ぬるだらう、私はどうすることも出来ない。
自然[#「自然」に白三角傍点]といふものについて考へる。……
またポストへ、ついでに入浴、そしてM屋に寄つて一杯ひつかける、K店で煙草を借る、なでしこが切れてはぎを借る、十三銭の浪費である。
身辺を整理した気持好さで、アルコールのおかげでぐつすりと眠れた。
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こらへる[#「こらへる」に傍点]、――私はこらへなければならない、こらへることのできない私を呪ふ。
未熟と未完成とは別物だ[#「未熟と未完成とは別物だ」に傍点]。
芸術に国境なし[#「芸術に国境なし」に傍点]、しかし民族の血肉はある[#「しかし民族の血肉はある」に傍点]、そのどちらも真だ。
感傷は反芻する――と、ルナアルは日記に書いてゐるが、私の感傷は反噬する[#「私の感傷は反噬する」に傍点]。
自信をなくした日[#「自信をなくした日」に傍点]、こんな寂しいことはない、そのときほど、自分をみじめと思ふことはない。
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六月七日[#「六月七日」に二重傍線] 雨、雨、雨。
五時起床、熟睡の朝の軽快。
――とかく功利的[#「功利的」に傍点]に動きたがる――省みて恥づかしい。
落ちついて読書、生きてゐるよろこび[#「生きてゐるよろこび」に傍点]を感じる、飛躍前の興奮[#「飛躍前の興奮」に傍点]を感じる、うつぼつとして句作衝動が沸き立つ。
句が作れなくなつたとき[#「句が作れなくなつたとき」に傍点]、酒が飲めなくなつたとき[#「酒が飲めなくなつたとき」に傍点]、その時こそ私の命が終る時である[#「その時こそ私の命が終る時である」に傍点]。
甘えるな、甘えるな――媚びるな、媚びるな――自分を甘やかすな[#「自分を甘やかすな」に傍点]、他人に媚びるな[#「他人に媚びるな」に傍点]と自から戒める言葉である。
日々の二つの幸福[#「日々の二つの幸福」に傍点]。――
何でもおいしく食べられる、何を食べてもうまい[#「何を食べてもうまい」に傍点]。
感情を偽らないこと、すなほに[#「すなほに」に傍点]、ひたむきに感情を表白することが出来る[#「ひたむきに感情を表白することが出来る」に傍点](勿論、比較的に)。
第二日曜[#「第二日曜」に傍点]六月号到来、はつらつたるものがある、さつそく牧句人へ手紙を書く。
夕方、ポストへ、それから豆腐屋へ寄つて二丁借りてくる(酒屋へは寄れなかつた)。
豆腐の味、――淡如水如飯。
夜、心臓がしめつけられるやうに苦しくなつたので、いそいで句帖と日記とを書きつけたが何事もなかつた。
いつも覚悟は持つてゐるけれど、かういふ場合の、孤独な老人はみじめなものだらう!
昨夜は宵からあんなによく睡れたのに、今夜はいつまでも睡れない、うつら/\してゐるうちに、いつとなくみじか夜は明けてしまつた。……
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俳句は――自由律俳句はやさしくてそしてむつかしい。
門を入るは易く、堂に上るは難く、そして室に入るはいよ/\ます/\難し。
句はむつかしい、特に旅の句はむつかしい、と句稿を整理しながら、今更のやうに考へたことである。
時代は移る、人間は動きつゞけてゐる、句に時代の匂ひ、色、響があらば[#「あらば」に「マヽ」の注記]、それはその時代の句ではない。
貫き流るゝもの[#「貫き流るゝもの」に白三角傍点]、――それは何か、問題はこゝによこたはる。
○その花が何といふ名であるかは作者には問題ではない、作者は花そのもの[#「花そのもの」に傍点]を感じるのである、しかし、その感動[#「感動」に傍点]を俳句として表現するときには、それが何の花であるかをいはなければならない(特殊な場合[#「特殊な場合」に傍点]をのぞいて)、こゝに季感の意義[#「季感の意義」に傍点]が[#「季感の意義[#「季感の意義」に傍点]が」は底本では「季感の意義が[#「感の意義が」に傍点]」]あると思ふ。
