――堪へきれないから飲みまはる、飲みまはるからいよ/\ます/\堪へきれなくなる――かういふ愚かな弱さはいのちがけで、からうじて揚棄したことである。
朝、ポストへ、途中、一杯やりたかつたがぐつとこらへた、こらへるより外なかつたからでもあるが。
正午のサイレンが鳴つて、樹明君来訪、つゞいて暮羊君も――、そして始まらなければならない酒が始まりました! 極楽々々[#「極楽々々」に傍点]。
今日も鷹が裏山でしきりに啼く。
暮羊君から、古い夏帽子を頂戴した、感謝々々。
夜、K店でバス代宿銭を借りて湯田へ。
S屋に泊る、隣室で犬も喰はない夫婦喧嘩がうるさかつた、私は酔うて熟睡。
[#ここから4字下げ]
句作雑感[#「句作雑感」に傍点]
  ――実作者の言葉
[#ここで字下げ終わり]

 六月十四日[#「六月十四日」に二重傍線] 曇。

のんびりとして朝湯、そして朝酒。
バスで、九時頃帰庵、やつぱり庵がよろしいな。
私は湯が好き、温泉浴を何よりも好いてゐる、うれしい時かなしい時、さびしい時、腹が立つた時、むしやくしやする時、私は温泉へはいる、――私がしば/\湯田へ行くゆゑんである。

 六月十五日[#「六月十五日」に二重傍線] 晴。

或は空梅雨かも知れない、なか/\降らない。
つつましい一日だつた、考へることも食べることも!
午後、湯田へ行く、途中はまつたく夏日風景であつた。
泰山木の花を観て、緑平老を懐かしがつた。
裏藪の筍がによき/\のぞきはじめた、当分、筍のうまさを満喫することだらう。
読書にも倦いて、そこらを散歩する、もう地虫が鳴いてゐる、イチハツ、ツツジ、ダリヤ、等々をもらうて戻る。
寝苦しかつた、それだけ私はなつて[#「なつて」に傍点]ゐないのだ。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□俳句は態度の文学[#「態度の文学」に傍点]といはれる、動かしがたい至言である、だから道としての俳句[#「道としての俳句」に傍点]といふものがまた成り立つ。
□年中行事の一つとして、春の彼岸に行はれるといふ日のお伴[#「日のお伴」に傍点]はおもしろい、土落し[#「土落し」に傍点]なども。
□生死――行乞、犬――無心無我――
[#ここで字下げ終わり]

 六月十六日[#「六月十六日」に二重傍線] 晴れたり曇つたり、ちよんびり降つたり。

机を北窓に移す。
初めて蚊帳を吊る。
みんみん蝉も最初の唄をうたつたやうだつたが。
筍がぞく/\出初めた、今までは毎日蕗を食べたが、これからは毎日筍を食べることだらう。
蕗から筍へ[#「蕗から筍へ」に傍点]、――私の季節のうつりかはり[#「私の季節のうつりかはり」に傍点]である。
待つものが来ない、失望落胆。
飢が私をして学校の米を貰はしめた、樹明君に対しても(私自身に対しても)心苦しいといつたらなかつた。
いつまでかうした生活がつゞくのか、私はどこまでだらし[#「だらし」に傍点]がないのだらう。
飯ほどうまいものはない、私たちのやうな日本人には。
腹いつぱい食べて、空を仰げば、今日の日輪かゞやく。
W老人からトマト苗を分けて貰つて植ゑつける、五本、いつしよに薯やら葱やら貰つた、感謝。
――魚売の声よそにふけ青嵐[#「魚売の声よそにふけ青嵐」に傍点]――これは也有翁の閑居吟であるが、私の場では、
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豆腐屋のラツパも寄らない青葉若葉
[#ここで字下げ終わり]
である、呵々。

 六月十七日[#「六月十七日」に二重傍線] 曇――晴。

早起、なか/\降らない。
ぼつ/\田植が始つた。
亡弟二郎の祥月命日(私の推定日)、読経焼香して彼の冥福を祈つた、彼はまことに不幸な正直な人間であつたが。――
樹明君へ告白の手紙を書く、かういふ手紙を今日書いたといふことも何かの因縁だらう。
午後は散歩、三時間あまり、新町から椹野川土手へ、途中、S老人の店で一杯借りる、月草を折つて戻る、昼顔は見つからなかつた。
米がなくなつた、煙草もなくなつた、石油もなくならうとしてゐる、生命だけが、幸にして或は不幸にして、なくならない!

