其中日記
(十)
種田山頭火
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)寒《カン》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#二重四角、26−1]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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自戒三則
一、物を粗末にしないこと
一、腹を立てないこと
一、愚痴をいはないこと
誓願三章
一、無理をしないこと
一、後悔しないこと
一、自己に佞らないこと
欣求三条
一、勉強すること
一、観照すること
一、句作すること
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一月一日 晴――曇。
明けましておめでたう。
九時帰庵、独酌。
賀状とり/″\。
午後、樹明居へ、御馳走になる、来客数人、なか/\賑やかであつたが、うるさくもあつた。
留守中、敬君来庵、すみませんでした。
うたゝ寝、覚めると暮れてゐた。
酒[#「酒」に傍点]もうまいが餅[#「餅」に傍点]もうまい、飯[#「飯」に傍点]もありがたいが水[#「水」に傍点]もありがたい。
夜おそく八幡連中来庵、星城子、鏡子、井上、杉山さんの四人。
豚を鋤焼して飲む、ごろ寝したのは三時を過ぎてゐたらう。
一月二日[#「一月二日」に二重傍線] 曇。
朝寝して、起きるとまた酒、豚汁はおいしかつた、さすがに井上さんはコツクだつたらしい。
堤さん、後を追うて来た、お土産として銘酒二本。
夕方、みんないつしよにタクシーで湯田温泉に遊ぶ、M旅館で賑やかに会食、近来になくハシヤいだ。
十時の汽車に乗るべく、またタクシーで、――私はたうとう愚劣きわまる酒乱患者となつてしまつた!
一月三日[#「一月三日」に二重傍線] 曇。
茫々たり、漠々たり、昏々たり、沈々たり。
庵中独坐。
自己清算しろ、自己破産か! 自己決算か!
おのづからなる自壊作用[#「おのづからなる自壊作用」に傍点]!
――生きてゐたくない、死にたい――それも執着だ。
この寂寥、この憂欝、この虚無。
たへがたし、其中一人酔つぱらふ[#「其中一人酔つぱらふ」に傍点]。
生きてゐる真実[#「生きてゐる真実」に傍点]、食べることの真実[#「食べることの真実」に傍点]、あはれ/\。
天地人一切の有象無象!
酒、酒、餅、餅、新年、新年。
老醜[#「老醜」に傍点]。――
一月四日[#「一月四日」に二重傍線] 曇。
やゝ落ちつく。
午後、樹明君来庵、酒一杯、飯一杯。
夕方、敬君来庵、一升樽さげて。
同道して湯田へ、一浴して戻る、酒が残つてゐるのでそれだけ飲む。
熟睡安眠、夢も見なかつた。
一月五日[#「一月五日」に二重傍線] 晴。
日本晴である、昼寝。
樹明君来訪、例の如く酔うてそれからそれへ、――馬鹿、阿呆。――
一月六日[#「一月六日」に二重傍線] 雨――曇。
陰欝な一日。
餅があるので、鼠が来てゐるお正月(いつもはゐない、ゐつかない)。
考へる、――強く生きよ[#「強く生きよ」に傍点]。
一月七日[#「一月七日」に二重傍線] 曇。
或る青年来庵、間もなく樹明君来訪、三人でのんびり飲む。
咲いた、咲いた、机上の梅が、床の水仙が。
一人となればまた沈欝な一夜。
一月八日[#「一月八日」に二重傍線] 曇。
あたゝかい冬だが、昨日今日はさすがに寒い。
閑居読書。
一月九日[#「一月九日」に二重傍線] 曇。
一切放下着。――
転身一路。――
泥中の魚、辛うじて水中の魚!
