た。……
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虚心[#「虚心」に傍点]。――
生死を超越した生死、是非を超越した是非、得失を超越した得失。
色即空[#「色即空」に傍点]、空即色[#「空即色」に傍点]。
煩悩を離れて人間は存在しない、存在することは出来ないけれど、人間は煩悩に囚へられてはならない、煩悩を御するところに生活がある。
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十一月十三日[#「十一月十三日」に二重傍線] 曇。
その翌朝だ、――何といふ悲しい現実だ。
Kさんからの手紙が私を悲しませる。
鶲よ、お前もさびしい鳥だね。
ぢつとしてゐるに堪へきれなくなつて散歩する、阿知須まで行つた、その塩風呂はよかつた、中食もうまかつた、夕方帰庵して、めづらしく熟睡をめぐまれた。
十一月十四日[#「十一月十四日」に二重傍線] 晴――曇。
沈静、待つものは来ないけれど。――
土に還る[#「土に還る」に傍点]、――ああ!
身辺整理。
みそさゞいが来て、さびしい声で啼く。
夕、ポストまで出かける、ついでに理髪する、そして一杯やる、この一杯は最後の一杯[#「最後の一杯」に傍点]となるかも解らない。
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“I am a rolling stone !”
もう地団太ふんではゐない。
尻餅をついたのだ!
[#ここで字下げ終わり]
十一月十五日[#「十一月十五日」に二重傍線] 晴。
うらゝかな日ざしが身ぬちにしみとほる。
私は最後の関頭に立つてゐる、死地に於ける安静!
身辺整理、いつでも死ねるやうに。――
健から電報為替が来た、おお健よ、健よ、合掌。
樹明君に一書を託し置き、直ぐ山口へ急ぐ、どうにかかうにか事件解決、ほつとする、ぐつたりして一風呂浴びてから一杯ひつかける、のんびりとS屋に泊つた。
純真であることの外に私の生きてゆく道はない[#「純真であることの外に私の生きてゆく道はない」に傍点]。
十一月十六日[#「十一月十六日」に二重傍線] 曇――晴。
朝、無事帰庵。
昨日の私、そして今日の私。――
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私も此事件を契機として断然更生します、作詩報国の心がまへで、余生[#「余生」に傍点]を清く正しく美しく生きませう。
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酒を慎まう、自分を育てよう、ほんたうの山頭火を表現[#「ほんたうの山頭火を表現」に傍点]しよう。
信濃のH君から蕎麦粉と粟餅とを頂戴した、うれしかつた。
十一月十七日[#「十一月十七日」に二重傍線] 晴。
身心安静。――
今日は陰暦で十月十五日、宮市天満宮の神幸祭である、おもひではつきない、共に裸坊[#「裸坊」に傍点]となつておもしろがつたA君はどうしてゐるだらう?
午後、Nさん来訪、無事[#「無事」に傍点]を喜ぶ(意味深長な一句だ)、見送りがてら、散歩がてら、石油買ひがてらに新町まで同道する、折から展開される演習を観る(何十年ぶりかで)。
戦争記事は私を憂欝にする、しかも読まずにはゐられない、読みつゝ道徳的苛責[#「道徳的苛責」に傍点]を感じる、非国民のそしりを甘んじて受ける私であるが、しかも非国民であることには安んじ得ない私である。
とてもよい月夜だつた、ぢつとしてゐると、宮市のお祭のどよめきが聞えるやうだ、私はひとりさみしく耳を澄ましてゐた。
夢を見た、はかない夢であつた、恥づかしい夢でもあつた、血肉のつながりの微妙さ[#「血肉のつながりの微妙さ」に傍点]を此事件に於て味ふた、血肉は切つても切れない、切れば血が出る、その血は時としてあまりねばりづよくてあさましくなるが。……
