒を呷る。……
夕方、ふたゝびTさんを訪問、折よく逢へて、お互にのんべい[#「のんべい」に傍点]だから気軽く酔うて、ぐつたり寝入つた。
Tさんが奥さんに投げるオイコラはよくない。

 三月廿九日 快晴、神湊。

バスで神の湊へ。――
俊和尚はエライ和尚でないだけ好きな和尚だ、清丸さんもよい坊さんになつてゐる、奥さんはもとより温良な家庭婦人だ、おいしいチリを御馳走して下さる、うどんもおいしかつた。

 三月三十日 八幡。

朝から飲む、ルンペン画家ともいふべきHさんに紹介される、五十未だ家をなさぬ彼は国際的放浪者らしい面影もある、彼は描き私は書いた、そして二人共に飲んだ。
午後出立、俊和尚の温情をしみ/″\感じた、バスで赤間へ、汽車で折尾まで、電車で八幡へ、Iさんの茶の間へころげこむと、また酒だ。
夜は鏡子居徃訪、おとなしく帰つておとなしく寝た。

 三月卅一日
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