自他共に醜悪愚劣。
酒なし、煙草なし、石油なし、むろん小遣なんか一銭もなし。
一月十日[#「一月十日」に二重傍線] 曇。
雪、初雪である。
自然にかへれ[#「自然にかへれ」に傍点]、自己にかへれ[#「自己にかへれ」に傍点]、人間にかへれ[#「人間にかへれ」に傍点]。
午後、暮羊君来庵、つゞいて樹明君来庵、牛肉の鋤焼で飲みはじめる、それから彷徨する。
苦しかつた、心臓が破裂しさうだつた。
雪あかりで自分を見詰める。――
一月十一日[#「一月十一日」に二重傍線] 晴、曇、雪。
雪、雪、此地方には珍らしい雪景色を展開した。
雪を観賞する。
寒い、寒い、オイボレ、オイボレ。
一月十四[#「四」に「マヽ」の注記]日[#「一月十四[#「四」に「マヽ」の注記]日」に二重傍線] 晴。
晴れて来た、をり/\氷雨が降つた。
どうにもならない私の人生。
一月十二日[#「一月十二日」に二重傍線] 曇。
小雪ちらほら。
I老人来訪、彼もまた奇人たるを失はない。
一月十三日[#「一月十三日」に二重傍線]
Nさん来庵。
こんとんとしてからつぽなり[#「こんとんとしてからつぽなり」に傍点]。
一月十四日[#「一月十四日」に二重傍線] 晴。
冬、冬をひし/\と感じる。
からだが痛い、火燵であたゝめる。
何もかも無くなつた、命だけはあるが。
無心にして逍遙遊せよ。
午後、Nさん来訪、餅を頂戴する。
読書。
すこしさみしい。
一月十五日[#「一月十五日」に二重傍線] 晴。
めつきり白髪がふえてゐるのに驚く。
蟄居十日、断酒五日。
朝は雑煮、昼は無、晩もまた無。
まるで水底にゐるやうだ。
一月十六日[#「一月十六日」に二重傍線] 晴。
銭が欲しい、酒も米も油も。
久しぶりにて御飯にありつく、うまかつた。
生死を生死すれば生死なし[#「生死を生死すれば生死なし」に傍点]といふ、まつたくだ。
なつかしいかな小鳥の群、冬の表情の一断面。
一月十七日[#「一月十七日」に二重傍線] 曇。
雪もよひ、今にも降りだしさう。
身心安静。
樹明君来庵、周二君も来庵、めづらしい三人でひさしぶりの快飲。
鮓がおいしかつた、鮓そのものよりもそれをこしらへて持つて来て下さつた心が。
めでたく解散。
一月十八日[#「一月十八日」に二重傍線] 曇。
ぬくい、うれしい。
うたゝ寝の夢のゆくへはいづこだらう。
今日はアルコールの誘惑に打ち克つことが出来た。
ポストまで出かける。
梅もよろしく椿もよろしく水仙もよろしく。
一月十九日[#「一月十九日」に二重傍線] 曇。
しづかな雨、しづかな心。
郵便は来なかつた。
南枝落北枝開[#「南枝落北枝開」に傍点]、これが宇宙の相である。
敬君来庵、樹明君も、暮羊君もまた、にぎやかな酒宴が初まつた、愉快々々。
一月廿日[#「一月廿日」に二重傍線] 曇。
毎日の冬ごもりには困るけれど詮方ない。
朝がへり、公明正大だ。
身辺整理。
昨夜の今朝で、さすがの山頭火も少々ぼんやりしてござる。
ポストまで。
梅の花ざかり。
濡れてかゞやく枯草のうつくしさよ。
Nさん来訪、Fさんといつしよに。
飲めば酔へる幸福を祝福すべし[#「飲めば酔へる幸福を祝福すべし」に傍点]。
年賀状をぼつ/\認める、のんきだね。
夕月がほのかに照る、白船君だしぬけに来庵、これはこれはとばかり話しこんでしまつた、八時の汽車へ見送る、お土産の吟醸をいたゞく。
ふくろうが啼く、さびしいと思ふ。
ぐつすり睡れた。
一月廿一日[#「一月廿一日」に二重傍線] 雨。
めづらしい早起、すぐ飲みはじめる、ちびり/\うまいなあ、白船君ありがと。
ひとつひとつ餅を焼いては食べる。
貧楽[#「貧楽」に傍点]を味ふ。
私は身心共に例外[#「例外」に傍点]ではないかと考へる。
した[#「した」に傍点]のぢやない、なつた[#「なつた」に傍点]のだ。
ポストへ出かけたついでに入浴。
夕方敬君来庵、脱線談を聞くこともお正月らしい気分だ。
万事めでたしめでたし。
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近頃の感想[#「近頃の感想」に白三角傍点]
遺言[#「遺言」に白三角傍点]
――健に――
[#ここで字下げ終わり]
一月廿二日[#「一月廿二日」に二重傍線] 曇――雨。
大寒といふのにこのぬくさはどうだらう。
今日も年賀状を書く、ノンキだね!