即かうとすれば離れる、離れたいのに即く、これが人間の、ことに私の癖だ、実際生活に於ける私の態度は不即不離[#「不即不離」に傍点]でありたい、言葉は古いけれど、意味は新らしい、私は人及物[#「人及物」に傍点]――就中[#「就中」に傍点]、酒[#「酒」に傍点]――に対して不即不離でなければならない[#「に対して不即不離でなければならない」に傍点]。
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実際生活を一点に集約すると、食べること[#「食べること」に傍点]、になると思ふ。
食べることは最も大切で、最も愉快で、神聖[#「神聖」に傍点]といふべきである。
[#ここで字下げ終わり]
十一月十八日[#「十一月十八日」に二重傍線] 曇――晴。
未明起床、演習の砲声が私を考へさせる。
しだいに憂欝が身ぬちにひろがつて堪へがたくなる、散歩、雑木紅葉がうつくしい、櫨紅葉は目さむるばかりである、生きてゐることの幸福[#「生きてゐることの幸福」に傍点]がほのかに湧いてくる。……
友が恋しい、逢ひたい、緑平老、澄太君から音信がないのが気にかゝる、先日の手紙は君ら二人を共に失望させ腹立たせたに違ひない、私が私に愛想をつかすほどだから、君らが私に愛想をつかすのもあたりまへだ、が、それにしても私はあきらめきれない、私はまたと得がたい尊い心友のどちらをも失ふたのだらうか、私はやるせない悔恨に責められてゐる。……
暮れて風が吹きだした、月はかう/\とかゞやいてゐる、何だか寂しくてやりきれないので、或る人へ手土産のつもりで買つて置いた外郎を食べる、なつかしい味だ。
眠れない、眠りきれない。――
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上手下手の境[#「上手下手の境」に傍点]を早く通りぬけたい。
よいとかわるいとかいふ批評を許さない境地に到達したい。
[#ここで字下げ終わり]
十一月十九日[#「十一月十九日」に二重傍線] 曇。
寒うなつた、冬らしく風が吹く。
沈欝、時として、天地に向つて慟哭したいやうな気持におそはれる、それは持病ともいふべきオイボレセンチではない。
私は隠遁生活[#「隠遁生活」に傍点]にはいらう(今までもさうでないことはなかつたけれど)、そして孤独に徹しなければならない[#「孤独に徹しなければならない」に傍点]、それが私の運命だ。
今夜はいつもよりよく眠れた。
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自律心[#「自律心」に傍点]をなくしてしまふ自分を悲しむ。
自律力[#「自律力」に傍点]のない自分を鞭打つ。
アルコールのない生活。
悔のない生活[#「悔のない生活」に傍点]。
自他を欺くなかれ。
自分に佞り他人に甘えるなかれ。
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十一月廿日[#「十一月廿日」に二重傍線] 晴。
空も私もしぐれる。――
茶の実を採る、アメリカの友に贈るべく。
――私は躓いた、傷いた、そして、しかも、新らしい歩み[#「新らしい歩み」に傍点]を踏み出したのである(その歩みが溌剌颯爽たるものでないことはあたりまへだ)。――
読書、私には読書が何よりもうれしくよろしい、趣味としても、また教養としても、私は読書におちつかう[#「私は読書におちつかう」に傍点]。
信濃の松郎君から頂戴した蕎麦粉を掻いて味ふ、信濃の風物がほうふつとしてうかんでくる。
午後、ポストまで散歩、このごろの散歩は楽しい。
寝苦しかつた。
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自問自答(一)
――自殺について――
死ねるか。
死ねる。
いつでも死ねるか。
いつでも。――
死にたいか。
死にたいといふよりも生きてゐたくないと思ふ。
どうして?
性格破産の苦悩[#「性格破産の苦悩」に傍点]に堪へきれないのだ。
古くさいな!
