ゝなかれ。
金銀にまよふなかれ。
米を、酒を、水を、魚を味へ。
物そのものの[#「物そのものの」に白三角傍点]味。――
[#ここで字下げ終わり]

 七月二日[#「七月二日」に二重傍線] 晴――曇。

今朝は私も早く起きたが新聞の配達も早かつた。
落ちついて読書、其角、嵐雪鑑賞。
午後は裏山を逍遙する、心臓の弱さを痛感する。
小松二本、俳句二章を拾ふた。
すつかり夏日風景になつた。
岔水君から奥さんお手製の折紙を送つて来た、曰く鮹の道[#「道」に「マヽ」の注記]、曰くコン助、曰くピヱロ、これも庵中無聊を慰めてくれる。
夕方、Nさん来庵、閑談暫時、ほいなくそのまゝさよならをする。
[#ここから1字下げ]
句作の道は、生活の純化[#「生活の純化」に傍点]にある。
志すところは無我境逍遙[#「無我境逍遙」に傍点]である。
[#ここで字下げ終わり]

 七月三日[#「七月三日」に二重傍線] 好晴。

眼が覚めるとすぐ起きた、火を焚きつけたり掃除したりしてゐるうちに明けてきた。
読書三昧。
其角の作はうまいとは思ふけれど、芭蕉の句のやうに身にせまり心をうつもの[#「身にせまり心をうつもの」に傍点]がない、私は其角を好かない、去来を好く。
――みんないつしよに――草も木も虫も鳥も――朝の歌[#「朝の歌」に傍点]をうたはう。――
まことに好季節[#「好季節」に傍点]、私は夏を礼讃する、夏は貧乏人でも暮らしよい、年寄でも凌ぎよい。
――どうせ野ざらし[#「野ざらし」に傍点]の私であらうことは覚悟してゐる、せめて野の鳥や獣のやうに[#「野の鳥や獣のやうに」に傍点]死にたいものである。――
菜園に肥料を与へたり害虫を殺したりする、何かと考へさせられることが多い。
――私のやうな人間が、涼風に臥してのんびりしてゐることは、ほんたうに勿躰ない、省みて慎しまなければならない私[#「省みて慎しまなければならない私」に傍点]である。――
自堕落に身を持ちくづした私で、さういふ私だつたから、規律の尊さ[#「規律の尊さ」に傍点]が身にしみてきたのであらう。
午後はそゞろあるき、ポストを口実にしてM店まで出かけて一杯二杯、ほんにサケノミはいやしい。
凝心[#「凝心」に傍点]はよい、時には放心[#「放心」に傍点]もよい。
夢いろ/\、夢は覚えてゐてもすぐ忘れてしまふからうれしい。

 七月四日[#「七月四日」に二重傍線] 曇つたり晴れたり。

曇ると梅雨はまだすまないと思ひ、晴れると梅雨はもうあがつたなと思ふ、――人間の気分のうごきは妙なものである。
閑寂[#「閑寂」に傍点]をしみ/″\味ふ。
菜園観賞。――
郵便が来ない、寂しいなあ。
ありつたけの米――三合ばかり――を炊く。
畑人よ、そんなに馬を叱るな。
山の方で鳶がしきりに鳴く、哀切な声だ。
一杯やりたいなと考へてゐるところへ、どうだらう、敬君来訪、いつしよに出かける、樹明不在、F屋で飲む、S君も仲間入、そこへまたどうだらう、樹明君加入、ビール、サイダー、酒、トマト、刺身、バナナ、ゲイシヤガール、アアソレナノニ、――それから、それから、それから、……十時頃ダツトサンで帰庵、敬君宿泊、ぐつすり睡れたが不快なものがあつた。

 七月五日[#「七月五日」に二重傍線] 曇、時々雨。

二人とも朝飯なしでお茶をすする。
敬君は九時のバスで県庁へ、私は読書。
身心重苦しい、死なゝいから生きてゐる[#「死なゝいから生きてゐる」に傍点]、――といつたやうな存在。
飯がない、米がない、袋を持つて、学校に樹明君を訪ね、米を貰つてくる、これで当分は安心。
甘草(カンゾウ?)が咲いてゐたので生ける、忘れ草[#「忘れ草」に傍点]といふ名は気に入つた、何もかもみんな忘れてしまへ。
暑い、蒸暑い、遠く雷鳴、いよ/\梅雨もあがるらしい。
無知の世界[#「無知の世界」に傍点]か、無恥の生活[#「無恥の生活」に傍点]か。――
放下着、――善悪是非も利害得失も生死有無もいつさいがつさいみんないつしよに。――
菜園にて――
[#ここから2字下げ]
山頭火が猿葉虫を殺しつゝ、「外道め」
猿葉虫は殺されつゝ(叫ぶだらう!)「人間の奴め」
[#ここで字下げ終わり]
宇宙は生々流転する、――昨日の彼は明日の私だらう。
嵐雪の句はうまくて好きである。

