私はほんたうに不孝者であることを痛感した。……
身心沈静、やりきれなくて街へ出かけて酔ふ。
春雷、身心ぐた/\になつて、それでも戻つて来た。
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味ふこと
(酒を飲む態度)
酔ふこと
[#ここで字下げ終わり]
五月九日[#「五月九日」に二重傍線] 雨。
起きあがれない、……寝床にもぐりこんだまゝで悶えるばかりだ。
敬君来庵、酒と下物を持参、飲んで話してゐるうちに、だいぶ身心がやすらかになつた、友はありがたいもの、酒はうまいもの。
今日は樹明君を待つたがたうとう来てくれなかつた。
五月十日[#「五月十日」に二重傍線] 晴。
すこし落ちついて来た、よく食べてよく睡れた。
五月十一日[#「五月十一日」に二重傍線] 十二日[#「十二日」に二重傍線] 十三日[#「十三日」に二重傍線] 曇。
こんとんとして何物もなし。――
五月十四日[#「五月十四日」に二重傍線] 曇。
一切放下着、流るゝまゝに流れよう[#「流るゝまゝに流れよう」に傍点]。
……………………
なりきれ[#「なりきれ」に傍点]、なりきれ[#「なりきれ」に傍点]、何でもよいからそのものになりきれ[#「何でもよいからそのものになりきれ」に傍点]。
樹明君を訪ねて飯米を貰うて戻る、南無樹明大明神!
午後、Nさん来庵、夕方、樹明君来庵。
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粗末にするな[#「粗末にするな」に傍点]、自分を[#「自分を」に傍点]――
悉有仏性を信ずるからには[#「悉有仏性を信ずるからには」に傍点]。
無[#「無」に白三角傍点]にはなれるが、空[#「空」に白三角傍点]にはなか/\れ[#「\れ」に「マヽ」の注記]ない。
死中の生
地獄の極楽
求むるな[#「求むるな」に傍点]、貪るな[#「貪るな」に傍点]
酔を[#「酔を」に傍点]、酒を[#「酒を」に傍点]!
無執着[#「無執着」に白三角傍点]、無抵抗[#「無抵抗」に白三角傍点]
[#ここで字下げ終わり]
五月十五日[#「五月十五日」に二重傍線] 十六日[#「十六日」に二重傍線] 十七日[#「十七日」に二重傍線] 十八日[#「十八日」に二重傍線]
湯田滞在、山口行乞。
まるでムチヤクチヤだつた、それはムチヤクチヤだつたけれど、私としては一切を投げだして死生の境を彷徨したものだつた[#「一切を投げだして死生の境を彷徨したものだつた」に傍点]。
断――空――暗――明――黙
五月十九日[#「五月十九日」に二重傍線] 廿日[#「廿日」に二重傍線] 廿一日[#「廿一日」に二重傍線] 廿二日[#「廿二日」に二重傍線]
老いてます/\醜し[#「老いてます/\醜し」に傍点]。
五月廿三日[#「五月廿三日」に二重傍線] 曇――雨。
早起、身辺整理。
無、無、空、空。――
午後、樹明君来てくれて酒を買うてくれる、ありがたい、ほろ酔機嫌で湯田へ行く、ほんに温泉は身心をしづめてくれる、ありがたい。
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┌つゝましく、くよ/\せずに
└すなほに、けち/\せずに
[#ここで字下げ終わり]
五月廿四日[#「五月廿四日」に二重傍線] 雨。
バス代がないから(昨夜はY店の主人に切手を銭にかへて貰つて宿料を払ふたのだが)はだしで歩いて戻つた、よかつた。
斎藤さんから近著東洋人の旅[#「東洋人の旅」に傍点]が来てゐた、さつそく読み初めた。
五月廿五日[#「五月廿五日」に二重傍線] 晴。
終日読書。
新緑がいよ/\うつくしい、鶯がよい声でうたふ。
東洋人の旅[#「東洋人の旅」に傍点]はなつかしい読物だつた、著者と膝を交へて語るやうな親しさを味つた、フインランドの旅、アイルランドの旅が殊によいと思ふ。
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澄めば濁り、濁ればまた澄む。
明暗の境
澄みきれ[#「澄みきれ」に傍点]
合掌[#「合掌」に白三角傍点]――無我[#「無我」に白三角傍点]
[#ここで字下げ終わり]
五月廿六日[#「五月廿六日」に二重傍線] 曇。
いつものやうにきちんとKから送金、ありがたいぞ。
買物いろ/\、払へるだけ払ひ、買へるだけ買ふ。
また湯田へ。――
五月廿七日[#「五月廿七日」に二重傍線] 曇。
滞在。
酔うてゐる、落ちついてゐる。……
五月廿八日[#「五月廿八日」に二重傍線] 曇。
今日も歩いて帰庵。
五月廿九日[#「五月廿九日」に二重傍線] 晴。
Nさん来訪、しばらく話してから、いつしよに米屋まで出かける、M店でちよいと一杯ひつかけました。
身心沈静、落ちついて読む。
投げだせ、投げだせ、投げだすより外に私の助かるみちはない。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□枯淡な句と幼稚な句とは一見して同一なものゝやうに思はれる、その距離は紙一枚[#「紙一枚」に傍点]に過ぎないかも知れない、しかし、――しかしである、作者は幼稚を脱して枯淡に徹するまでに数十年の血みどろな精進をつゞけて来たのである。
□自然に即して思想が現はれる[#「自然に即して思想が現はれる」に傍点]、思想を現はすやうに自然を剪栽するのではない、――これが私の現在の句作的立場である。
[#ここで字下げ終わり]
五月三十日[#「五月三十日」に二重傍線] 晴。
早起、身辺整理、久しぶりに身心明朗。
暮羊君久々にて来庵、病気全快は何より、例の如く無駄話、ついていつて雑誌を借り酒を貰うて戻る(君はまだ飲んではいけないさうで)。
十二時頃、樹明君来庵、旦へ行かうといふ、同行はSさんKさんたち(旦は、私の第二の故郷である、そこの鯛を食べ酒を飲むことは楽しい)、お仲間入したいけれど会費三円が出来ない、K店で借らうとしたが、月末でどうにもならないさうである、残念ながら参加中止、帰庵して、例の一本を傾けた、寂しかつたが、けつきよくは、よかつた、よかつた、酔ひました、ほろ/\とろ/\、そして湯田へまた参りました(Y店で壱円借りまして)、熱い湯、熱い湯、熱い湯に浸ると、身心が蕩けるやうに快い。
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哲学から句は生れないけれど、句には哲学があつてもかまはない。
私は私の私であれ[#「私は私の私であれ」に傍点]!
[#ここで字下げ終わり]
五月三十一日[#「五月三十一日」に二重傍線] 曇。
午前帰庵。
留守に、樹明君が酔つぱらつて来たらしい。
アルコールを止揚せよ、先づ焼酎を止めろ、酒は日本酒に限る[#「酒は日本酒に限る」に傍点]、燗してちびり/\飲むべし、時としてぐい/\ビールを呷るもよからう。
水がうまい、水を飲んで胃腸を洗ふ、いや身心を洗ふ。
六月一日[#「六月一日」に二重傍線] 晴。
更新第一歩[#「更新第一歩」に傍点]。
草のめざましさ、小鳥のほがらかさ。
Kからの酒を頂戴する。
今日は今日のお天気、今日は今日の事をなせ。
死線を越えて無我境を行く[#「死線を越えて無我境を行く」に傍点]。
身辺整理、発熱の気味で。――
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芸術的自信[#「芸術的自信」に傍点]はなかるべからず、断じて自惚[#「自惚」に傍点]はあるべからず。
自己矛盾――自己嫌忌――自己破壊――
[#ここで字下げ終わり]
六月二日[#「六月二日」に二重傍線] 晴――曇。
青い朝が動いてゐる、暁のすが/\しさ、みづ/\しさ、身心清澄、創作衝動を感じる。
鶉衣[#「鶉衣」に傍点]を読む、うまいことはうまいが、あまりにうまい。
洗濯、草苅、何といふ役に立たない肉体だらう!
石油買ひに出かける、ついでに入浴。
やるせない手紙をSに送る、あゝ。
数日ぶりに新聞を見る、予期の如く林内閣は退却した、そして大命は近衛公に降下し、公は拝受した、これで行き詰つてゐる非常時も非常時として安定するだらうと誰もが予期してゐる。
国家は国民の社会である。
朝晩はまだ春だが、日中はまつたく夏だ。
ありがたくおいしく御飯をいたゞいた。
旅、旅、旅に出たい、そしてワガママをたゝきつぶしたい(かなしいかな、私は行乞の旅をつゞける元気をなくしてしまつてゐる)。
不眠、しようことなしの徹夜読書、アブラが切れたのだらう。
東の空が白むのを待ちかねて起きる。――
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詩人は謙虚でなければならない、見よ慢心せる俳人のいかに多きことよ。
増上慢[#「増上慢」に傍点]はネコイラズみたいなものだ。
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『飯と酒と水』
(父親の出奔、帰郷、家出)
『半自叙伝』
『うさき[#「き」に「マヽ」の注記]のころも』
[#ここで字下げ終わり]
六月三日[#「六月三日」に二重傍線] 曇。
沈静。――
下の家の主人が来て草を刈つてゐる、朝風にそよぐ青草をさくり/\と刈りすゝむ心持は快いものであらうと思ふ。
今日もまた、郵便も来ないのか!
午後、ポストまで出かけたついでに、農学校の畜舎に寄つて新聞を読む、至るところ近衛内閣万歳である、誰もが暗さに労れてゐるのだ。
けふも発熱の気味、からだのどこかに異変が起つてゐるらしい、それもよからう、仕方がないが、どうか痛まないやうに。……
蒸暑い、柿の青い葉が時々落ちる。
二夜分ねむれた、いやな夢を見たけれど。
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放てば手に満つ[#「放てば手に満つ」に白三角傍点]
此語句に道元禅師の真骨頂が籠つてゐる、おのづから頭がさがる。
昨日は昨日の夢。
今日は今日の現実。
明日は晴か曇か、それとも雨か。
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六月四日[#「六月四日」に二重傍線] 晴。
好い季節だ(いつでも好季節といふのは観念としてゞある)。
好すぎる季節だ。
おいしい御飯そのもの[#「御飯そのもの」に傍点]だ。
句稿を整理しつゝ、自分の未熟なのに呆れ、懈怠がちであるのを恥ぢた、おい[#「おい」に白三角傍点]、山頭火[#「山頭火」に白三角傍点]、しつかりしろよ[#「しつかりしろよ」に白三角傍点]。
午後は畑仕事、すぐ掌にマメが出来る、まことに/\情ない肉体ではある。
夜は芭蕉を読む、芭蕉の物[#「物」に「マヽ」の注記]品は読めば読むほど味がふかい、と今更のやうに感じ入つたことである。
――遂に無芸大食にして終る――自弔の一句である。
卑しい夢を見た、私の内心には、人を疑ひ人を虐げる卑しさがあるのだ、恥づべし、鞭つべし。
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後記――
[#ここから3字下げ]
□柿の葉のうつくさはないが――
柿の蔕、柿膓
□ひとりの句二つについて――
□旅の句、吟行句
□「他人の午蒡で法事をする」
御礼申上げる
[#ここで字下げ終わり]
六月五日[#「六月五日」に二重傍線] 曇――雨。
梅雨近し。
第五句集柿の葉[#「柿の葉」に傍点]、やうやく脱稿、さつそく大山君に送つてほつとする、パイ一やるところだが、銭がないし、借るところもないし、やつとY屋で一杯ひつかける、この一杯には千万無量の味があつた。
割り切れない人生、どうやらかうやら、へゞれけ人生からほろゑひ人生へ。――
大根を播く、時知らず大根[#「時知らず大根」に傍点]といふ名はわるくない。
私の生活態度はあまりに安易であつた、生活内容が貧弱になるのもあたりまへだ。
今晩は一碗の御飯しかない、お茶を熱くして蕗を味はひつゝ食べた。
夜になつて雨、落ちついて読書。
[#ここから1字下げ]
私の立場としては、
広く[#「広く」に傍点]よりも深く[#「深く」に傍点]
新[#「新」に傍点]よりも真[#「真」に傍点]を求める。
乞食することは、今の私として、詮方もないが、いはゆる乞食根性[#「乞食根性」に傍点]には落ちたくない、これは矛盾だらうか、否、否、否。
[#ここで字下げ終わり]
六月六日[#「六月六日」に二重傍線] 雨、終日終夜降りつゞけた。
梅雨らしく降る、雨もわるくないけれど、方々の雨漏りには困る。
朝飯なし! 渋茶ですます。
ポストへ、I店で米を借りる、胡瓜も安くなつた、大五銭小二銭、小を二本買ふ。
捨猫がしきりに鳴く、鳴いて鳴いて鳴きつくして死
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