其中日記
(十一)
種田山頭火

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)楽人《ラクジン》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「足へん+它」、第3水準1−92−33]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)たゞ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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   自省自戒
節度ある生活、省みて疚しくない生活、悔のない生活。

孤独に落ちつけ。――
物事を考へるはよろしい、考へなければならない、しかしクヨクヨするなかれ。
貧乏に敗けるな。――
物を粗末にしないことは尊い、しかも、ケチケチすることはみじめである、卑しくなるな。
酒を味へ。――
うまいと思ふかぎりは飲め、酔ひたいと思うて飲むのは嘘である。

水の流れるやうに、雲の行くやうに、咲いて枯れる雑草のやうに。

自然観賞、人生観照、時代認識、自己把握、沈潜思索、読書鑑賞。

句作、作つた句でなくして生れた句、空の句[#「空の句」に白三角傍点]。

『身に反みて誠あれば楽これより大なるはなし』(孟子)
[#ここで字下げ終わり]

 八月一日[#「八月一日」に二重傍線] 晴。

早起して散歩した、夏山の朝のよろしさ。
省みて恥多く悔多し[#「省みて恥多く悔多し」に傍点]。
借金ほど嫌なものはない、その嫌なものから、私はいつまでも離れることが出来ない。
午後また散歩、W店でまた一杯。
暑い暑い、うまいうまい、ありがたいありがたい。
モウパツサンを読む、彼の不幸を思ふ。

 八月二日[#「八月二日」に二重傍線] 晴。

けさも早起して散歩。
おちつけ、おちつけ。
身辺整理、といふよりも身心整理[#「身心整理」に傍点]。
ライクロフトの手記を読みなほす、ギツシングと私との間には共通なものがあるらしい。
夜、しみ/″\秋を感じた。
どうやらかうやら私はスランプから抜け出たらしい。
とにかく銭がないことはさみしい、いや、悩ましい、払はなければならないものが払へないのはほんたうに苦しい。

 八月三日[#「八月三日」に二重傍線] 晴。

早起、仰いで雲を観、俯して草を観る。
Sへ。――
汽車賃がないから歩いて行く、樹明君に事情を話して、手土産としてラツカース二罎借りる。……
寂しい悲しい訪問だつた。
泊る、東京から小さいお客さんが数人来てゐてうるさかつた。
酒はうまかつた。

 八月四日[#「八月四日」に二重傍線] 晴。

朝早く防府へ。――
佐波川で泳ぐ。
M君を訪ねる。
午後、徳山へ。――
途中、富海に下車して、追憶をあらたにした。
酔うてゐる間だけ楽しい。
白船君を訪ふ、忙しいので宿屋に泊めて貰ふ、たゞ/\酔うてゐる間だけが楽しい。

 八月五日[#「八月五日」に二重傍線] 晴。

午近くなつて帰途につく。
再び富海に下車して海に浸る。
白船君は落ちついてゐる、漣月君は元気いつぱいだ、さて私は。――
三田尻駅で、東路君に逢ふ、飲む、酔ふ、泊る。

 八月六日[#「八月六日」に二重傍線] 晴。

東路君来訪、朝から飲む、そして酔ふ。
夕方の汽車で帰庵。

 八月七日[#「八月七日」に二重傍線] 晴。

終日臥床、沈欝たへがたし。

 八月八日[#「八月八日」に二重傍線] 晴、立秋。

身心不安、たへきれなくなつて街へ、酔ひつぶれた。

 八月九日[#「八月九日」に二重傍線] 晴。

茫々として。――

 八月十日[#「八月十日」に二重傍線] 晴。

おなじく。

 八月十一日[#「八月十一日」に二重傍線] 晴。

暑い/\。
街の米屋へ出かける、死なゝいかぎりは食べなければならない。
途上で暮羊君に出くわす、午後、同君がビールやら何やら持ちこんで来て、IさんJさんもやつて来て、愉快に飲む語る。
がちや/\が鳴き初めた。

 八月十二日[#「八月十二日」に二重傍線] 晴。

だいぶ落ちついた、身のまはりをかたづける。
夜、Nさん来庵。
生死に迷ふ。――

 八月十三日[#「八月十三日」に二重傍線] 晴。

空々寂々。

 八月十四日[#「八月十四日」に二重傍線] 晴。

捨身、一切を捨てろ、捨身には生も死もない[#「捨身には生も死もない」に傍点]。
――日暮而道遠、吾生既蹉※[#「足へん+它」、第3水準1−92−33]、――放逸無慚の過去がひし/\と迫る、ああ。
欝々として今日も過ぎ去るか。
マツチがなくなつたので――マツチのありがたさを今更のやうに感じる、――四日ぶりに街へ出かけた、S屋で一杯ひつかけたが、うまくなかつた、うまくない筈だ。
最後のもの[#「最後のもの」に傍点]がやつてくる。……