 七月六日[#「七月六日」に二重傍線] 曇。

明けるのを待ちかねて起きる、虫がしきりに鳴いてゐる、流転の相[#「流転の相」に傍点]として一切を観ずる、万物は変化のあらはれ[#「変化のあらはれ」に傍点]である。
郵便は来たけれど、――失望。――
ポストへ、焼酎一合、豆腐二丁。
パイ一の世界[#「パイ一の世界」に傍点]はうれしい!
時知らず大根を播く、こんどはうまく大根になつてくれるやうに。
久しぶりに豆腐を味ふ。
蠅を打つにも、全心全力で打てば、めつたに打ちそこなうことはない。
みん/\蝉が鳴きだした、まだ短かくて下手だが私の好きな声だ。
寝苦しい。……
[#ここから1字下げ]
┌くよ/\せずに事を運べ。
└けち/\せずに物を尊べ。
[#ここで字下げ終わり]

 七月七日[#「七月七日」に二重傍線] 曇――晴。

七夕祭、山口は賑ふだらう、湯田へ行きたいがバス代なし。
正法眼蔵拝読。
I家の人から馬鈴薯を貰ふ、私は薯類をあまり好かないけれど、それを下さる人情をありがたく頂戴する。
ハダカになりだした、世の中ハダカでよいわいな。
午後、油買ひに、いつものおぢいさんおばあさんの店で、焼酎一杯ひつかける、十二銭天国[#「十二銭天国」に傍点]だ。
まことにこれやこの酒仏飯仏そして水仏[#「酒仏飯仏そして水仏」に傍点]。
夜は芭蕉俳句鑑賞。
芭蕉はやつぱり偉大な詩人であつたと痛感する。
[#ここから4字下げ]
泥落し[#「泥落し」に白三角傍点]
 農村年中行事の一つとして
[#ここで字下げ終わり]

 七月八日[#「七月八日」に二重傍線] 晴、時々驟雨。

夏の朝のよろしさ、みん/\蝉のよろしさ。
身辺整理、掃除したり洗濯したり。
昼も夜も漫読する。
午後、夕立らしく降る、雷鳴はげしく、二句おとしていつた。
街の風呂にはいつて欝魂を洗ふ。
暑い、暑い。
夕御飯はシヨウユウライス!
ほんに、ほんに、ぐつすりと寝た、近頃めづらしい熟睡だつた。
[#ここから1字下げ]
○魂の詩
○印象を離れないで印象を超えたるものの表現――暗示――象徴
[#ここで字下げ終わり]

 七月九日[#「七月九日」に二重傍線] 曇、雨をり/\。

澄み徹る寂しさ[#「澄み徹る寂しさ」に傍点]。――
其中一人、まつたく無言。

 七月十日[#「七月十日」に二重傍線] 曇、微雨。

鼠がやつてきたらしい、庵主自身食べるものは此頃は塩だけしか残つてゐないのに。……
塩を味ふ[#「塩を味ふ」に傍点]、飯そのものの味[#「飯そのものの味」に傍点]。
落ちついて読書。
北支那の形勢不穏、私は人知れず憂慮する。
桔梗がいちはやく一輪咲いた。
めづらしく裏山からホトトギスの声。
午後、ポストへ、ついでに入浴、ぢつとこらへてゐたがこらへきれなくなり、M店へまはつてちよいと一杯!
夜、Nさん来訪、くらがりで閑談しばらく。

 七月十一日[#「七月十一日」に二重傍線] 曇。

おもひだしたやうに時々ふる。
早起、日記をつけてゐるところへ、樹明君がさうらうとしてやつて来た、その素振があたりまへでない、また脱線沈没したのだらう、かなしくなる、しばらく寝たり起きたりしてゐたが、さうらうとして帰つていつた、さびしいな。
此頃は郵便も来ないのか!
プチブル奥さんの会話を聞くともなく聞く、――このごろは食べられないで困ります、食べい食べいといはれるんですけど、――私は考へる、――私は食べられて困る、なるたけ小食でありたいと思ふのに大食して困る、――どちらがほんたうか、どちらが幸福か。――
新聞を読んでゐると、自殺者心中者が多いのに胸をうたれる、生きてゐる生甲斐のある世の中でもないけれど、死んでしまへばそれまでだ。
午後、ポストへ、ついでにすこし散歩する、新町へまはつて、ちよつくら一杯!
あまり寂しくて、やりきれないので、澄太君と緑平老とへたよりを書く。
夜はしづかに寝た。
[#ここから1字下げ]
私の境涯は――
山頭火即俳句だ[#「山頭火即俳句だ」に傍点]。
俳句即山頭火[#「俳句即山頭火」に傍点]とはうぬぼれていないが(それほど省察を忘れてはゐない)。
[#ここで字下げ終わり]