 六月十八日[#「六月十八日」に二重傍線] 晴。

早起して身辺整理、悪筆を揮ふたのもその一つ。
一度、学校まで出かけたが、樹明君に逢ひにくゝて新聞を読んだゞけで戻つた、そしてまた出かけて、やうやく樹明君に逢ふ、君はいつものやうに万事飲み込んでゐて、米をくれる、酒を魚を御馳走してくれた。
最初の酒と魚とはほんにありがたかつた、おいしかつた、F屋での散財はおもしろかつたけれど、つまらなかつたと思ふ。
とにかく私は今月になつて初めて刺身を食べ、三月ぶりに芸者と遊ぶほどののんきさを持つたのである。
まさに樹明大明神! 南無樹明菩薩!

 六月十九日[#「六月十九日」に二重傍線] 曇。

朝寝。――
何しろ一時過ぎて帰つて来て、それから水を汲むやら米を磨ぐやら、……とやかくするうちに東の空が白みだした、……そして寝床にはいつた。
今朝、考へて、やつぱり昨夜は飲みすぎだつたと思ふ、今までのやうにダラシなくはなかつたけれど、浪費は浪費として反省すべきものがあると思ふ、すまなかつた、/\。
落ちついて読書。

 六月廿日[#「六月廿日」に二重傍線] 晴。

ちつとも降らない梅雨季。
Zさんがやつて来て、窓の筍――若竹になりつゝあつたのを切り採つた、私の朝夕の楽しみ[#「私の朝夕の楽しみ」に傍点]を奪はれて、私は憤慨した、Zさん、自然人生に対してデリカシーを持つてゐない人間は軽蔑すべきかな。
門外不出、終日無言。

 六月廿一日[#「六月廿一日」に二重傍線] 晴。

いよ/\降らない。
ポストへ、そしてまた湯屋へ。
途中、Oさんの豚小屋を見物した、彼等は食べて寝て、そして子を生んで、最後は屠られるのである、彼等がガツ/\食べてゐる有様や、数多くの仔にせがまれてゐる有様を見てゐると、何となくアンタンたるものを感じる、人間だつて、けつきよくは、おんなじ宿命を負はされてゐる!
のそり/\と藪から蟇が出て来た、お前も一匹、さびしいか、私は一人、さびしいよ。
――酒なし煙草なし、毎日、白粥をすすつてゐる、昨日も今日も、そして明日もまた。――
夜、久しぶりにNさん来訪、月のさしこむ縁で話す、タバコを喫はせて貰つた。
小遣銭のない生活[#「小遣銭のない生活」に傍点]はよろしくありませんね。

 六月廿二日[#「六月廿二日」に二重傍線] 晴。

まづしく、つゝましく、わびしく。
散歩、面談の用事が出来て谷川君徃訪、ついでにNさん徃訪、酒と飯とをよばれる、画賛を書かされる、それから沙魚釣、釣れないので、鰕と蜆貝とをあさつて戻つた。
谷川君来訪、酒と魚とを持つて――酔うて二人は街を飲み歩いた、――酔中彷徨の果ては――脱線しないで無事帰庵、――よかつた、よかつた。

 六月廿三日[#「六月廿三日」に二重傍線] 曇。

昨夜の延長だ、酒、酒、恥、恥、夢、夢。

 六月廿四日[#「六月廿四日」に二重傍線] 晴。

終日無言行。
おとなしく読書。
反省がちく/\身心を刺す。……

 六月廿五日[#「六月廿五日」に二重傍線] 曇。

身心沈静。
Kから、いつものやうにきちんときまつた手紙が来た。
さつそく出かけて、払へるだけ払ひ、買へるだけ買ふ。
Kよ、ありがたう、ありがたう。
借金を返した気持は何ともいへない。
午後、またポストへ出かける、そして湯田まで思はず行つてしまつた。
酒と温泉とに対しては私はグニヤグニヤフニヤフニヤだ!
Kさんから菊正一本頂戴した、悪筆の代償として。
S屋に泊る、アルコールのおかげで、温浴のおかげで、そしてまた同宿連中のあけつぱなしのY談のおかげで、ぐつすりと睡れた。

