た、山頭火はまだ山頭火を失つてはゐなかつた!
腹工合がよくないので散歩、たうとう湯田まで歩いた、一浴して、そして一杯ひつかけて帰つた、まことによい散歩だつた。
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シヨウユウライスよりもソルトライスがうまい! このうまさは貧乏しないと、飢えないと解らない。
[#ここで字下げ終わり]

 四月廿日[#「四月廿日」に二重傍線] 晴――曇。

季節のよろしさ、晩秋初冬ほどではないけれど、生き残つてゐるよろこびをよろこばせてくれる。
句稿整理。
松蝉がそこらで鳴く。
裏山を歩く、蕨でも採るつもりだつたが、それは見つからなくて、句を二つ三つ拾つた。
午後また近郊散歩。
溜息――春のなげき、天にも地にも私にも。
今日は村の観音祭らしく、地下の老若男女が御馳走を持つて山へ行く、――それを眺めてゐて、私は何か寂しかつた。
無感傷主義[#「無感傷主義」に傍点]の境地に入れたら、どんなに落ちつけるだらう、……そして、……この身心のドライをどうしたらよいか。……
寝苦しかつた。
私はどこかへ移らう(湯田が望ましい)、居は気を移すといふ、新らしい土地で新らしく生活しよう。
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   今日の買物
一金十銭   酒一杯
一金十銭   鰯十四尾
一金五銭   廻転焼三つ
一金十銭   バス代
一金十五銭  石油三合
[#ここで字下げ終わり]

 四月廿日[#「四月廿日」に二重傍線][#「四月廿日[#「四月廿日」に二重傍線]」はママ] 曇。

今日も句稿整理、といふよりも、身心整理といふべきであらう。
午後、ポストまで出かける。
米がなくなつた(むろん、いつものやうに銭はない)、I商店から二升だけ借りてくる、途上で蕨を買つた、一杷五銭也。
鰯もうまい、蕗もうまい、蕨もうまい、海のもの山のもの畑のもの[#「海のもの山のもの畑のもの」に傍点]、しみじみ味へば何でもうまい[#「しみじみ味へば何でもうまい」に傍点]。
それにしても私は私の大食を嘆く、何といふ大きい[#「何といふ大きい」に傍点]、そして強い私の胃袋だらう[#「そして強い私の胃袋だらう」に傍点]!
蒸暑かつた、夏が近いことをおもはせる。
日が長く夜が短かい、私はその日夜を持て余してゐる、罰あたりの不幸者め[#「罰あたりの不幸者め」に傍点]!

 四月廿二日[#「四月廿二日」に二重傍線] 雨。

早起、身辺整理。
規律ある生活[#「規律ある生活」に傍点]、――それが正しい生活だ、人間は節制をなくしてはならない、孔子でさへも、我れ七十にして[#「七十にして」に傍点]己の欲するところに従うてその矩を踰えず、といはれたではないか、この事が六十近く[#「六十近く」に傍点]なつて初めて解つた。
矛盾だらけの私[#「矛盾だらけの私」に傍点]である、私の日々の生活は矛盾に矛盾を積み重ねて行くやうなものだ。
無坪兄から見事な壺を頂戴した、兄その人に触れたやうな気がした。
雨はしんみりと落ちつかせてくれる、今日はおだやかな好日であつた。
昨日の蒸暑さにひきかへて今日は肌寒かつた。
煙草もなくなつた、喫はないでこらへた。
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離愁[#「離愁」に白三角傍点]
[#ここから3字下げ]
□人間性に根ざす流浪性
□孤立と集合
□人間は人間の中
□ルンペンの悲哀
[#ここで字下げ終わり]

 四月廿三日[#「四月廿三日」に二重傍線] 曇――晴。

沈静、多少の憂欝。
妙な人間が来た、彼は唖だつた、頭髪だけはキチンと分けて古オーヴアを着てゐる、彼に対して、私は何となく不愉快を感じた、悲しい事実だが、私は此頃多少ヒネクレて浮かないのである。
めつたにないことであるが、今日の私は頭脳が重苦しいので、裏山を散歩する、山はいつもよろしいな、何の木かの若葉を折つて来て活けた。
松蝉が家ちかく下りて来て、しきりに鳴く、初夏の声だ。
誰か来たと思つて出て見たら、K屋の老主人だつた。――
[#ここから3字下げ]
雑草ふみわけたま/\来れば借金取で
[#ここで字下げ終わり]
微苦笑する外なかつた。
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旅に出たいと思ふ。――
むろん、昨年のやうなプチブル的な旅は嫌だ、嘘だ、繰り返したくない。
以前のやうに、行乞流転して、そのまゝ消えてしまふやうな旅[#「そのまゝ消えてしまふやうな旅」に傍点]でなければならない。
かなしいかな、私の身心はあまりに物臭になつてゐる、意力をなくしてしまつてゐるのだ。――
[#ここで字下げ終わり]