 七月十二日[#「七月十二日」に二重傍線] 雨、そして晴。

降つた降つた、漏つた漏つた。
今日も塩だけで。――
鬼百合を活ける。
午後は晴れた。
I店で米を借りる、M店で一杯。
とかく気持が虚無的になる[#「とかく気持が虚無的になる」に傍点]、虚無に徹するより外はあるまい[#「虚無に徹するより外はあるまい」に傍点]。
[#ここから3字下げ]
┌自然    ┌人間
└人生    └虫
[#ここから1字下げ]
  ┌象徴的把握┐
印象│     │生活感情
  └写実的表現┘
[#ここで字下げ終わり]

 七月十三日[#「七月十三日」に二重傍線] 晴――曇。

朝の光――蛙の合唱、蝉の歌、きり/″\すのうた。
盆が来た、とてもさびしい盆である。
衆生の恩[#「衆生の恩」に傍点]を思ふ、それを忘れさへしなければ堕落し切ることはない。
裏山逍遙。
ほどよい枯竹が見つかつたので火吹竹をこしらへる、ずゐぶん現代ばなれの所作だ。
夜は芭蕉再鑑賞。
寝苦しかつた、いつまでも睡れなかつた。
飯と塩[#「飯と塩」に傍点]、それだけで今日も暮らした。

 七月十四日[#「七月十四日」に二重傍線] 曇、時々降る。

何よりも早く起きた、そして。――
朝は正法眼蔵拝読。
さびしいな、こらへきれないで出かける、Mで酒を、Kで煙草を借りて戻る、ありがたい。
[#ここから2字下げ]
言はむすべ為むすべ知らに極りて貴きものは酒にし有るらし(大伴旅人)
[#ここで字下げ終わり]
今日、読んだものの中で、この歌に心をひかれた。
初めてうちの胡瓜[#「うちの胡瓜」に傍点]を食べる、うまかつた、うれしかつた。
先日から塩飯[#「塩飯」に傍点]を食べつゞけてゐるので(時々般若湯を飲むけれど)、身清浄心寂静[#「身清浄心寂静」に傍点]を感じる。
北支の形勢はいよ/\切迫した、それは日本人として大陸進出の一動向である、日本の必然[#「日本の必然」に傍点]だ、それに対して抵抗邀撃するのは支那の必然[#「支那の必然」に傍点]だ、ここに必然と必然との闘争[#「ここに必然と必然との闘争」に傍点]が展開される、勝つても負けてもまた必然当然であれ。
夕方、Iさん来庵、四方山話をする。
草刈さんに家のまはりの草――通行を妨げる――その草を刈つて貰ふ。
夜は寒山詩を読む、彼の信念はよく解る、共鳴するけれど、彼の独善的態度[#「独善的態度」に傍点]には賛じがたい、私は彼の詩のやうな句は作りたくない。
今夜も寝苦しかつた、老情でもあらう!

 七月十五日[#「七月十五日」に二重傍線] 雨、曇、晴。

暗いうちに起きて、何やかやしてゐるうちにやうやく明るくなつた。――
たうとう塩もなくなつた[#「塩もなくなつた」に傍点]! まさに今年無錐其地だ!
藪蚊には困る、私一人にあつまつて私を落ちつかせない、あゝ藪蚊藪蚊、藪蚊をキズにして何両!
午後、湯屋へ、そこでしばらくの生をたのしむ。
敬君来庵、樹明君徃訪、……酒、酒、酒、……それから、それから、それからだつた、――それで、よろしい、よろしい、よろしい。
[#ここから1字下げ]
空観――
実相無相、生死去来真実相。
[#ここで字下げ終わり]

 七月十六日[#「七月十六日」に二重傍線] 曇。

早起、けさはにぎやかだ、樹明君敬君が泊つてゐる、飲みつかれ歩きつかれて死んだやうに寝てゐる。
樹明君は早朝出勤、敬君はゆつくりして帰宅。
私は街へ、一杯また一杯ひつかける。
理髪入浴、みんなマイナスだ。
どうも飲み足
前へ 次へ
全11ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング