月一日[#「九月一日」に二重傍線] 曇。

二百十日、関東大震災記念日。
アルコールなしで謹慎、追憶、懺愧。

 九月二日[#「九月二日」に二重傍線]――九月十日[#「九月十日」に二重傍線] 晴曇。――

彷徨、身心落ちつかず、やるせなさたへがたし。

 九月十一日[#「九月十一日」に二重傍線] 曇。

身辺整理。
人間を再認識すべく市井の中へ飛びこむ[#「人間を再認識すべく市井の中へ飛びこむ」に傍点]覚悟を固める、恐らくは私の最後のあがき[#「私の最後のあがき」に傍点]であらう。
五時の汽車で、樹明君と共に下関へ、――嬉しいやうな、悲しいやうな、淋しいやうな、切ない気持だつた。
七時すぎ下関着、雨が降るのでタクシーで、N家へ行く、こゝで私は人間を観やう[#「人間を観やう」に傍点]とするのである。
老主人といつしよに飲む、第一印象はよくもなかつたがわるくもなかつた。
私は急転直下した、山から市井へ、草の中から人間の巷へ。……
樹明君と枕をならべて寝る、君は間もなく寝入つたが、私はいつまでも眠れなかつた、万感交々至るとは今夜の私の胸中だ。

 九月十二日[#「九月十二日」に二重傍線] 曇。

朝早く起きる、新生活の第一日である。
三人同道して彦島へ渡る、材木の受渡方計算法を教へて貰ふ、それから門司へ渡つてM会社のU氏に紹介される、何もかも昨日と今日とは正反対だ。
夜、樹明君を駅に見送る、当分逢へまい、切ない別離だつた(樹明君も同様だつたらしい)。

 九月十三日 晴。

主人について彦島へ行き、材木の陸揚を手伝ふ。
算盤の響だ、まつたく六十の手習!
嫌な家庭だ(家庭とはいへない家庭だ)、夫、妻、子、孫、みんなラツフでエゴイストで、見聞するにたへない場面の連続だ。
街を歩いてゐたら、ヅケを見せつけられた、あそこまで落ちてしまつたら、どんなに人間もラクな動物だらう。
いたるところ戦時気分がたゞようてゐる。
月がよかつた。

 九月十四日[#「九月十四日」に二重傍線] 晴。

主人と共に門司行、請求書調製。
オヤヂのワカラズヤであるに驚く、彼はガムシヤラで世の中を渡る男に過ぎない。

 九月十五日[#「九月十五日」に二重傍線] 晴。

未明起床、主人仲仕連中といつしよに本船へ出かける、北海道松を受取るのである、慣れない船上徃来には閉口した。
菜葉服にゴム靴、自分ながら苦笑しないではゐられない。
昨日も今日も樹明君の友情に感泣する、それはありがたいともありがたい手紙であつた。
酒を飲まないでよく睡ることが出来た。

 九月十六日[#「九月十六日」に二重傍線] 晴。

雑務、主人のワカラナサ加減にウンザリする。
夕方たうとうカンシヤクバクハツ、サヨナラをする、サツパリした。
あるだけ飲む、酔ひつぶれてしまつた、善哉々々。

 九月十七日[#「九月十七日」に二重傍線] 晴。

地橙孫君徃訪、不在、ふと思ひついて、女学校に支草を訪ふ、句集を数冊売つて貰ふ。
関日社のH君を訪ねる、おでんやでしばらく話す。
夜は支草居徃訪。
H屋といふ宿は泊れるだけだが、安くて清潔で、遠慮がなくてよろしい。

 九月十八日[#「九月十八日」に二重傍線] 曇。

門司に渡つて、岔水君徃訪、さらに黎君徃訪。

 九月十九日[#「九月十九日」に二重傍線] 晴。

電車で黎々火居へ、いつしよに塩風呂にはいつてから別れる、一時の汽車で小郡へ、やれ/\やれ/\。

 九月廿日[#「九月廿日」に二重傍線]――十月八日[#「十月八日」に二重傍線]