 八月十五日[#「八月十五日」に二重傍線] 晴。

今日も暑いことだらう、朝から汗が出る。
沈欝、ああたへがたいかな。
上海爆発! 爆発すべくして、たうとう爆発した。
午後、招待されて、宿直室に樹明君徃訪、久しぶりの会合であつた、酒とそうめん、風呂、ラヂオと新聞、いろ/\御馳走になつた。
おかげで熟睡。

 八月十六日[#「八月十六日」に二重傍線] 晴。

暑い/\、朝、はだかで御飯を炊いてゐるところへ、ひよつこりと斎藤さん来庵、閑談半日のよろこびを味ふ。
つく/\ぼうし、つく/\ぼうし。
泣菫の随筆を読む、おもしろいけれど、どことなく堅苦しい。

 八月十七日[#「八月十七日」に二重傍線] 晴――曇。

暗いうちに眼覚めて、すぐ起きる、しみ/″\秋を感じる。
私の秋だ[#「私の秋だ」に傍点]。
駅から万歳々々の喊声が聞える、ほんたうにすみません、すみません。
右の胸が痛い、先夜、酔うて転んだためである。
私を救ふものはたゞ疾病か[#「私を救ふものはたゞ疾病か」に傍点]!
寝苦しかつた、切ない夢の連続だつた。

 八月十八日[#「八月十八日」に二重傍線] 曇――晴。

けさも早起。
あぢきない日々[#「あぢきない日々」に傍点](この言葉は適切だ)がつゞく。
中支空爆の記事を読んでゐると、私の血も湧く。
ばら/\と日照雨、夕立はなか/\やつて来ない。
死の用意[#「死の用意」に傍点]、いつ死んでもよいやうに、いつでも死ねるやうに用意しておけ。
私は穀つぶし虫[#「穀つぶし虫」に傍点]に過ぎない、省みて恥ぢ入るばかりである。
一切が無くなつた[#「一切が無くなつた」に傍点]、――ひかり、のぞみ、ちからのすべてが無くなつてしまつた。
午後、暮羊君来訪、ついていつて新聞を読ませて貰ふ、そうめんの御馳走になつた。
文藝春秋、婦人公論を読む。
今夜も寝苦しかつた。

 八月十九日[#「八月十九日」に二重傍線] 晴。

たうぶん降りさうにもない、毎日、夕立が来さうで来ない、今日もばら/\の日照雨と遠雷だけだつた。
米がなくなつたので、六日ぶりに街へ、――M屋でコツプ酒二杯弐十四銭、I店で白米四升壱円四十銭、S屋で豆腐二十六銭。
胸が痛い、痛ければ痛いほど私は落ちつく、悲しい矛盾[#「悲しい矛盾」に傍点]である。
ずゐぶん暑苦しい日であつた、そして寝苦しい夜であつた。

 八月廿日[#「八月廿日」に二重傍線] 晴。

朝はまつたく秋だ、癈墟をさまよふやうな生存だ。
陰暦七月十五日、せつかくの月も雲があつて冴えなかつた、嫌な夢ばかり見つゞけた。
[#ここから1字下げ]
酔境、無是非、没得失。
生死空々、去来寂々。

水があれば、――米があれば、――そして酒があれば。――
[#ここで字下げ終わり]

 八月廿一日[#「八月廿一日」に二重傍線] 曇――雨――晴。

さびしくかなしく(銭がないせいばかりではない)。
久しぶりのよい雨であつた、めつきり涼しくなつた。
澄太君から、句集柿の葉[#「柿の葉」に傍点]発送の通知、澄太君ありがたう、ありがたう。
よい月夜、たうとうランプをつけないですました。

 八月廿二日[#「八月廿二日」に二重傍線] 曇――晴。

悪夢から覚めて直ぐ起きた、あまりに早かつたが。
語録を読む、先聖古徳の行持綿々密々なるにうたれる、省みて私は。――
文字通りの、米と塩だけになつた。
夕方、孤愁に堪へかねて四日ぶりに外出、散歩がてら駅まで行く、句集はまだ来てゐない、帰途M屋で一杯ひつかけ、折から昇る月を背負うて戻る。
徹夜不眠、幸にして三時頃新聞が来た。

