たうにすまない」に傍点]と思ふ、合掌低頭して懺悔し感謝した。……
まことに日本晴、散歩する、山口へ行く、シヨウチユウのたゝりで動けなくなり、たうとうK旅館に泊つた。
泥酔の快! いたましい幸福だ。
十月廿一日[#「十月廿一日」に二重傍線] 晴。
どうやらかうやら払ふだけは払へた、歩いて帰る、秋色こまやかであつた。
昨夜、酔中に手帳を盗まれてしまつた、盗んだ者には何の価値もないけれど、盗まれた私は大いに困る。
信濃のHさんから、米と餅とを頂戴した、万謝、何と餅のうまいこと!
晩酌一本、上機嫌になつて、牧水の幾山河[#「幾山河」に傍点]を読む、面白い面白い。
まいばん良い月で、睡れても睡れなくてもうれしい。
十月廿二日[#「十月廿二日」に二重傍線] 晴れきつて雲のかけらもない、午後は少し曇つたが。
――戦争は、私のやうなものにも、心理的にまた経済的にこたえる、私は所詮、無能無力で、積極的に生産的に働くことは出来ないから、せめて消極的にでも、自己を正しうし、愚を守らう[#「愚を守らう」に傍点]、酒も出来るだけ慎んで、精一杯詩作しよう、――それが私の奉公である。
ぢつとしてはをれないほどの好天気である、そこらをぶら/\歩いて、学校に寄り新聞を読んで戻つた。
戦争の記事はいたましくもいさましい[#「いたましくもいさましい」に傍点]、私は読んで興奮するよりも、読んでゐるうちに涙ぐましくなり遣りきれなくなる。……
O主人が頼んで置いた松茸を持つて来て下さつた、早速、二包に荷造りして発送する、一つは緑平老へ、一つは澄太君へ(両君も喜んでくれるだらうが私も嬉しい)。
裏山逍遙、秋いよ/\深し。
松茸を焼いて食べ煮て食べる、うまいな、うまいな。
夜、久しぶりに暮羊君来庵、餅を焼き渋茶を沸かして暫らく話す、近々一杯やらうといふ相談がまとまる。
今夜もよい月夜だつた、しづかに読みしづかに寝る。
十月廿三日[#「十月廿三日」に二重傍線] 好晴。
澄みきつた空に朝月の清けさ、うつくしい秋景色。
飯がうまく頭が軽い、ほんに好い季節ではある。
鶲がやつて来て啼く、鵯も出て来て啼く。
ポストへ、――山の鴉がしきりに啼きさわぐ。
ちよいと一杯が三杯になつた! ほろ酔のこゝろよさ!
茶の花がうつくしい、熟柿もうまい。
またポストへ、そしてまた一杯! 嚢中無一文!
W老人から、ちしや苗とわけぎの球根を分けて貰うて植ゑる、安心々々。
夕方、約の如く暮羊君来庵、酒と新菊とを持つて、そして壱円投げだして飲まうといふ、応とばかりに街へ出かけて買物いろ/\、飲む、笑ふ、二十日月がほんのりとのぞいてきた、とてもおいしかつた、うれしかつた。
松茸と柚子と新菊との三重香[#「松茸と柚子と新菊との三重香」に傍点]、秋の香気が一碗の中にあつまつてゐる[#「秋の香気が一碗の中にあつまつてゐる」に傍点]、秋は匂ひだ、その匂ひの凝つたのが松茸の香であり、柚子の香である。
[#ここから1字下げ]
今日の買物
一金十銭 ハガキ
一金三十銭 酒
一金二十九銭 煮干
一金九銭 玉葱
一金四銭 大根
一金五十五銭 酒
一金六銭 豆腐
一金九銭 揚豆腐
一金十四銭 松茸
□小鳥のおもひで
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□田雀――
□渡り鳥――
□雲雀の巣――
□眼白――
[#ここで字下げ終わり]
十月廿四日[#「十月廿四日」に二重傍線] 今日も好晴。
おかげでぐつすり睡れて、早く眼が覚めた、ランプをともして読書してゐるうちに、鶏が啼き、お寺の鐘が鳴り、会社のサイレンが鳴る、すぐ起きる、明星はだいぶ昇つてゐるが、山の端がうつすら明るいだけ、しかし、朝月が冴えてゐるので暗くはない、――昭和十二年十月二十四日といふ今日の好き日をことほぐ。
世はさま/″\人はいろ/\だとつく/″\思ふ、たとへば、こんどの句集についても、申込んで来たので送つてあげたのに、礼状さへもよこさ人[#「さ人」に「マヽ」の注記]がずゐぶん多い、そしてさういふ人はたいがい青年らしい(私がかうまで憤慨するのも自分に関した事柄であり、物質的なこだはりがあるからかも知れない、お互、反省しよう)。
――おかげさまで[#「おかげさまで」に傍点]、――といふ言葉は尊い、私たちが飲食するのも読書するのも散歩するのも、すべて生きものが生きてゐるのは、みんな何かのおかげ[#「何かのおかげ」に傍点]である、その何かに感謝し報恩したいと努めることに人生の意義がある。
例によつてポストまで、学校で新聞を読み樹明君に会ふ。
路傍の草の中で仔猫が断末魔の悲鳴をあげてゐた、胸が痛くなつた。
樹明君を待ちつつ支度をする、今日もまた松茸に豆腐のチリだ、待ちきれないで一杯やつてゐると、めづらしくも女と子供の声が山の方へ行く、何ともいへない秋日和である。
三時頃、樹明君やうやく来庵、お土産として若鶏の肉、おいしかつた。
おもしろかつた、よかつた、うれしかつた、万歳!
酒と肉とがからだいつぱいになつたやう、私の肉体は不死身みたいに変態的だ(精神が変質性であるやうに)。
年をとつて、とかく物忘れ[#「物忘れ」に傍点]するやうになつた、それがあたりまへであり、そしてわるくないとは思ふが、何だかさびしくないでもない、やつぱり年はとりたくないものだ。
今夜はなか/\寝つかな[#「かな」に「マヽ」の注記]かつた、なんどもランプをつけたり消したりした。
更けてからの月が良かつた。
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今日の御馳走
一金七十銭 酒
一金弐十一銭 松茸
一金九銭 豆腐
〆金壱円也、あるたけ!
[#ここで字下げ終わり]
十月廿五日[#「十月廿五日」に二重傍線] 晴――曇。
けさも早起、朝景色のよろしさを心ゆくまで観賞する、生きてゐることのよろこび[#「生きてゐることのよろこび」に傍点]を感じる。
たよりいろ/\、アメリカの大月君からはうれしい手紙を貰つた、名古屋の森君からは長良川の鮎の粕漬を頂戴した。
今更ながら、買ひ被られる心苦しさ[#「買ひ被られる心苦しさ」に傍点]、見下げられる気安さ[#「見下げられる気安さ」に傍点]を思ふ。
散歩がてらポストへ、――櫨紅葉が日にましうつくしうなる、野菊が咲きだした、龍膽も咲いてゐる、……秋は野に山にいつぱいだ[#「秋は野に山にいつぱいだ」に傍点]。
おいしい昼餉をいたゞく。
何と敏感にして、そして手足不自由な秋蠅よ。
午後、湯屋へ、ばら/\雨に濡れながら。
今日は宮市の花御子祭[#「花御子祭」に傍点]ださうな、昔なつかしいおもひにうたれる。……
おだやかな夕焼、よき眠あれ。
[#ここから1字下げ]
┌Over value
└under value
[#ここで字下げ終わり]
十月廿六日[#「十月廿六日」に二重傍線] 今日も快晴。
たよりいろ/\、いづれもうれしいが、とりわけて、アメリカのOさん、イキス[#「キス」に「マヽ」の注記]のKからのはうれしかつた。
うれしいこと、かなしいこと、さびしいこと。
払へるだけ払ひ、買へるだけ買ふ、――それからまた、散歩、湯田へ、飲む、酔ふ、泊る。
十月廿七日[#「十月廿七日」に二重傍線] 晴。
Fで飲む、アルコールなしでは夢がなさすぎる私の生活だ!
あちらこちら彷徨、今夜も湯田泊。
[#ここから1字下げ]
○流転しながらも安定を失はざれ。
○動中静。
○謙遜であれ、自他に対して。
[#ここで字下げ終わり]
十月廿八日[#「十月廿八日」に二重傍線] 曇。
ぼう/\として、歩いて戻る、……いつものやうに、つゝましく、わびしく。……
十月廿九日[#「十月廿九日」に二重傍線] 曇。
降りさうで降らない、だん/\晴れる。
――生死の問題がこびりついて離れない、死を考へるはそれだけ生に執着してゐるのだ、生死超脱[#「生死超脱」に傍点]の境地には生死の思念はないのだ。――
十月三十日[#「十月三十日」に二重傍線] 雨――曇。
久しぶりの雨、秋らしくしよう/\と降る。
身心沈静。
迷悟共に放下せよ[#「迷悟共に放下せよ」に傍点]、一切空に徹せよ[#「一切空に徹せよ」に傍点]。
山野逍遙遊、雑木紅葉のうつくしさ、秋の野草のうつくしさ。
菊の花のよろしさは、りんだうのよろしさは。
純真[#「純真」に傍点]と情熱[#「情熱」に傍点]と、そして意力[#「意力」に傍点]と。
十月卅一日[#「十月卅一日」に二重傍線] 曇。
たよりはうれしい、木の葉がうつくしいやうに。
散歩、一杯また一杯、一歩一杯[#「一歩一杯」に傍点]とでもいはうか。
樹明君の案内を受けたので、農学校の運動会へ出かけたが面白くないので(私はスポーツ、一切の勝負事に興味を失つてゐる)、早々帰庵して読書。
生きものが――むろん人間が――私が――生きてゆくことはなか/\むつかしい、木の実草の実を食べて、それですむならばどんなにラクだらう、などゝ考へる。
閑居句作[#「閑居句作」に傍点]、その外に私の生きる道があるかよ。
読みたい本があつて、そして酔へる酒[#「酔へる酒」に傍点]があるならば、そこは極楽だ。
十一月一日[#「十一月一日」に二重傍線] 曇、時雨。
早起、安静。
詩作報国[#「詩作報国」に傍点]をおもふ、日本を歌へ[#「日本を歌へ」に傍点]! 歌はなければならない[#「歌はなければならない」に傍点]。
純情[#「純情」に傍点]を失ふなかれ、正直であれ、自他に対して。
散歩がてらポストへ。
――ふらふら湯田をさまよふた、そして自分をなくしてしまつた。――
[#ここから1字下げ]
自己否定か。
自己破壊か。
自己忘却[#「自己忘却」に傍点]か。
[#ここで字下げ終わり]
十一月二日[#「十一月二日」に二重傍線] 三日[#「三日」に二重傍線] 四日[#「四日」に二重傍線] 五日[#「五日」に二重傍線]
飲んだ、むちやくちやに飲んだ、T屋で、O旅館で、Mで、K屋で。……
たうとう留置場にぶちこまれた、ああ!
十一月六日[#「十一月六日」に二重傍線] 七日[#「七日」に二重傍線] 八日[#「八日」に二重傍線] 九日[#「九日」に二重傍線]
南京虫に苦しめられた、それよりも良心に責められた。
南京虫よりも劣つた私だ、何といふ醜悪!
検事局にまはされ、支払を誓約して解放された。
歩いて戻つた。――
十一月十日[#「十一月十日」に二重傍線] 曇。
白紙になつて生きよう[#「白紙になつて生きよう」に傍点]、すなほに一切を受け入れよう[#「すなほに一切を受け入れよう」に傍点]。
嘘をいふな[#「嘘をいふな」に傍点]、善いことも悪いことも、他人に対しても、自分に対しても。
心気透明、澄みわたる心が刃物のやうに冴えかへる。
十一月十一日[#「十一月十一日」に二重傍線] 曇。
身心きわめて沈静。
悲しい手紙を書きつゞける。
非国民、非人間のそしりは甘んじて受ける。
胸が痛い、心が痛い。
かへりみてやましい生活ではあつたが[#「かへりみてやましい生活ではあつたが」に傍点]、かへりみてやましい句は作らなかつた[#「かへりみてやましい句は作らなかつた」に傍点]、それがせめてものよろこびである。
最後の場面[#「最後の場面」に傍点]、山頭火五十五年の生涯はたゞ悪夢の連続に過ぎなかつた[#「山頭火五十五年の生涯はたゞ悪夢の連続に過ぎなかつた」に傍点]。
緑平老よ、澄太君よ、赦して下さい、健よ、悲しまないでくれ。
十一月十二日[#「十一月十二日」に二重傍線] 晴。
朝早く、樹明君来庵、何だか形勢おだやかでない、先日来の出来事を告白する。
堪へがたい憂欝に堪へてゐるところへ、N君来訪、冷静に現在の自分を暴露する。
N君の好意を受けて、久しぶりに酒盃をとりかはす、すこし酔うて、いつしよに街へ出かけて、Mでしばらく遊んでから別れる、帰庵して残りの酒を飲みながら考へてゐると、酔樹明君があやしげな女を連れて来た、けつきよく、また連れ出されて、その女の許に泊つてしまつ
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