く、歩く、歩く。
三月廿二日[#「三月廿二日」に二重傍線] 晴。
元寛君を訪ね、同道して蓼平君を訪ふ。
酒と女と涙とがあつた! ――(前の頁へ)――
三月廿三日[#「三月廿三日」に二重傍線]
酔中晴雲なし!
義庵老師を慰める、奥さんが亡くなられて(よい奥さんとは考へなかつたが)めつきり弱つてゐられる。
午後の汽車で帰途に就く。
途中博多下車、諸芸大会観覧。
駅で夜明かし、宿料がないので。
三月廿四日[#「三月廿四日」に二重傍線] 晴。
小郡を乗り越してSを驚かす。
肉縁のうれしさいやしさ。
ほんに酔うて、ぐつすりと寝た。
三月廿五日[#「三月廿五日」に二重傍線] 曇。
風が吹く、さびしくせつなく。
やうやくにして帰庵、ほつとする。
樹明君徃訪。
ほろ/\ぼろ/\。――
三月廿六日[#「三月廿六日」に二重傍線]――卅一日[#「卅一日」に二重傍線]
こんとんとして。――
四月一日[#「四月一日」に二重傍線] 晴――曇。
徹夜不眠、しゆくぜんとして寝床から起き上つた、あゝ、どんなに思ひ悩んだことか。
反省自覚。――
節度ある生活[#「節度ある生活」に傍点]。
小鳥がいろ/\来ては鳴く、鶯も鳴いてゐる。
私にも春が来てゐるのだが、何となやましい春[#「なやましい春」に傍点]!
青春のなやみと老境のなやみ[#「青春のなやみと老境のなやみ」に傍点]、だいたい、老境にはなやみなんどあつてはならないのだが。
身心共に貪るなかれ[#「身心共に貪るなかれ」に傍点]、たとへば微酔にあきたらないで泥酔にまでおちいることもホントウではない。
食慾減退、とても大きな胃袋の持主の私なのに。
蜂がしきりに鳴いてそこらを飛びまはる、おまへもまた落ちつけないのか。
街へ油買ひに、ついでに入浴、さつぱりした、のうのうした。
春、春、春、まつたく春だ。――
さくらもちらほら三分咲き、金鳳華咲いてこゝかしこ。
そして議会はとつぜん解散になつた。
何もかも動揺してゐる、私自身のやうに。
夕方、暮羊君来庵、先夜の脱線ぶりを互にぶちまけて笑ふ(私はむしろ泣く気持だ)。
人生はひつきよう泣き笑ひ[#「泣き笑ひ」に傍点]らしい。
招かれて、いつしよに行く、奥さんの手料理でほろ/\酔うて戻る。
自浄吾意[#「自浄吾意」に白三角傍点]、――そこに建て直しの鍵がある。
猫が虎のやうになる――なりきらないところに[#「なりきらないところに」に傍点]、そこに悲喜劇の科介[#「科介」に「マヽ」の注記]があらはれるのだ。
今夜も眠れさうになかつたが、何となく気が明るく軽くなつて、明方ちかくなつて睡れた。
夜をこめて恋のふくろうのたはむれ[#「恋のふくろうのたはむれ」に傍点]、彼等は幸福だ、幸福であれ、といふのも人間の愚痴だらう。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□アルコールは離れがた[#「た」に「マヽ」の注記]ない悪魔だ。
酒を飲むことは、酔うて乱れることは、私の Karma だ。
□狂か死か[#「狂か死か」に傍点]、それとも旅か[#「それとも旅か」に傍点](今の私を救ふものは)、或はまた疾病か[#「或はまた疾病か」に傍点]。
□死線を超えるごとに、彼は深くなる、それがよいかわるいかは別問題だ。
□そこに偶然はない[#「そこに偶然はない」に傍点]、必然があるばかりだ[#「必然があるばかりだ」に傍点]。
□時としてはよい種子[#「よい種子」に傍点]も播け!