銃声、喊声、非常時らしく聞える、至るところに軍国風景が展開される。
ひとりでしづかに微酔を味ふ。
誰も来なかつた、郵便も来なかつた、孤独と沈黙との一日一夜だつた。
嫌な夢を見た、何といふ嫌な夢だつたか、それは私の愚劣と家庭の――徃時の――醜悪とをまざ/\とさらけだしたものだつた。
一月廿三日[#「一月廿三日」に二重傍線] 曇――晴。
田舎餅はうまい/\。
身心沈静、暗愁を感じる。……
今日も蟄居、年賀状を書く。
午後、Kさん来庵、まじめに俳談しばらく。
さびしい夕餉だつた。
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□貧乏して卑しくならない人、苦労して狡猾にならない人はえらいと思ふ。
[#ここで字下げ終わり]
一月廿四日[#「一月廿四日」に二重傍線] 晴。
午前中は小春日和だつたが、午後は風が出てうそ寒かつた、それにしても大寒とは思へない。
とん/\から/\、前の家で莚を織り通す音もうらゝかだつた。
身辺整理する、――私は此頃何となく労れてゐる、――老いては老を楽しむがよい[#「老いては老を楽しむがよい」に傍点]。
待つものが来ない、苦労性の私は心配しないではゐられない、必ずしもヱゴではない。
午後、Nさん来庵、いつしよにそこらを散歩して、農学校の舎監室にKさんを訪ねる(樹明君は山口出張)、あたゝかいストーブの傍でヨウカンを食べながら話した。
帰途、一杯やりたかつたが――甘いものを食べた後なので殊に――八方塞りで、どうにもならなかつた!
今日、数日ぶりに新聞を読んで政界の風雲急なるに驚いた、たうとう軍部と政党とが正面衝突して、解散か総辞職かで緊張しが[#「しが」に「マヽ」の注記]、脆くも広田首相は辞表を捧呈した、まことに日本の現在は『疾風怒濤時代[#「疾風怒濤時代」に傍点]』である。
今日の夕餉もさびしかつた。
月あかりで(石油がないので)不眠徹夜、追想したり反省したり句作したりする外なかつた!
┌生の歓喜か
└死の幸福か
一月廿五日[#「一月廿五日」に二重傍線] 時雨。
水底の魚のやうに自己にひそんでゐた。――
食べる物がなくなつた、――何もかも無くなつた。
Kから手紙が来ないのが気にかゝる、この気持はなかなか複雑だが。
空腹が私に句を作らせる、近来めづらしくも十余句!
夜、食べたくて飲みたくて街へ出かける、M屋で酒二杯、M店でまた二杯、そしてS屋でうどん二杯、おまけにうどん玉を借りて戻る。……
十三夜の月があかるかつた、私はうれしかつた。
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月が酒がからだいつぱいのよろこび
[#ここで字下げ終わり]
お酒のおかげでぐつすりと寝た。
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□人間は生れて最初が食慾で、そして老いて最後が食慾だ。
□貧乏は反省をよびおこす。
食べるものも無くなると、本来の自分があらはれる。
[#ここで字下げ終わり]
一月廿六日[#「一月廿六日」に二重傍線] 晴。
小春うらゝかに梅の散る日。
熟睡したので身心やすらか。
朝飯はうどんで、昼飯はぬいて、夕飯は大根で、――それしかないので。――
正午のサイレンが鳴つた、今日もKからの手紙は待ちぼけか!
終日庵中独坐。
W老人が来て何かと話しかける、買ひかぶられてゐる私は返答に困つた。……
今夜は燈火のないことが私にたくさん句を作らせた、明け方ちかくまで睡れなかつた。
うつくしい月だつた、感慨にふけらざるをえなかつた。
一月廿七日[#「一月廿七日」に二重傍線] 晴。
身心沈静。
明暗、清濁、濃淡の間を私は彷徨してゐる、そして句を拾ふのだ、いや、句を吐くのだ!
やうやくKから手紙が来たのでほつとする、さつそく出かけて、払へるだけ払ひ買へるだけ買ふ。
ゆつくり飲んで食べる、理髪して入浴する。
四日ぶりに御飯を炊く、うれしかつた、ありがたかつた、おいしかつた。
生きてゐるよろこび、死なゝいでゐる
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