古い新らしいは問題ぢやない、ウソかホントウか[#「ウソかホントウか」に傍点]、それが問題だ。
それもよからう。
……ウソがホントウになり[#「ウソがホントウになり」に傍点]、ホントウがウソになる[#「ホントウがウソになる」に傍点]。
私の生活はメチヤクチヤだ。
それで。――
生活難ぢやない、生存難だ、いや、存在難[#「存在難」に傍点]だ! 生きる死ぬるの問題以前の問題だ。
[#ここで字下げ終わり]
十一月廿一日[#「十一月廿一日」に二重傍線] 時雨。
めつきり冬らしくなつた。
めつたにないことであるが、頭が重苦しい、断酒五日[#「断酒五日」に傍点]にわたるせいかも知れない。
終日無言[#「終日無言」に傍点]、時雨を聴き枯草を観る[#「時雨を聴き枯草を観る」に傍点]。
林五君に、そして緑平、澄太、比古の三君に懺悔謝罪状を送る。……
天蒼々地茫々、そして人漠々。
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林伍君に――
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――所詮、無能無力、そして我がまゝ気まゝ、これでは苦しむのがあたりまへでせう、みんな身から出た錆で、どうしようもありません、人生は苦悩の連続ですね。――
[#ここから2字下げ]
緑平、澄太、比古君に――
[#ここから4字下げ]
――辛うじて非国民非人間の泥沼から立ちあがることが出来ました、前後截断、余生をつゝましくうつくしく生きぬく覚悟であります、既徃重々の悪業、改めて謝罪いたします。
百舌鳥するどく
酔ひざめの身ぬちをつらぬく
[#ここで字下げ終わり]
十一月廿二日[#「十一月廿二日」に二重傍線] 晴、時々曇る。
安静、そして憂欝。
ともすれば死の誘惑[#「死の誘惑」に傍点]を感じる、しんじつほんたうに、まつたく落ちついてゐないからだらう。
柚子味噌をこしらへる、たいしてうまいものではないけれど、純日本的な味がある(こしらへ方も日本的だ)。
十一月廿三日[#「十一月廿三日」に二重傍線] 曇。
寒い風が吹く、雪でも降りさうな。
水仙を活ける、ことしはあたゝかいので早く蕾をもつた、私は日本水仙[#「日本水仙」に傍点]の清純を愛する、色も香も気高い。
忠彦君へ詫状を書く、強いて詫びなくてもよいのだが、詫びなくては、私の気がすまないのである、忠彦君よ、早く元気になりたまへ、そしていつしよに人生を楽しみませう[#「いつしよに人生を楽しみませう」に傍点]。
今日此頃の私は転身一路の安静[#「転身一路の安静」に傍点]である、人間は、ことに私のやうなものは、落ちるところまで落ちないと落ちつけないらしい。
自分をごまかすな[#「自分をごまかすな」に傍点]、どんな場合でも。
快食は出来る、快眠が出来ない、修行が足らないのだ。
午後は散歩する、M屋に寄つて一杯また一杯(一週間ぶりの酒だけれど、あまりうまくなかつた)、それからついでにK店に寄つてなでしこ[#「なでしこ」に傍点]を借りて帰つた。
酒も煙草もなか/\やめられないが、どうやら酒が水になりさう[#「酒が水になりさう」に傍点]である。
米[#「米」に傍点]と味噌[#「味噌」に傍点]と炭[#「炭」に傍点]と石油[#「石油」に傍点]と、そして本[#「本」に傍点]と、そして酒[#「酒」に傍点]と煙草[#「煙草」に傍点]と、そして。――
新古今を読みつゞけた、その技巧には感服する、しかし私はさういふ歌を作らうとは考へない、やつぱり万葉がよい、そこには掬めども尽きないものがある。
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一、社会的自覚 人間として
一、国民的自覚 日本人として
一、個人的自覚 俳人山頭火として
自然と不自然[#「自然と不自然」に傍点]
[#ここから3字下げ]
自然らしい不自然
不自然らしい自然
私の場合
[#ここで字下げ終わり]
十一月廿四日[#「十一月廿四日」に二重傍線] 曇。
寝苦しかつた夜が明けて陰欝な日が来た。
身心整理[#「身心整理」に傍点]。――
みそさゞいが寒さうに啼く、その声は私の声ではあるまいか、私の句はその声のやうなものだらう。
裏山逍遙、あゝ山は美しいと讃嘆しないではゐられなかつた、山はほんたうに美しく装ひしてゐる。
此頃は毎朝、有明の月がさやかである、その月を仰いで、私は昨夜見た夢を恥づかしく思つた。
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自問自答(二)
――(生死について)――
『生死を超越したる生死』
[#ここで字下げ終わり]
十一月廿五日[#「十一月廿五日」に二重傍線] 晴。
冬らしい冷たさ、朝寒夜寒であるが。
午前中はうらゝかだつたが、午後はうそ寒かつた。
――ほろびゆくものゝうつくしさ[#「ほろびゆくものゝうつくしさ」に傍
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