○都会人にビルデイングがあるやうに田園人には藁塚がある、しかし、煎茶よりもコーヒーに心をひかれるのが、近代的人情[#「近代的人情」に傍点]であらう。
○俳句ほど作者を離れない文芸はあるまい(短歌も同様に)、一句一句に作者の顔[#「作者の顔」に傍点]が刻みこまれてある、その顔が解らなければその句はほんたう解[#「解」に「マヽ」の注記]らないのである。
○把握即表現[#「把握即表現」に傍点]である、把握が正しく確かであれば表現はおのづからにして成る、さういふ句がホントウの句である。
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六月八日[#「六月八日」に二重傍線] 雨。
降つた降つた、降る降る。
武二君へ手紙を書く、層雲経営について。
ありがたし、多々君の手紙、ほんたうにありがたかつた、君の温情が私の身心にしみとほつた。
ポストへ、そして買物いろ/\、これだけあれば当分凌げる。……
身辺整理、私の変質的発作[#「変質的発作」に傍点]は整理出来ないものだらうか、否、きつと整理してみせる。
つゝましくすなほな日[#「つゝましくすなほな日」に傍点]であつた。
午後、またポストへ、ついでに入浴、髯を剃り爪を切り、さつぱりした。
樹明来信、宿直だから来遊を待つ、おもしろいニユースがあるといふ。
六時のサイレンを聞いてから出かける、ニユースといふのはKさんの事だつた(彼に幸福あれ)、いつものやうに夕飯をよばれ(無論、般若湯も!)十時頃帰庵。
今日の新聞記事、――無想庵が巴里に於ける話は悲しかつた。
今日は茄子と胡瓜とを植ゑた。
人の短を説く勿れ[#「人の短を説く勿れ」に傍点]、己の長を語る勿れ[#「己の長を語る勿れ」に傍点]、合掌[#「合掌」に傍点]。
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層雲はまし[#「まし」に「マヽ」の注記]く第二期[#「第二期」に傍点]に入つた、今後の運動は若い人々のはたらきである、第一期[#「第一期」に傍点]の仕事に残つてゐるものがあるならば、それは老人たちのつとめである。
層雲俳句に対していつも慊らなく感じることは、野性味[#「野性味」に傍点]のないことである(野心的な句[#「野心的な句」に傍点]はさうたう見うけるが)、小さいナイフのやうな句[#「ナイフのやうな句」に傍点]ばかりで大鉈のやうな句[#「大鉈のやうな句」に傍点]がない。
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六月九日[#「六月九日」に二重傍線] 曇――晴。
やつと霽れた。
天地荘厳――私は沈欝。
――せめて、余生をなごやかに送りたいと思ふ。
菜を漬ける、何といつても食料品として最も安価なのは塩だ(私は一年間に十五銭の塩を使ひきれない)。
読書はよいな、今日も悠々として書を読んで暮らした。
石油買ひがてら散歩、或る畠の畔からコスモスの苗を抜いて来て植ゑる、この秋は庵のまはりが美しいだらう。
途上に句はいくらでも落ちてゐる、それを拾ひあげることが出来るのは俳句的姿勢だ。
心いよ/\深うして表現ます/\直なり[#「心いよ/\深うして表現ます/\直なり」に傍点]、――この境地は句に徹しようと不断に精進するものでないと、よく解るまい。
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塩鮭のあたま
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あのルンペンはどうしてゐるだらうか。
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飲みすぎること[#「飲みすぎること」に傍点]は自制しえないこともないが、さて食べすぎること[#「食べすぎること」に傍点]は自然に任す外ない。
私は日本人であることを喜ぶ、現代に生れたことを喜ぶ、俳句を解することを喜ぶ。
老醜たへがたいものがある!
二郎! お前は此一筋を持たない無能無才だつた、つながるものゝないお前は自殺するより外なかつたのだ! ああ。
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六月十日[#「六月十日」に二重傍線] 晴。
時の記念日。
早起、掃除も御飯も日記書入も何もかもすんでから、六時のサイレンが鳴つた。
なか/\寒い、ドテラをかさねる。
自然にぢかに触れること[#「自然にぢかに触れること」に傍点]、――作者にとつては、その事が何よりも大切である。
裏藪で今年最初の筍を見つけた。
ほんたうに日が長い、終日無言[#「終日無言」に傍点]、読んで楽しむ。
啄木鳥が来た、お前も寂しい鳥だ。
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今日の買物
一金五銭 菜葉一把
一金三十四銭 ハガキと切手
一金十六銭 醤油四合
一金三銭 酢一合
一金十銭 酒一杯
一金九銭 花王石鹸
一金十銭 塩鯖一尾
一金十五銭 石油三合
一金十三銭 若布五十匁
一金九銭 味噌百匁
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六月十一日[#「六月十一日」に二重傍線] 晴――曇、入梅。
未明起床、身心清澄。
――完全に私は私をとりもどした[#「完全に私は私をとりもどした」に傍点]、山頭火はたしかに山頭火の山頭火となつたのである[#「山頭火はたしかに山頭火の山頭火となつたのである」に傍点]。――
落ちついて読んだり書いたり。
藪を探して小さい筍二本貰つた、さつそく煮て食べた、うまかつた。
昼御飯をすましてからポストへ、ついでに学校に寄つて、樹明君に会ふ、新聞を読み、豚と豚の仔を観る。
豚! 十匹近い仔! そこに自然の或る姿[#「自然の或る姿」に傍点]を発見する!
小西さんからよい返事があつた、早く快くなりたまへ。
あるだけの米――五合あまり――を炊く。
――芸に遊ぶ[#「芸に遊ぶ」に白三角傍点]――現在の私はこの境地にゐる。
まことに嫌な夢を見た、私にはまだそんなに未練があり執着があるのか、そんなにも私は下劣醜悪な人間なのか、――悲しくも淋しい一夜であつた。
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┌自然
│ 人間認識[#「人間認識」に傍点]
└歴史(社会)
(時代)
┌自然 ┌物 ┌有限 ┌存在
└人間 └心 └無限 └実在
観る――認識する――描く、詠ふ、奏でる
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六月十二日[#「六月十二日」に二重傍線] 曇――少雨――晴。
沈静。――
午前、ポストへ、一杯ひつかける、味噌を買ふ、財布には一銭銅貨が二つしか残つてゐない。
梅雨らしく晴曇さだまらず、それでよろしい。
午後、晴れたので散歩、山越えして伊藤さんを訪ねる、幸にして在宅、二時間ばかり話して帰る、小さい壺と、そして白米一升を貰つて(米を無心したときは内心恥ぢ入つた)。
伊藤さんは交れば交るほど味の出てくる人物らしい、私と意気投合するかも知れない(私と同様に独居生活で、そして息子自慢だ、君は外に働きかけんとし、私は内に潜みがちになるが)、とにかくうれしい訪問であつた。
夕方、暮羊君来訪、しばらく話す。
早く寝床に入つたが寝苦しかつた。
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私の場合では、貧乏はむしろ有難い[#「貧乏はむしろ有難い」に傍点]、若し私が貧乏にならなかつたならば、一生、食物のうまさを知らなかつたらうし、また、飲んだくれて早死してしまつたらうから。……
貧楽[#「貧楽」に白三角傍点]である。
※[#二重三角、101−6]私の生活態度を食物の場合で説明すると、――いふところのうまい食物[#「うまい食物」に傍点]でも食べる人間が健全[#「健全」に傍点]でなければ、うまいと味ふことは出来ない、それと同様に、いはゆるまづい物[#「まづい物」に傍点]、いや、うまくない食物[#「うまくない食物」に傍点]でも身心が調うてゐれば[#「身心が調うてゐれば」に傍点]、おいしく、ありがたく味ふことが出来る、――それが人生の味[#「人生の味」に傍点]だ。
与ふれば与へらる[#「与ふれば与へらる」に傍点]、捨てると拾はせられる。
すること[#「すること」に傍点]はさすこと[#「さすこと」に傍点]となつてかへつてくる。
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――行乞僧の言葉 ┌なる
└する
[#ここで字下げ終わり]
六月十三日[#「六月十三日」に二重傍線] 晴――曇。
旧端午、日曜、日々好日だけれど、今日は好日中の好日だ、誰かお団子をくれないかな。
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