げ]
┌短日抄
└長夜抄
夜が明けると起き
日が暮れると寝る
残れるものを食べて[#「残れるものを食べて」に傍点]
余生を楽しむ[#「余生を楽しむ」に傍点]
[#ここで字下げ終わり]
十二月九日[#「十二月九日」に二重傍線] 晴、曇、時雨。
朝の心[#「朝の心」に傍点]、朝焼、昇る日がうつくしかつた。
時雨、草に私にしみ入る。……
何もかもなくなる、SOSの反響はない。
南京攻略の祝賀会が方々で催される(国民的感激の高調が公報を待ちきれないで)、当地でも提灯行列が行はれた、それに参加しない私はさびしい。
寝床で行列のどよめきを聴いてゐると、人並の生活人[#「人並の生活人」に傍点]として生活することの出来ない自分を恥づかしく悩ましく思はないではゐられない。
樹明君ちよつと来談、ほんたうにすまなかつた。
貰つたバツトのうまさ、肉慾は痛切であり、そして卑らしくもある。
寝苦しかつた、あたりまへである。
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貧乏を味へ[#「貧乏を味へ」に傍点]。
貧乏にあまやかされるな。
貧乏にごまかされるな。
[#ここで字下げ終わり]
十二月十日[#「十二月十日」に二重傍線] 時雨。
けさは芋もなくなつて、お茶ばかりすゝつてすました。
飢は緊張する[#「飢は緊張する」に傍点]、餓えてます/\沈静、いよ/\真摯[#「真摯」に白三角傍点]。
頭痛がするので臥床。
お茶のあつさよ、うまさよ、かうばしさよ。
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天青地白(ちちこぐさ)
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十二月十一日[#「十二月十一日」に二重傍線] 晴。
めづらしくお天気になつた、沈欝気分やゝうすらぐ。
来書一通、岔君ありがたう、ほんたうにありがたう。
さつそく出かけて買物いろ/\。
七日ぶりに飯を味ふ[#「七日ぶりに飯を味ふ」に傍点]、うまいと感じるよりも[#「うまいと感じるよりも」に傍点]、ありがたいと思うたことである[#「ありがたいと思うたことである」に傍点]、御飯の御の字の意義を考へる[#「御飯の御の字の意義を考へる」に傍点]。
南京陥落、歓喜と悲愁とを痛感する。
久しぶりに、ほんに久しぶりに、ひとりしみ/″\一盞傾けた。
私もいよ/\一生のしめくゝり[#「一生のしめくゝり」に傍点]をつけるべき時機に際会した。
指が何故だか痛い、指一本のための不自由、不快、不甲斐なさ、全体と部分との緊密なる接触[#「全体と部分との緊密なる接触」に傍点]を考へる。
午後、湯田へ行き、温泉で、連日の垢と汗とを流した。
S屋に泊つて、ゆつくり休養した。
蕎麦がうまかつた、山口の山はうつくしい。
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陰部の両面的意義
排泄[#「排泄」に傍点]と交接[#「交接」に傍点]、そしてその快感[#「快感」に傍点]!
酔へばあさましく
酔はねばさびしく
[#ここで字下げ終わり]
十二月十二日[#「十二月十二日」に二重傍線] 晴。
小春日、好い日であつた、朝帰庵。
つゝましく読書。
風邪をひいたとみえて(私も人並に!)、洟水がぽたり/\落ちて困つた、老を感じた。
今晩は何日ぶりかで、ランプをともすことが出来た。
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或る日の出来事――バスの中で
パン屑、インテリ女性
[#ここで字下げ終わり]
十二月十三日[#「十二月十三日」に二重傍線] 好晴。
けさは少々朝寝、それだけよくねむれたわけ。
降霜、寒冷も本格的になつた。
霜晴れの太陽のまぶしさ、小鳥の声のうれしさ。
私の好きな藪椿がもう咲いては落ちだした。
夕方、ポストまで、ついでに焼酎と蝦雑魚とを買うて戻つて飲んだり食べたり、御馳走々々々。
――物に触れ事につれ、ともすれば心が動く、心の芯[#「心の芯」に傍点]は動かないつもりだけれど、やつぱり私は落ちつかない。――
からだがとかくよろめく[#「からだがとかくよろめく」に傍点]、アルコールの害毒と老衰とを感じないではゐられない。
アルコールのおかげで快眠、夢中大きな鯉を捕へた、何の前兆か、ハツハツハツ!