 八月廿三日[#「八月廿三日」に二重傍線] 晴。

身心が暑苦しい。
句集到着、澄太君の友情そのものにぶつつかつたやうに、ありがたくうれしかつた。
午後、樹明君と暮羊君と来庵、酒を買うて祝して下さる。
句集を銭に代へて、久しぶりに山口へ行く、酔うて泊る。

 八月廿四日[#「八月廿四日」に二重傍線] 晴。

午前帰庵。
アルコールのおかげで動けない。……

 八月廿五日[#「八月廿五日」に二重傍線] 晴。

Kから来信、ありがたう。
句集刊行自祝の意味で、そしてまた、小郡に於ける最後の遊楽のつもりで、私としては贅沢に飲む、酔ふ、たうとう酔ひつぶれてしまつた、ぼうぼう、ばくばく、自我もなく天地もなし、一切空。

 八月廿六日[#「八月廿六日」に二重傍線] 晴。

急に思ひ立つて(旅費が出来たので)、九時の列車で九州へ下る。――
十二時、門司の銀行に岔水君を訪ねる、いつもかはらぬ岔水君、なつかしい岔水君だ、黎々火君にも逢うて食事を共にする、三時、警察署に青城子君を訪ねる、不在、堤さんも不在、さらに井上さんを訪ねて御馳走になる、鏡子居訪問、こゝでも御馳走になる、井上さんも鏡子君もしんせつにして下さる。
夜は三人で市街散歩、氷汁粉には閉口した、井上さんの宅にひきかへして、ビールを飲んで、泊めて貰ふ。

 八月廿七日[#「八月廿七日」に二重傍線] 晴。

暑い/\、朝湯朝酒。
青城子君、堤さん、鏡子君来訪、会談会食。
青城子君とは半年ぶりにうちとけて話し合つた、どうやらワダカマリも解けたらしい、青城子君よ、すまなかつた。
三時、お暇乞して、ぶら/\戸畑へ向ふ、途中、雲平居を訪ねる、夕飯をよばれる、雲平君の厚誼に感謝する。
多々桜君は折あしく宿直、そして子供さんが病気、早々辞去して駅前の宿屋に泊る。
関門地方は燈火管制で真暗だ、その闇の中を出征する光景はまことに戦時気分いつぱいだ。
至るところで[#「至るところで」に傍点]、友情が私の放逸を恥ぢ入らせる[#「友情が私の放逸を恥ぢ入らせる」に傍点]、私は何といふ愚劣な人間だらう[#「私は何といふ愚劣な人間だらう」に傍点]。

 八月廿八日[#「八月廿八日」に二重傍線] 曇。

早朝出立、朝酒をひつかけた元気で八幡まで歩く。
十二時前に飯塚着、伊岐須の健を訪ねる、二時間ばかり話して別れる。
三時すぎ、緑平居の客となる、病中の奥さんにはお気の毒だけれど泊めて貰ふ。
緑平老としみ/″\話す。……

 八月廿九日[#「八月廿九日」に二重傍線] 晴。

早起、話しても、話しても、話しきれないものがある。
十時の汽車で門司へ、岔水居に立ち寄る、若い奥さんがこゝろよく迎へて下さる。
飲む、話す、そして泊る、岔水君はいつもかはらぬ人だとつくづく思ふ、洗練された都会人だ。

 八月卅日[#「八月卅日」に二重傍線] 曇。

あまり品行方正だつたからか、たうとうからだをいためたらしい!
朝、お暇乞する。
埠頭で青島避難民を満載した泰山丸を迎へる、どこへ行つても戦時風景だが、関門はとりわけてその色彩が濃く眼にしみ入る。
役所に黎君徃訪。
正午、下関に渡り、映画見物はやめにして、唐戸から電車で長府の楽園地へ、一浴して一睡。
夕を待つて黎々火居を敲く、泊めて貰ふ。
今日も暑苦しかった。
さぞや戦地は辛からう。――

 八月卅一日[#「八月卅一日」に二重傍線] 晴。

黎君は早朝出勤、私はゆつくりして、歩いて長府駅から乗車、途中嘉川で下車、伊藤さんの宅に寄つて少憩、句集を発送する。
夕方帰庵、暮羊君ビールを持つて来庵。

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