 六月廿六日[#「六月廿六日」に二重傍線] 雨、雨。

宿酔。――
何だか身心が変調なので、いそいで帰庵。
フラフラする。――

 六月廿七日[#「六月廿七日」に二重傍線] 雨、雨、雨。

臥床、読書、自己を省察して冷汗を流す。

 六月廿八日[#「六月廿八日」に二重傍線] 曇、時々晴。

畑仕事、胡瓜やトマトに垣をこしらへてやる。
昨日も今日も閑居、読書三昧、無言行。
酒なく煙草なく燈火なし。……

 六月廿九日[#「六月廿九日」に二重傍線] 曇、そして雨。

朝、いつぞやの花売爺さんが来て、縞萱を所望した、代金として八銭くれていつた。
ポストへ、一杯ひつかける、石油を買ひ煙草を買ふ、みんなカケである。
くちなしの花[#「くちなしの花」に傍点]を活ける、くちなしの花はよいかな。
Jさんが筍をすぽり/\と切る、彼の所有だから文句はいへないけれど、人間には審美的感情がないと困るな!
降る/\、降れ/\、梅雨は梅雨らしく降るのがよいとは思ふけれど、屋根の漏るには閉口する、家だけではない[#「家だけではない」に傍点]、私までが漏るやうな[#「私までが漏るやうな」に傍点]。――
五年前――私がこゝに住みついてから※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]木した夾竹桃が最初の花を持つた――その頃の自分が考へられる、私の身心は荒んでしまつた。
当分は禁足[#「禁足」に傍点]の事。――
――奇妙な夢を見た、それはまことにグロテスクな夢だつた、私の胸には悪獣[#「悪獣」に傍点]が穴籠りしてゐるらしい。
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┌求むるなかれ
│貪るなかれ
└持つなかれ
┌没我
│忘我
└無我
[#ここで字下げ終わり]

 六月三十日[#「六月三十日」に二重傍線] 雨。

今日も郵便が来ない、さらにさびしい日である。
先日から新聞を購読してゐる(今日までとてもどこかで読まして貰つてゐたが)、新聞といふものはすでに私たちにとつては、生活の必需品となつてゐる、私は酒を飲むやうに新聞を読むのである。
読売[#「読売」に傍点]はなつかしい新聞だ、今日此頃の読売は新興の意気ハツラツとしてゐる。
終日読書、まことに日が永い、いや、私には夜さへも短かくはないのだ!
また夢を見た、――旧友S君に邂逅して愉快に談笑した、これも老情のあらはれだらうか。
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夢のない人生は寂しすぎる[#「夢のない人生は寂しすぎる」に傍点]!
[#ここで字下げ終わり]

 七月一日[#「七月一日」に二重傍線] 曇――晴。

早起、沈静。
今年も半分過ぎ去つてしまつた。
菜園を眺めて、今更のやうに大地と太陽とのありがたさ[#「大地と太陽とのありがたさ」に傍点]を思ふ。
午後ポストへ、ついでに入浴、M屋で一杯、うれしいうれしい、暑い暑い。
大阪毎日新聞による、黒龍江畔風雲急らしい、どうぞ戦争にならないやうにと人民のために[#「人民のために」に傍点]祈る。
私は不死身[#「不死身」に傍点]に近い肉体の持主だが、病的健康[#「病的健康」に傍点]とでもいふのだらうか、あんなにムチヤクチヤで、こんなにガンキヨウである。
きり/″\すが鳴きだした、金亀虫《カナブン》が初めてやつてきた(地虫はすでに鳴いてゐたが)。
毎日、しづかな[#「しづかな」に傍点]、あまりにしづかな日[#「あまりにしづかな日」に傍点]がつゞく、こんなではいつカンシヤクがバクハツするかもわからない、用心々々。
疳癪は必ずしも騒がしい時うるさい場合にのみ起るものではない。
蟻が塩物に集まつてゐた、まことに辛いものにも蟻[#「辛いものにも蟻」に傍点]である(だつて甘いものなんかないではないかなどと、蟻[#「蟻」に傍点]よ、逆襲することなかれ!)。
夕方、さびしいから、そこらをぶらつく、やつぱり慰まない、人間は人間の中[#「人間は人間の中」に傍点]、人間には人間がおもしろい[#「人間には人間がおもしろい」に傍点]。
几董、沼波、大魯の句を鑑賞する。
不眠、今夜はとても蚊が多い、二度も三度も蚊を焼いた、老いたるかな、山頭火!
今夜の夢は妙だつた、自動車がこんがらがつて、私もつきとばされたが。――
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物を尊ぶ[#「物を尊ぶ」に白三角傍点]。――
貨幣にごまかさる
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