 四月廿四日[#「四月廿四日」に二重傍線] 曇――雨。

まことにおだやかな天、地、人、――私であつた。
貪ることなかれ[#「貪ることなかれ」に傍点]、貪ることなかれ[#「貪ることなかれ」に傍点]。
句稿整理、どうやらかうやらかたづきさうになつた。
午後は散歩、農学校に寄つて新聞を読ませて貰ふ、樹明君に逢うて、悲しい話を聞く(彼の窶れた顔はまともに見てはゐられなかつた、みんな酒のためだ、人事とは思はれない)、私も悲しくなつて、急いで戻つた。
今日も蕗を煮た、そのほろにがさは何ともいへないうまさだ、此頃が蕗の旬だらう。
米は、むろん、なくてはならないが、石油もなければならない、米と石油と[#「米と石油と」に傍点]、この二つさへあれば[#「この二つさへあれば」に傍点]、私は死なずにゐられる[#「私は死なずにゐられる」に傍点]。
いつまでも睡れなかつた、アブラが切れたからだらう。
去来集を読む。
明け方、とろ/\したとおもつたら、とても嫌な夢を見た。……
[#ここから1字下げ]
善良なる愚人[#「善良なる愚人」に傍点]ではいけない。
賢い善人[#「賢い善人」に傍点]でなければならない。
この人を見よ――
何といふ愚人の醜さ[#「愚人の醜さ」に傍点]だらう!

日光と水と[#「日光と水と」に傍点]、そして塩と草と[#「そして塩と草と」に傍点]、これだけは私の生活にもなくてはならないものである。
[#ここで字下げ終わり]

 四月廿五日[#「四月廿五日」に二重傍線] 雨。

いやな夢から覚めて、そのまゝ起きて御飯を炊く。
すこしく食べて[#「すこしく食べて」に傍点]、ふかく考へよ[#「ふかく考へよ」に傍点]。
一切にささへられた人生[#「一切にささへられた人生」に傍点]、一切にはたらきかける生活[#「一切にはたらきかける生活」に傍点]、貫いて流れるもの[#「貫いて流れるもの」に白三角傍点]――それだ、それだ。
青梅が大きくなつてゐる、春菊は花をつけて食べらら[#「ら」に「マヽ」の注記]れなくなつたので、生花にする。
やつぱり人間はヱゴイストだ[#「やつぱり人間はヱゴイストだ」に傍点]。
健からの手紙は私に涙を流させ、緑平老への手紙は私に汗を流させた。……
街へ出かけて、払へるだけ払つてまはる、払ひたい、払はなければならない半分も払はないのに、また無一文になつてしまつた。
M店で二杯、K屋で二杯ひつかけた、ほろ/\とろ/\、戻つて御飯にする、若布がおいしかつた。
樹明君から来信、今晩は宿直だからやつて来たまへ、久しぶりに飲んで話さう、といふ、訪ねるまでの時間内に湯屋で髯を剃る。
私の大食が樹明君を驚かした、私はとかく食べすぎ飲みすぎて困る、だいたい根性が卑しいからでもあるが、放浪がさうさせたのでもある。
愉快な一夜だつた、ほろ酔人生の一場面だつた。
樹明君は早くから鼾をかいてゐる、私はおそくまで睡れなかつた、私には邪気が多いらしい。

 四月廿六日[#「四月廿六日」に二重傍線] 晴。

早く起きて、そのまゝ戻る。
藪風がさわがしく、そゞろ肌寒い。
身心安静、珍重々々。
斎藤さんからなつかしいたよりがあつた、野蕗君からも近々訪問するといふうれしいたより。
午後は散歩、仁保津方面を歩きまはつた、ちようど氏神様の御年祭で、河原にテントを張り余興などいろ/\あるま[#「ま」に「マヽ」の注記]しい、男も女もおぢいさんもおばあさんも子も孫も、どつさり御馳走を携へて集つてくる、村のピクニツク[#「村のピクニツク」に傍点]、うらやましかつた。
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自己闘争記[#「自己闘争記」に白三角傍点]
酔ひざめの記[#「酔ひざめの記」に白三角傍点]
[#ここで字下げ終わり]

 四月廿七日[#「四月廿七日」に二重傍線] 晴。

句稿整理、完成、ほつとする。
揮毫、いつものやうに、悪筆の乱筆[#「悪筆の乱筆」に傍点]。
空罎、古雑誌、襤褸を売る、五十銭!
さつそく街へ、K店で少々借りて湯田へ、例のS屋に泊る、一宿二飯で四十六銭。
湯はよいなあと嘆息の欠伸[#「嘆息の欠伸」に傍点]を洩らしつつ。
樹明君が不在中に来てくれたらしい、こんな置文句があつた。――
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また散歩(これは私)
ケツコウ/\ ハルダモノ
午後四時 樹来
アゲ二切タベタ
庵のニホヒガシタ
[#ここで字下げ終わり]

 四月廿八日[#「四月廿八日」に二重傍線] 曇。

朝湯朝酒(朝々はないが!)。
八時帰庵、野蕗君を待つ。
昼御飯を食べてから散歩がてら、駅まで出迎へたが、失望々々。
笹鳴、ずゐぶん下手糞な鶯だ、でも日にましうまくなる、勉強々々、私の句作もそのやうに。

 四月廿九日[#「四月廿九日」に二重傍線] 晴。

日本晴、天長節、万歳万々歳。
春寒、なか/\寒い。
節度正しい生活[#「節度正しい生活」に傍点]、平凡にして真実[#「平凡にして真実」に傍点]。
樹明君から来信、一献傾けたいから用意して置いてくれとの事、さつそく在中の五十銭銀貨二枚を持つて街へ出かける、酒、魚、御馳走を拵らへる、三時頃から六時頃まで、めでたきさかもり。
かういふ会合でなければならない、おかげで、のんびりとした。
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感激[#「感激」に傍点]は興奮[#「興奮」に傍点]ではない。
観念[#「観念」に傍点]から俳句は生れない。
俳句は体験から生れなければならない。
[#ここで字下げ終わり]

 四月三十日[#「四月三十日」に二重傍線] 曇――雨。

身心平静、何よりのよろこびである。
旧の三月廿日、秋穂はお大師まゐりで賑ふのだが、かういふお天気では人出が減るだらう、私も見合せた(小遣銭もないから)。
ほんたうの信心には雨も風もないけれど。――
待つてゐるものが来ない。
しめやかな雨。
午後、ポストへ、ついでに入浴。
一杯ひつかけてほろ/\、ぐつすりと寝た。
[#ここから1字下げ]
御飯がおいしい――食べるものが何でもうまい――それは人生の幸福中の幸福である。
[#ここで字下げ終わり]

 五月一日[#「五月一日」に二重傍線] 雨。

早起、身辺整理。
ありがたい手紙が二つ、緑老から、黙君から、それは涙のこぼれる手紙だつた。
秋穂まゐりが出来ないので湯田へ行く、お大師様の御利益よりも温泉のそれがテキメンだつた。
[#ここから1字下げ]
払ふべきもの払へるだけ払ふたうれしさ。
[#ここで字下げ終わり]

 五月二日[#「五月二日」に二重傍線] 三日[#「三日」に二重傍線] 雨――曇――晴。

湯田滞在。
時計を売つて、酒と菓子とをルンペン君に奢つた、みんないつしよにうたうて笑つた。

 五月四日[#「五月四日」に二重傍線] 五日[#「五日」に二重傍線] 晴。

帰庵。
がつかりして寝つゞけた。――
[#ここから1字下げ]
何物にも囚はるゝなかれ[#「何物にも囚はるゝなかれ」に傍点]。
殊に自己に対して[#「殊に自己に対して」に傍点]。
[#ここで字下げ終わり]

 五月六日[#「五月六日」に二重傍線] 晴。

五月、あゝ五月。
やつと寝床から起きあがつた。――
灯火なし、眠れない、苦しかつた。

 五月七日[#「五月七日」に二重傍線] 曇。

身心不安、食慾減退。
樹明君から来信、よい事があるといふ、夕方から出かける、御馳走を頂戴する、敬君待つても来らず、泊る。

 五月八日[#「五月八日」に二重傍線] 晴――曇――雨。

未明帰庵。
父の第十七回忌、ひとりさびしく読経し回向する、
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