[#ここから1字下げ]
今日の私の買物
一金十五銭 石油三合
一金十一銭 マツチ大函
一金十銭 ハガキ五枚
一金五銭 切手十枚
┌いとなみ――労働┐
│ ├たのしいはたらき[#「たのしいはたらき」に傍点]
└たはむれ――遊戯┘
[#ここで字下げ終わり]
四月二日[#「四月二日」に二重傍線] 曇。
花ぐもりだらう、花のいぶきを感じる。
沈欝たへがたし、それを堪へるのが私の人生である。
どうやらかうやら、ぼうぜんたる気分からゆうぜんたる気分へ転換しつゝある。
天地人の春[#「天地人の春」に傍点]であれ。
掃除――洗濯――裁縫――なか/\忙しい。
やうやく句が出来るやうになつた、おちついて澄んできたのである、とにかくうれしい。
旅の樹明を思ひつゝ来庵を待つたが駄目だつた。
風、風、風、午後はいやな、さびしい風が吹いた。
夜中夢中で絶え入るほど咳きこんで困つた。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□一年は短かいやうだけれど、一生はずゐぶん長いやうに思ふ。
□俳句は(短歌も同様に)ひつきよう心境詩[#「心境詩」に傍点]ではあるまいか。
[#ここで字下げ終わり]
四月三日[#「四月三日」に二重傍線] 晴。
神武天皇祭、日本的!
うらゝかな旗日。
早起沈静、よろしい/\。
春寒、春も[#「も」に傍点]寒いね!
人事に囚はるゝなかれ。
昼寝はよろしい、夢はよろしくない。
花見のどよめきがきこえる、――あゝそれなのに、それなのに。――
Kへ手紙を書く。
――こけつまろびつ――とろ/\どろ/\――何が何やら。――
酒乱、醜態、あゝあゝ、……恥を知れ、恥を、……死んでしまひたい、……馬鹿、阿呆。
……………………
[#ここから1字下げ]
かへりみて[#「かへりみて」に白三角傍点]、死あるのみ[#「死あるのみ」に白三角傍点]。
醜い生存[#「醜い生存」に白三角傍点]。
死ぬるまでは繰り返されるでもあらう悪行。
愚劣、醜悪、愚劣、醜悪。
死にたくても死ねない矛盾[#「死にたくても死ねない矛盾」に白三角傍点]。
矛盾に矛盾をかさねてゐる毎日毎夜。
[#ここで字下げ終わり]
四月四日[#「四月四日」に二重傍線] 晴曇不明!
昨夜の延長、宿酔ふら/\、湯田へ。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
『健からの手紙、緑平老からの手紙、それを読んで恥ぢないならば、泣かないならば、ほんぜんとして本心に立ちかへらないならば、私は山頭火ではない、人間ではない(これは九日の朝のことである、私はどうかしてゐる)。』
[#ここで字下げ終わり]
湯田はよかつた、あたゝかい湯が私のつきつめた身心をほごしてくれた、うれしかつた。
安宿S屋に泊る、昼は遊園の猿を見た、そして夜は漫才大会へ行つた。
同宿五六人、罪のない猥談が面白かつた。
ほんたうに遊ぶ気分[#「ほんたうに遊ぶ気分」に傍点]、さういふ気分になりたい。
四月五日[#「四月五日」に二重傍線] 晴。
歩いて戻つた、塘の桜は半分ばかり咲いてゐたけれど、私はうつ/\としてゐるばかりだつた。
留守中客来、敬君と樹明君とがやつて来て、一杯飲んで待つてゐたらしい。
その残物を頂戴する。
夜は暮羊君の宅に招待された、よい酒であつた、うれしい酒であつた。
『飢』
[#ここから3字下げ]
食べる物がない一日
水を飲む
遊園地の猿公
温泉浴
[#ここで字下げ終わり]
四月六日[#「四月六日」に二重傍線]
憂欝たへがたかつた、立つても居てもたへきれないものがあつた。……
Nさん来訪、いつしよに散歩、そして酒、酒、酒、みだれてあばれた。……
まつたく酒狂[#「酒狂」に白三角傍点]だ、虎でなくて狼だ。
……………………
四月七日[#「四月七日」に二重傍線]、八日[#「八日」に二重傍線]
身心バラ/\だ、夢とも現とも何ともいへない気分だ。
四月九日[#「四月九日」に二重傍線] 晴。
親しい友の手紙に鞭うたれて、湯田まで散歩。
一浴一杯[#「一浴一杯」に傍点]、身心やゝ安定。
帰来して庵中独坐。
四月十日[#「四月十日」に二重傍線] 晴。
さくらがちる。
だん/\平静になる。
蕗の香、若布の香、御馳走々々々。
四月十一日[#「四月十一日」に二重傍線] 晴。
山はドンチヤン、花見のまつ盛り。
私はぢつとして寝てゐるより外はない。
夕方散歩、よかつた、よかつた。
四月十二日[#「四月十二日」に二重傍線] 晴。
いよ/\落ちついた、合掌。
春蝉の声を聞いた。
鴉がうたれて死んだ、むしろ私を殺してくれるとよいのに!
他人に頼るなかれ、自分を信ぜよ。
せめて晩年だけなりとも人並に生きたい。
ほんたうの句を作れ[#「ほんたうの句を作れ」に傍点]、山頭火の句を作れ[#「山頭火の句を作れ」に傍点]。
人間の真実をぶちまけて人間を詠へ[#「人間の真実をぶちまけて人間を詠へ」に傍点]、山頭火を詠へ[#「山頭火を詠へ」に傍点]。
[#ここから1字下げ]
心を広く強く[#「心を広く強く」に傍点]、高く[#「高く」に傍点]。
横に広く[#「横に広く」に傍点]――ではない。
縦に深く[#「縦に深く」に傍点]――である。
私の場合では。――
[#ここで字下げ終わり]
四月十三日[#「四月十三日」に二重傍線] 晴――曇。
身心いよ/\安静、やうやく自分をとりもどした。
絶対禁酒はとうてい出来さうにもないが、節酒はどうやら出来さうである。
酒を味へ[#「酒を味へ」に傍点]、酒に敗けるな[#「酒に敗けるな」に傍点]。
克己[#「克己」に傍点]、克己[#「克己」に傍点]、克己[#「克己」に傍点]、克己が一切だ[#「克己が一切だ」に傍点]。
慊らない、何もかも――私自身に対して、そして句作の場合は殊に。――
風、風、風だつた、日中吹き通して、夜中も吹きつゞけた。
屋根の一部が吹きとばされる。
桜も散つてしまつたらう。
まことに花時風雨多である。
風の中の散歩も一興だつた、山はいつもうれしいものである。
寝苦しかつた。……
[#ここから1字下げ]
貪らず、惴[#「惴」に「マヽ」の注記]らず、乱れず。
心すなほに体ゆたかなり。
老人は老人らしく[#「老人は老人らしく」に傍点]、無能力者は無能力者らしく生きる[#「無能力者は無能力者らしく生きる」に傍点]――これが私を生かす生き方である[#「これが私を生かす生き方である」に傍点]。
[#ここで字下げ終わり]
四月十四日[#「四月十四日」に二重傍線] 曇――雨。
風、風、風、風はほんたうにさびしい、いやなものである。
句稿整理。
暮れて出かける、一杯二杯三杯、ぐん[#「ん」に「マヽ」の注記]で/\になつたが、脱線とはいへなかつたが。……
[#ここから1字下げ]
句作三境
事[#「事」に白三角傍点]……………………説明式[#「説明式」に傍点]
事柄
景[#「景」に白三角傍点]……………………描写的[#「描写的」に傍点]
自然人生の恣[#「恣」に「マヽ」の注記]態
象[#「象」に白三角傍点]……………………表現[#「表現」に傍点]
真の具体化
(門を入るは易く堂に上るは難し)
[#ここで字下げ終わり]
四月十五日[#「四月十五日」に二重傍線] 晴。
朝酒二三杯。
学校に寄つて、樹明君、暮羊君を悩ました。
おとなしく帰庵して就床。
四月十六日[#「四月十六日」に二重傍線] 曇。
茫然として草を観る、――そんな気持だつた。
四月十七日[#「四月十七日」に二重傍線] 晴。
うらゝかだつた、落ちつけた。
木の芽草の芽のうつくしさ。
愚痴を去れ[#「愚痴を去れ」に白三角傍点]。
塩の味[#「塩の味」に傍点]を知つた(食べるものがなくなつて)。
よろしい、よろしい、よろしい。
[#ここから1字下げ]
窮すれば通ず[#「窮すれば通ず」に傍点]――まつたくだ。――
窮しなければ通じない。
[#ここで字下げ終わり]
四月十八日[#「四月十八日」に二重傍線] 晴――曇。
身辺整理、落ちついてすなほな日。
午後、久しぶりに樹明君来庵、宿酔の様子で、すぐ寝てしまふ、夕方になつて少しばかり飲む、二人としては近来にない、よい会合であつた。
私もおかげでぐつすりと睡れた。
四月十九日[#「四月十九日」に二重傍線] 曇――晴。
今日もおだやかな一日だつた。
句稿整理、なか/\捗らないので困る。
暑くなく寒くなく、まさに好季節の好季節。
何十日ぶりかで句作気分になつ
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