2字下げ]
お米買はうか 酒買ほか
石油にしようか 煙草にしようか
[#ここで字下げ終わり]
道ばたにはタカノツメとかいふ紫の小草が咲いてゐる、ぶらぶら歩いてゐるうちに、だん/\憂欝が軽くなる、途中一杯ひつかけた。
夜はまた出かけた、酔ひたくてたまらなかつたので、酔はずにはゐられなかつたので、……そして例によつて例の如し、マイナスにマイナスを加へ、愚劣に愚劣を重ねた、……こんとんとして何が何やら解らなくなつた。
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□まことの作者は飛躍[#「飛躍」に傍点]する、飛躍する作者は足踏[#「足踏」に傍点]する、爆発前の焦燥、緊張、苦悩、憂欝、それをぢつと堪へてゐなければならない。
□無能無力であることを自覚[#「自覚」に傍点]したが故に、その一筋につながることを体現[#「体現」に傍点]したのである。
[#ここで字下げ終わり]
二月十一日[#「二月十一日」に二重傍線] 曇――雨。
旧の正月元日、そして紀元節、建国祭。
茫々たり、たゞ茫々たり、何物もなし、何物もなし。
夕方、暮羊君来庵、招待されて訪問、うまい酒、うまい下物の御馳走を頂戴する、うれしかつた、快く酔うて、帰庵して熟睡した。
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※[#二重四角、41−2]俳句性とは――
内容に於て、随つて形式に於て
□単純[#「単純」に白三角傍点](最高限度の)
緊張[#「緊張」に白三角傍点](圧縮[#「圧縮」に白三角傍点]ではない)
□主観の燃焼[#「主観の燃焼」に白三角傍点] 即 印象の象徴化[#「印象の象徴化」に白三角傍点]
暗示[#「暗示」に白三角傍点](朦朧ではない、晦渋[#「晦渋」に白三角傍点]ではない)
[#ここで字下げ終わり]
二月十二日[#「二月十二日」に二重傍線] 雨。
雨の漏る音、わびしい一日。
夜、樹明君来庵、御持参の酒を飲んだが、やつぱりわびしい一夜だつた。
二月十三日[#「二月十三日」に二重傍線] 曇。
残つてゐるだけの酒を呷つて寝てゐる。
先々死々去々来々、それはそれでよいではないか、なぜこんなにこだはるのだ。……
冬、冬、冬、曇つて冬一人。
冬蠅が一匹、うるさくせつなく飛びまはる。
二月十四日[#「二月十四日」に二重傍線] 晴、時々霙。
身心不快。
午後、樹明来訪、つゞいて暮羊君来訪、例の如く飲む、話す、笑ふ。……
雪、酒、そして飯がありました、ありがたう。
二月十五日[#「二月十五日」に二重傍線] 雪、時々晴。
満目白皚々。
朝、妙な男が訪ねて来た、嫌な男だつた、悪い男とは思はないけれど。
昨日も今日も郵便は来ない。
二月十六日[#「二月十六日」に二重傍線] 曇――晴。
倦怠、たゞ寒く、たゞ懶し。
二月十七日[#「二月十七日」に二重傍線] 曇。
沈欝たへがたし。
私は虚病の虚病[#「虚病の虚病」に傍点]を病んでゐる。
今日も嫌な朝鮮人が来た。
燈火をなくして第三夜だ、暗黒裡の妄想!
七日の月があることはあつた。
二月十八日[#「二月十八日」に二重傍線] 晴――曇。
春寒、めつきり春めいて来た。
身心やゝ落ちついて、めづらしくも朝寝。
碧梧桐氏逝去を今日知つた(新聞を見ないから)、哀悼にたへない、氏は俳人中もつとも芸術家肌であつたやうに思ふ、一事を続けてやれなかつたのも、弟子とはなれがちだつたのもそのためだ、未完成[#「未完成」に傍点]――惜しいけれど詮方のない、――永久の未完成[#「永久の未完成」に傍点]といつたやうな性格だつた。
七日ぶり外出、そして四日ぶりに燈火を与へられた。
いつもケチ/\して、或はクヨ/\して、そして時々クラ/\して、――何といふみすぼらしい生活だらう、ひとり省みては自から罵るばかりだ。
いうぜんとして、山を観よ、雲を観よ、水を観よ、草を観よ、石を観よ。……
二月十九日[#「二月十九日」に二重傍線] 晴れたり曇つたり。
身辺整理。
なづなが咲いてゐる、蕪も大根も咲かうとしてゐる。
Nさん来庵、水など汲んでもらふ、すみません。
風が出て来た、風はさみしい、何よりさみしい、いつもさみしい、やりきれない。
うつ/\として一日が過ぎる。
二月廿日[#「二月廿日」に二重傍線] 晴、そして曇。
春寒、氷が薄く張つて小鳥が囀づる。
食べる物がなくなつたので梅茶ですます、それもよからう、とかく飲みすぎ食べすぎる胃腸を浄めるためにも、また、貪りたがる心をしづめるためにも。
それにしても食慾の正確さは! 胃袋の正直さは!
出かけて米を借りて戻る(樹明君に泣きつかないのは私の良心の名残だ)、すぐ炊いて食べる。
ほろよひ人生か、へゞれけ人生か、――私は時々泥酔しないと生きてゐられない人間だ!
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椿赤く酔へばますます赤し
(梅の白さよりも椿の赤いのが今の私にはほんたうだ)
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曇つて寒く、山の鴉が啼く、さびしいな。
街へ出かけて、白米を借りて戻る、さつそく炊いて食べる、わびしいな。
六日ぶりの酒、十一日ぶりの入浴。
学校に寄つて新聞を読ませてもらふ、樹明君にはわざと逢はなかつた。
今日はだいぶ歩いたので、足が痛い、頭が重い。
[#ここから2字下げ]
或る友への消息に
先日来、私は足部神経痛で、多少の起居不自由を感じます、いつそ歩行不随意になればよいと思ひます、さうなれば、しぜんしようことなしに身心が落ちつきませう。……
[#ここで字下げ終わり]
二月廿一日[#「二月廿一日」に二重傍線] 曇。
身心沈静、やりきれなくて湯田へ出かける。……
二月廿二日[#「二月廿二日」に二重傍線] 三日[#「三日」に二重傍線] 四日[#「四日」に二重傍線] 五日[#「五日」に二重傍線] 六日[#「六日」に二重傍線] 七日[#「七日」に二重傍線] 八日[#「八日」に二重傍線]
ぼう/\として、あるいは、しん/\として。
悲しい日、恥づかしい日、悩ましい日、切ない日。
草が芽吹き、鴉が啼き、人間が酔うてさまよふ。
[#ここから1字下げ]
┌飯と酒
│ 飯のありがたさ
└塩と味噌
塩のよろしさ
満腹と脱糞
[#ここで字下げ終わり]
三月一日[#「三月一日」に二重傍線] 曇。
春は来たが、私は冬だ。――
終日不動無言。
身心頽廃。
せめて美しく滅ぶべし。――
三月二日[#「三月二日」に二重傍線] 晴。
雲雀、菜の花、小虫がしきりに飛ぶ、――春だ。
放下着、一切放下着。
不思善不思悪、空々寂々。
午後、五日ぶりに外出する、無燈火にたへられなくなつたから。
Kさんから本を借り、コロツケを貰ふ。
三日ぶりに点燈、だいぶ落ちついて来た。
生きてゐればゐるだけ、私は私の無能無力を感じるだけである。……
三月三日[#「三月三日」に二重傍線] 雨。
春雨だ、間もなく花も咲くだらう。
亡母祥月命日。
沈痛な気分が私の身心を支配した。
……私たち一族の不幸は母の自殺[#「母の自殺」に傍点]から始まる、……と、私は自叙伝を書き始めるだらう。……
母に罪はない、誰にも罪はない、悪いといへばみんなが悪いのだ、人間がいけないのだ。……
身辺整理。
矛盾は矛盾として。――
何事も天真爛漫[#「天真爛漫」に傍点]に、隠さず飾らず、ムキダシで生きてゆけ。
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□物そのものになりきれ[#「物そのものになりきれ」に傍点]。
虚無[#「虚無」に傍点]ならば虚無そのものに。
□自然そのものをそのまゝ味はひ詠ふ。
□表現は現象を越えてはいけない。
表現は現象に留つてゐてはいけない。
この矛盾[#「矛盾」に傍点]が作家の真実[#「真実」に傍点]で解消する。
□感覚を離れないで感覚以上のものを表現する[#「感覚を離れないで感覚以上のものを表現する」に傍点]。
それが作家の天分と努力とによつて可能となる。
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三月四日[#「三月四日」に二重傍線] 曇。
身心平静。
三月五日[#「三月五日」に二重傍線] 晴。
外は春、内は冬。
三月六日[#「三月六日」に二重傍線] 曇。
雪もよひが雨になつた。
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椿赤く思ふこと多し
[#ここで字下げ終わり]
三月七日[#「三月七日」に二重傍線] 晴。
茫々たり漠々たり、老衰あきらかなり。
緑平老よ、ありがたうありがたう。
五日ぶり外出、四日ぶり喫煙、七日ぶり飲酒、十日ぶり入浴。――
三月八日[#「三月八日」に二重傍線] 晴――曇。
沈欝たへがたし。
Nさん来訪、同道して山口へ。
二人の無用人! Mさんのところで少し借り、それから飲み歩く、九州へ渡れるだけは残して。
門司駅の待合室で夜明かし、岔水君を訪ねて小遣をせびり、黎坊に送られて八幡へ。
三月九日[#「三月九日」に二重傍線] 晴。
昨夜の延長。――
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飾窓の花がひらいてゐるビフテキうまさうな
[#ここで字下げ終わり]
飲食店前即事である。
鏡子君、井上君、星城子君を訪ふ。
夜は或るデパート楼上の四有三君送別句会に出席。
[#ここから3字下げ]
さようなら雲が春らしい
[#ここで字下げ終わり]
鏡子居宿泊。
或る料亭で――
[#ここから3字下げ]
燈籠しづかなるかな酒のこぼるる
[#ここで字下げ終わり]
変質的脱線、飲んだ/\歩いた/\。
雲平君の厄介になる、ああ、ああ。(これは三月十二日の事実だつた!)
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それから七階へ、星のきらめくを
[#ここで字下げ終わり]
鏡子居宿泊、白雲子、堤さん、星城子君来訪。
日本娘のよろしさ。
三月十日[#「三月十日」に二重傍線] 曇。
陸軍記念日。
おなじく。
三月十一日[#「三月十一日」に二重傍線] 風雨。
鏡子君自慢の腕をふるつて記念写真撮影。
来訪者いろ/\。
更けて、来訪の星城子君に連れられて同氏宅へ。
三月十二日[#「三月十二日」に二重傍線] 曇。
朝湯朝酒。
桜咲く前の荒生田公園風景、その中の一人として山頭火登場。
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三月九日の記事最後の分はここに。――
[#ここで字下げ終わり]
三月十三日[#「三月十三日」に二重傍線] 晴。
雲平居。
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見おろす山から春めいた煙
[#ここで字下げ終わり]
雲平君夫妻の優待に身心をまかせる。
[#ここから3字下げ]
草青むところよい妻とよい子と
[#ここで字下げ終わり]
おのれを恥ぢるばかりである。
三月十四日[#「三月十四日」に二重傍線] 曇。
雲平居。
三月十五日[#「三月十五日」に二重傍線] 曇。
おなじく。
読書、執筆、揮毫。
三月十六日[#「三月十六日」に二重傍線] 晴。
雲平居。
夜は菫雨居の海峡句会へ出席する。
俊和尚同宿。
三月十七日[#「三月十七日」に二重傍線]
へうぜんとして直方へ飯塚へ、そしてKのところへ。
初めてSに面会する、まことに異様な初対面ではあつた!
父父たらずして子子たり、悩ましいかな苦しいかな。
三月十八日[#「三月十八日」に二重傍線] 曇――晴。
緑平居へ転げ込む。――
[#ここから3字下げ]
ボタ山なつかしく草萌ゆる
[#ここで字下げ終わり]
三月十九日[#「三月十九日」に二重傍線] 雨。
雀、鶯、草、雲。……
愛憎なし恩怨なし、そしてそして、――愚!
若松へ、多君を煩はして熊本へ。
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逢うて別れてさくらのつぼみ
いつまた逢へるやら雀のおしやべり
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熊本駅で一夜を明かす。
三月廿日[#「三月廿日」に二重傍線] 晴。
朝、彼女を訪ねる、子に対する不平、嫁についての不腹[#「腹」に「マヽ」の注記]を聞かされる、無理はないと思ふけれど、私は必ずしもさうとは思はない、それは多分に人間(女)の嫉妬がまじつてゐる。
三月廿一日[#「三月廿一日」に二重傍線] 晴。
酒、酒、酒、歩
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