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『わが冬ごもりの記』
[#ここで字下げ終わり]
十二月十四日[#「十二月十四日」に二重傍線] 晴、曇、時雨。
午前中は申分のない小春凪だつた。
朝酒一本(昨夜の残りもの)、うまいな、ありがたいな、いや、もつたいないな、ほんに朝湯朝酒朝……。
昭和十二年十二月十三日夕刻、敵の首都南京城を攻略せり、――堂々たる公報だ
なつかしい友へたより二通、澄太君へ、無坪君へ。
午後は買物がてら散歩。
今晩から麦飯[#「麦飯」に傍点]にした、それは経済的[#「経済的」に傍点]といふよりも生理的[#「生理的」に傍点]な理由による(といつても、新聞代位は倹約になるが)、私はだいたい食べすぎる[#「食べすぎる」に傍点](飲みすぎることはいふまでもなからう!)、とかく貧乏人の胃袋は大きい、ルンペンは殆んど例外なしに胃拡張的だ、私は自分でも驚くほど大食だ、白飯をぞんぶんに詰め込むと年寄にはもたれ気味[#「もたれ気味」に傍点]になるが、大麦飯[#「大麦飯」に傍点](米麦半々)ならば腹いつぱい食べてもあまり徹へないのである、あゝ食べることはあまりに痛切だ[#「あゝ食べることはあまりに痛切だ」に傍点]。
晩は久しぶりの豆腐で、おいしい麦御飯を頂戴した、張り切つた腹を撫でゝは結構々々!
夜、上厠後の痔出血で閉口した、焼酎と唐辛とのせい[#「せい」に傍点]だらう、老人は強い刺戟を慎むべし。
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――わが南京攻囲軍は十三日夕刻南京城を完全に占領せり。
江南の空澄み渡り日章旗城頭高く夕陽に映え皇軍の威容紫金山を圧せり。――
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](上海日本海軍部公報)
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大空澄みわたる
日の丸あかるい涙あふるる (山生)
[#ここで字下げ終わり]
十二月十五日[#「十二月十五日」に二重傍線] 快晴。
早起、身辺整理。――
小春日和のうらゝかさ、一天雲なし、気分ほがらか。
書かなければならない、出さなければならない手紙があるのだけれど、今日も果さなかつた、播いたものは刈らなければならないのに、私はどうしてこんなに我がまゝなのだらう。
終日独坐[#「終日独坐」に傍点]、無言行[#「無言行」に傍点]。
良い月夜だつた、霜月十三夜である。
十二月十六日[#「十二月十六日」に二重傍線] 霜晴。
昨夜の夢の名残が嫌なおもひをさせる。……
その後[#「その後」に傍点]一ヶ月経つた、私はいよ/\落ちつく。……
やうやくにして、長い悲しい恥づかしい手紙を書きあげて、さつそく投函した、健よ健よ許してくれ許してくれ!
沈欝たへがたきにたへた、あゝ苦しい。
落ちたるを拾ふといふよりも、捨てられたる物を生かす気持[#「捨てられたる物を生かす気持」に傍点]で、また一つ拾うて戻つた。
大根一本二銭、おろしたり煮たり漬たり、なんぼ大根好きの私でも一度や二度では食べきれない。
今夜も良い月夜、玲瓏として冴えわたる月光がおのづから天地の悠久[#「天地の悠久」に傍点]を考へさせた、いつまでも睡れなかつた。
[#ここから1字下げ]
悠久な時の流れ[#「時の流れ」に傍点]、いひかへれば厳粛な歴史の流れ[#「歴史の流れ」に傍点]、我々はその流れに流されて行く、その流れに躍り込んで泳ぎ切らなければならない、時代の波[#「時代の波」に傍点]に棹して自己の使命を果さなければならない。
[#ここで字下げ終わり]
十二月十七日[#「十二月十七日」に二重傍線] 晴。
風はさむいが大気はあたゝかい、小春日である。
――酒を忘れる[#「酒を忘れる」に傍点]、さういふ境地が私のうちに拓かれつゝある、――あまり酒をおもはなくなつた。
郵便は来ない、新聞は来たけれど。
何となく淋しい。
今日は南京入場式、そして今夜は満月、誰も感慨無量であらう、殊に出征の将兵は。――
うらゝかにして小鳥のうた、百舌鳥の疳高い声、目白のおとなしい合唱。
ちよつと出かけて一杯ひつかけた、うまい酒だつた、あぶないあぶない!(だが、酒はよいかな、ほどよい酒は、――とうたひたくなる!)
道連れになつたW老人の話、彼は幸福人だらう。
油揚を買ふ、揚豆腐は田舎料理にはなくてはならぬものである、稲荷鮨のころもとしても、煮物の味付としても。
睡眠不足の気味で、すまないけれど、しばらく昼寝した、すまないと思ふ。
帝人事件判決が下つた、被告全部無罪、私たちには事件の真相はつかめないけれど、割り切れないもの[#「割り切れないもの」に傍点]があるらしい、その割り切れないものは現社会の癌[#「現社会の癌」に傍点]だらう!
おだやかに昇る月を観た、よかつた、よかつた。
寝苦しく胸苦しかつた、粗食大食[#「粗食大食」に傍点]のためか!
十二月十八日[#「十二月十八日」に二重傍線] 曇、時雨。
雨にら[#「にら」に「マヽ」の注記]しい、ぬくすぎる、ばら/\雨が落ちだした。
身心平静。
私は生活苦[#「生活苦」に傍点]といふよりも生存苦[#「生存苦」に傍点]になやまされてゐる、それではあまりにみじめだ。
朝、めづらしくこゝまで行商人がやつて来て、反物はいらないかといふ、御苦労さん、反物どころか、食べる物がなくなつて困つてゐる! それもこれも不景気の反映だらう。
世界歴史に燦然として光輝を放つべき南京入城式の壮観が、今日の新聞では写真と共に色々報道されてゐる、ありがたいニユースであつた。
濡れてかゞやく枯草のうつくしさよ[#「濡れてかゞやく枯草のうつくしさよ」に傍点]、観れば観るほど美しい。
午後、やうやく半切四枚を書きなぐつた、悪筆の乱筆をもつともつと揮はなければなりません!
今夜も睡れないので、あれこれ読みちらしてごまかす。
[#ここから1字下げ]
読書浄土
旅極楽
飯醍醐
酒甘露
[#ここで字下げ終わり]
十二月十九日[#「十二月十九日」に二重傍線] 曇――雪。
寒い雲がかさなりひろがつて年の瀬らしくなる、粉雪がちら/\する、寒い、寒い。
火鉢に火、机に本、おちついてしづかな心。
あるだけの米と麦とを炊く、二食分には足るまい、また絶食か! つらいね。
しようことなしに、暮羊君から墨を借りて、半切四枚書きなぐる、いつものやうに悪筆の乱筆[#「悪筆の乱筆」に傍点]、仕方がないといへばそれまでだけれど、あまりよい気持ではない、そしてそれを急いで送るべく――早く物に代へて貰ひ[#「ひ」に「マヽ」の注記]ために、ポストまで出かける、ついでにうどん玉を買ひたかつたが、かなしいかな、銭がなかつた。
風がきびしくなつた、まさしく凩だ。
かねて見つけておいて蔓梅一枝を活ける、よいなあと眺める。
夕方、Y君がだしぬけに来庵、ほとんど一年ぶりだ、持参の酒と魚とを食べて、いつしよに寝る。……
[#ここから1字下げ]
┌縦の関係――祖先――父母――遺伝、伝統
└横の関係――兄弟――夫婦、友人――社会性
┌短歌――外延的――迸出――詠嘆
└俳句――内包的――沈潜――
[#ここで字下げ終わり]
十二月廿日[#「十二月廿日」に二重傍線] 雪――曇――雨。
Y君と別れる、お茶をすゝつて(お茶しか食べるものがなかつた)。
うれしいたよりがあつた。
支那をおもふ、支那をおもへば、一度や二度の絶食は何でもない、炭火があるだけでも私にはありがたすぎる!
ポストまで出かける、うどんを食べる、うまい/\。
ぽろりと歯が抜けた(四本のうちの一本だ)。
十二月廿一日[#「十二月廿一日」に二重傍線] 曇。
雪がちほ[#「ちほ」に「マヽ」の注記]らする中を郵便局へいそぐ、Kよ、ありがたう、涙ぐましくなつて、あてもなく歩く。
飯のうまさ、酒のうまさ、そして生きる苦しさ、考へる切なさ!
たうとう湯田温泉まで。――
十二月廿二日[#「十二月廿二日」に二重傍線] 曇。
冬至、あゝまた朝酒! 身にしみる冬至だ!
[#ここから1字下げ]
主観の客観化[#「主観の客観化」に傍
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