晴れたり曇つたり、澄んだり濁つたり。――

 十月九日[#「十月九日」に二重傍線] 晴。

沈欝、そこらを散歩して、農学校に立寄り、樹明君から五十銭借りる、石油を買ひコツプ酒を呷る。
色即是空[#「色即是空」に傍点]、空即是色[#「空即是色」に傍点]、――私はこの境地に向ひつゝある、そこまで徹したいと念じる、現象に即して実在を観なければならないと思ふ[#「現象に即して実在を観なければならないと思ふ」に傍点]。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□俳句性は――
 表現上では、簡素[#「簡素」に傍点]、それは五七五の定型に限らない。
 内容についていへば、単純[#「単純」に傍点]、必ずしも季感を要しない。
□俳句は個性芸術[#「個性芸術」に傍点]、心境の文学[#「心境の文学」に傍点]である、そして人間そのものをうたふよりも自然をうたふ――自然を通して、自然の風物に即して人間を表現することに特徴づけられる、生活をうたふにしても、人間を自然として鑑賞する境地に立つてうたはなければならない。
 俳人は現実に没入しながらも、しかも現実を超越してゐなければならない。
[#ここで字下げ終わり]

 十月十日[#「十月十日」に二重傍線] 好い秋日和。

終日身辺整理、だん/\落ちついてきた。
私の好きな茶の花が咲きだした。
秋風の裏藪がざわめく。
今夜も眠れない。――

 十月十一日[#「十月十一日」に二重傍線] 晴。

秋暑し、おちついて読む。
熟柿がうまい、山の鴉もやつてきて食べる。
午後、ポストまで出かける、W屋で一杯。
道べりの蓼紅葉がうつくしい。
神保さんの妻君が子供を連れて柿もぎに来た、今年はだいぶなることはなつたけれど大方は落ちた、それでも籠にいつぱい百ぢかくあつたらう。
今夜は幸にして眠れた。
不眠は我儘な不幸である。

 十月十二日[#「十月十二日」に二重傍線] 雨、後晴。

ひとりしんみりと籠つてゐた。
整理しても、整理しても、整理しきれないものがある、それが私のなげきなやみ[#「私のなげきなやみ」に傍点]となるのだ、整理せよ、整理せよ。
――無くなつた、何もかも無くなつた、銭はもとより、米も醤油も、マツチまでも無くなつてしまつた。
[#ここから1字下げ]
私にあつては、酒は好き嫌ひの問題ではない、その有無が生死となるのである。
私が酒をやめようやめようと努めながらもやめることが出来ないのは、必ずしも私の薄志弱行ばかりではない。
酒は仏か鬼か。
とにかく私は酒と心中するのだ!
[#ここで字下げ終わり]

 十月十三日[#「十月十三日」に二重傍線] 曇。

早起、朝寒、火が恋しくなつた。
樹明君を訪ねる、新聞を読ませて貰ふ。
今日から国民総動員週間。
午後、街へ出かける、I店で米を借りる、Y屋で飲む(久しぶりの山頭火的飲ツ振だつた)。
夜は句集発送をかたづける、何でもないことだけれど、整理のあとのこゝろよさ。
今夜はほどよう睡れさうなのに、なか/\睡れなかつた。
事変句数首をまとめた。
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  今日の買物
一金六銭   菜葉二把
一金六十五銭 切手端書
一金十五銭  石油三合
一金五銭   線香
一金三十弐銭 なでしこ
一金九銭   味噌
一金十七銭  煮干
一金八銭   大根
  (大根一本七[#「七」に「マヽ」の注記]銭とは高いぞ)
[#ここで字下げ終わり]

 十月十四日[#「十月十四日」に二重傍線] 秋晴。

身心沈静。
今日は小学校の運動会、子供も親達もうれしさうにお辨当を持つて行く、日本晴で何よりだ、私までうれしい気分になる、まことに楽しい行[#「行」に「マヽ」の注記]中行事の一つである。
郵便局へ出かける、とてもうらゝかな日である、久しぶりに――四十余日ぶりに理髪、そして久しぶりに――十余日ぶりに入浴、身も心も軽くなつた、――二十八銭の保健的享楽[#「二十八銭の保健的享楽」に傍点]といへばいへるだらう!
途中で見つけた鮮人屑屋さんを連れて戻つて、古新聞と空瓶とを売る、金四十銭、これだけでもこの場合大いに助かる。
石蕗の花がぼつ/\咲きだした、野性味がある、下品なやうでおつとりしてゐる、私の好きな花の一つだ。
コスモスはやゝすがれ気味になつてゐる、優美そのものともいふべき花であるが、どういふものか、私はあまり好きでない。
松茸は今が出盛り、百目が二十銭乃至三十銭、今年は稲作が上出来なので、それと反対に不出来だといふ。
菜ツ葉を買うて来て、さつそく煮たり漬けたりする、うまいうまい!
今夜もまた一睡も出来なかつた、むろん近来昼寝なんかしやしない、不眠は情ないが、それに堪へる健康は有難い、私のは[#「のは」に「マヽ」の注記]不死身[#「不死身」に傍点]なのだらうか。……

 十月十五日[#「十月十五日」に二重傍線] 晴――曇――雨。

朝はなか/\寒かつた。
裏藪はまさに秋風、柿の落葉がうつくしうなる。
たよりいろ/\、ありがたし/\。
K店のマイナスを払ふことが出来たのはうれしい、マイナスを払つた気持のよさはマイナスに苦しんだものでないと解らない。
品行方正、どうやら落ちつけさうだ。
今夜はぐつすり睡れた、めづらしい熟睡だつた。
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人間は互に理解し理解せられること[#「理解し理解せられること」に傍点]を欲する、それは所有慾名聞慾でなくして真実心だ。
自由な自由律[#「自由な自由律」に傍点]! 私は自由律の自由を要求する。
[#ここで字下げ終わり]

 十月十六日[#「十月十六日」に二重傍線] 時雨。

けふもつゝましく。――
かへりみると、八月九月はきわめて多事多難だつた、自分で自分を殺すやうな日夜がつゞいた、そして死にもしないで、私はこの境地まで来た。……
身辺整理、何もかもかたづけて――まだ屋根と野菜畑とはかたづかないが――ほつとする、おちついてゆつたりした気持である。
濡れてポストまで、傘も帽子もなくなつたから!
一杯ひつかけたが、いつもほどうまくなかつた、後味もよくなかつた、戻つてから熟柿を食べて、どうやらさつぱりした、――これが本当ならありがたいうれしいと思ふ、同時にさびしくもかなしくも思ふ。
私は酒を飲む時はいつも一生懸命だつた、いのちがけで[#「いのちがけで」に傍点]飲んで飲んで飲みつぶれてゐたのである!
夜はのんきに古雑誌(それも主婦の友だ!)を読んでゐたが、どうしても睡れない、明方近くとろ/\としたが、すぐ覚めて起きた、不眠はたしかに罰だ[#「不眠はたしかに罰だ」に傍点]! なまけものにうちおろされる鞭だ!

 十月十七日[#「十月十七日」に二重傍線] 曇。

しづかなるかな。……
稲扱機のひゞきがなつかしくきこえる。
風、秋風だ、木の葉がちる。
秋寒、何となくうすら寒い。
炭屋まで出かける、火鉢がこひしうなつたのだ、火鉢に手をかざしてゐないとおちつきがわるい。
今夜はともかく眠れた、夢は多かつたが。

 十月十八日[#「十月十八日」に二重傍線] 晴、満月。

寒い、冷たい、冬が近いことを思はせる、今朝から火鉢に火をいける。
最近二ヶ月間の変化を考へると、私はしゆくぜんとする、自然も私もすつかり変化した。
うれしいたよりいろ/\、ことにアメリカからのそれはうれしかつた。
さつそく街へ出かけて買物をする、ありがたかつた。
久しぶりに独酌を味ふ、うまい、うまい。
暮れてから学校に樹明君を訪ねる(酒と焼茸とを携へて)、いつしよに散歩する、ほどよく酔うて、労れたのでI屋に泊る、よかつた、よかつた。

 十月十九日[#「十月十九日」に二重傍線] 秋空一碧。

早朝、同道して帰庵、酒もあり汁もあり飯もあつて幸福だつた。
何だか、忘れてしまつたやうな気がする、何もかもみんな忘れてしまへ!
山口へ行く、湯田で一浴、そして一杯、もつたいないことだ、私は「天下の楽人《ラクジン》」であらうか!
おとなしく戻つて、月を観て、しんみり睡つた。
方々へ手紙を書く。――
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私はこのごろ落ちついてはゐますが、もつと山ふかい里にひつこまなければ、しんじつ落ちつけないやうに思ひます、……どうなる私か、……老来いよ/\恥多く惑ひ多し[#「老来いよ/\恥多く惑ひ多し」に傍点]、です。……
[#ここで字下げ終わり]

 十月廿日[#「十月廿日」に二重傍線] 晴。

今朝も早くから、出征を見送る声が聞える、私はその声に聞き入りつゝ、ほんたうにすまない[#「ほん
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