しい、さびしい。
おいしい昼餉、樹明君ありがたう、私は天地人[#「天地人」に傍点]にお礼を申上げる。
麦飯をたらふく食べるからだらう、やたらに屁が出る、屁を放つてをかしくもない独り者だが、何だかのんびりする、屁は孤独な道化者か[#「屁は孤独な道化者か」に傍点]!
髯が伸びて少々邪魔になりだした、気にかけるな、気にかゝるやうなら剃り落してしまへ。
そろ/\罰があたる頃だと思つてゐたら、左足の関節が痛みだした、しかし、私としては、痛みが激しくならないで起居不能にならない限りは、不幸でなくてむしろ幸福である(悲しい幸福、みじめな仕合でもあらうか)。
昼も夜も読書三昧、しづかな幸福であつた。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□ナムアミダブツ、ナムアミダブツとつぶやきつぶやき殺してゐる、殺しつつナムアミダブツといつてゐる、――それが人間といふものだ!
□オモヒデはトシヨリのキヤラメル[#「オモヒデはトシヨリのキヤラメル」に傍点]
□意志を忘れて来た男
意志だけ持つてゐる女
□老顔のよさは[#「老顔のよさは」に傍点]雨露に錆びた石仏のやうなものだらう、浮世の風雪が彼を磨いたのだらう。
□不幸な幸福――泥酔[#「泥酔」に傍点]のやうな。
幸福な不幸――悲しい健康。
□酒飲の楽しい矛盾[#「楽しい矛盾」に傍点]。
□故郷忘じ難し、そして留まり難し。
血肉は離れて懐かしがるべし。
□私は社会の疣[#「疣」に白三角傍点]だ、瘤[#「瘤」に白三角傍点]にはなりたくない。
癌[#「癌」に白三角傍点]にはなれさうもない。
□食べる物がなくなつたとき、Kさんが食べる物を持つて来て下さつた、Kさんありがたう、そして私は天地人[#「天地人」に傍点]に感謝する。
□食慾は人間最初の慾望で、そして最後の慾望だ、赤児は生れるとすぐ乳房を吸ひ、老人はいつでも何でも食べたがる。
□世尊良久[#「世尊良久」に傍点]、まことにありがたい態度である。
□この生活、この心境はなか/\解つてもらへない、解るまでには三十年の痴愚[#「三十年の痴愚」に傍点]を要するのか、私自身のやうに。
□世を捨てたなどゝうぬぼれてはゐない、世に捨てられたことをはつきり知つてゐる。
□老人はよく独り言をいふ、愚痴な人はよく独り言をいふ、独り者が独り言をいふのはあたりまへだ、愚痴で老いぼれの独り者が独り言をいふのは、あたりまへすぎるあたりまへだらう。
[#ここで字下げ終わり]
二月五日[#「二月五日」に二重傍線] 晴――曇。
けさはだいぶ関節炎がよくなつたらしい、それではかへつて困る、幸福な不幸から不幸な幸福へ転じては、いよ/\ます/\不幸になる!
もう蕗のとうが出てゐるさうな、それを聞いたゞけでも早春を感じる。
食後の散歩がてら、蕗のとうを探して近在をぶらつく、出てゐた、出てゐた、去年も出たところに出てゐた、よい蕗のとうだ、よい香気だ、さつそく佃煮にする、句にする。
麦がなくなつたので、久しぶりに米だけを炊く、飯の白さが身心にしみとほるやうであつた。
落ちついてゐるつもりだけれど、事にふれ折につけて動揺する(今日だつてさうだ)、自分によく解つてゐるだけそれだけ苦しい。
ぶらりぶらり家のまはりを歩いてゐると、うちの蕗のとうも落葉の中から逞ましいあたまをのぞけてゐる(黎々火君が持つて来て植ゑた秋田蕗である、自然生の蕗は毎年ずつとおくれて、貧弱なとうを出す)。
蕗のとうが咲いたのもおもしろい。
暮れてゆくけはひ、暮れ残る梅の花、何となく悄然としてゐるところへ樹明君から呼び出しの使者が来た、さつそく学校の畜舎部屋へ出かける、Iさん、Jさん、そして樹明君が車座になつて酒宴が開かれてゐる、私もその中へとびこむ、うまいうまい、ありがたい、ありがたい、酔ふた酔ふた、……それから街へ、……F屋へ、Sへ、Mへ、たうとうKへ……ぼろ/\どろ/\……何が何やらわからなくなつた、……それでも跣足で戻つて、ちやんと自分の寝床に寝てゐた、命をおとさなかつたのは不思議々々々。
泥酔のよろしさ、こんとんとしてぼう/\ばく/\、だが少々梯子を登りすぎましたね!
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□おでんのやうな句[#「おでんのやうな句」に傍点]、そしてやつこ豆腐のやうな、或はビフテキのやうな句。
□冬ごもりの幸福――火燵、本、食物、そして煙草も酒も――それから――それ以上あると不幸になる!
□人生は割り切れないだらうが、割り切れるやうな場合もないではない、深い体験で算盤玉を弾く時。
□芸術的真実は生活的事実から生れる[#「芸術的真実は生活的事実から生れる」に傍点]。
事実にごまかされては真実はつかめない。
□現実にもぐりこんで、もぐりぬけたとき、現実をうたふことが出来る。
□雑音にも雑音としてのリズムがあることを味はゝなければならない。
□行き詰ることはよろしい、ホントウは行き詰る、ウソはだら/\歩く、時々地駄太ふむのもよろしい。
[#ここで字下げ終わり]
二月六日[#「二月六日」に二重傍線] 曇。
しつかりしろ! 山頭火!
足が痛い、善哉々々。
――もつと賢くなるか、それとも、もつと馬鹿になるか、とにかく中途半端がよろしくないのだ。
昨夜の今朝[#「昨夜の今朝」に傍点]で、嫌な気持だ、地球よ、さつさと廻転しろ、山頭火よ、どし/\歩め。
心がむづ/\する、お天気もよくない、降るなら降れ、照るなら照れ。……
怠惰の安逸に浸る、放心はありがたい。
うつろのやうな肉体を火燵のぬくさにつゝんで読書、ルナアル日記を読みつゞける、だん/\落ちついてくる。
ルナアル日記はちようど父の死を語つてゐる。
貪る心[#「貪る心」に傍点]が何よりも悪いと思ふ。
駄作、悪作、愚作、――せめて凡作[#「凡作」に傍点]を――傑作は出来ないから――もちろん、人生の、生活の、私の身すぎ世すぎである。
昨夜、貰つて来た馬肉(酔中でも遺失しなかつた)を煮る、佃煮にする、おもひで果てなし。
ハガキを貰つたから今日も賀状を書く、ノンキだね。
六時のサイレンが鳴つてから、学校の宿直室に樹明君を訪ねる、いつもにかはらぬ顔を見て安心した(チユウリツプの球根が身代りになつたらしい!)。飯をよばれ酒をよばれ、そして泊らせて貰ふ。
明るい電燈のあかりで、火鉢のあたゝかさで、めづらしく原稿――独語[#「独語」に白三角傍点]六枚――を書きあげる。
落ちついて、のんびりして、愉快になつた。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□何となく老人に心ひかれるやうになつた私は、私自身老人になつてゐた!
□彼は酒が好きな点では日本人としての幸福をめぐまれてゐるが、餅を好かないのは大いなる不幸だ。
□足を病んで足が二本あることをしみ/″\有難いと思つた。
□生地で生きなければ創造することは出来ない[#「生地で生きなければ創造することは出来ない」に傍点]。
□自殺は彼の最後の我儘だ。
□五日一草、十日一石といふ、私は一生一水[#「一生一水」に傍点]でありたい。
□石の沈黙、藪の饒舌、そして人間の矛盾。
太陽の愛撫、小鳥の明朗。
□いつも最後の晩餐[#「最後の晩餐」に傍点]だ。
いつも最初の朝飯だ。
□独言は愚痴ともいへる。
□空洞から生れる句[#「空洞から生れる句」に傍点]、それは水のやうな、或は風のやうな句。
□一時の睡眠から永遠の睡眠[#「永遠の睡眠」に傍点]へ――やつぱり催眠剤がよい、――酒を腹いつぱい飲んで、それから寝床に横はつて。――
□母の死……弟の死……祖母の死……父の死……さて、次の番は……どうやら順番が来たやうだ、いや、順番にしなければならないやうだ。……
□米櫃に米がある、酒徳利に酒があることは何といふ幸福だろう、反古籠に反古があることさへも。
□over value よりも under value
□酔ふ、遊ぶ、そして滅ぶ。……
[#ここで字下げ終わり]
二月七日[#「二月七日」に二重傍線] 曇。
暖かい雨、もう春が来たやうな。――
新聞を読んで、朝飯をよばれて、おとなしく帰庵。
ルナアル日記を読みつゞける、ゆつくりと落ちついて。
どこかで仔犬が鳴きわめく、と仔犬のいぢらしい姿態が眼前にうかびあがる。……
彼には盗癖があるらしい(N屋の店員)、すつかり嫌になる、彼の何でもない一挙動が私をこんなにも憂欝にする。……
樹明君来庵、酒を持つて――飲んで話してゐるところへ、Sさん来庵、酒と下物とを持つて――酔ふ、私は酔うて睡つてしまつた。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□遊蕩のための遊蕩のよろしさ!
□私には好悪はあるが美醜はない、浄穢不二にはなりきれないけれど愛憎はあつさりしてゐる。
□感傷は反芻する[#「感傷は反芻する」に傍点]。
孤独は散歩する。
憂欝は中毒する[#「憂欝は中毒する」に傍点]。
□空は風ふく。
私は咳する。
[#ここで字下げ終わり]
二月八日[#「二月八日」に二重傍線] 晴。
風、風、風はほんたうにさみしい[#「風はほんたうにさみしい」に傍点]!
昨夜の余得として、酒がある、カマボコがある、バツトがある、――ありがたく頂戴して今日の憂欝[#「今日の憂欝」に傍点]を消散せしめる。――
あるだけ飲んで食べて、そして寝る、としよりの、独りぼつちの怠けものの気楽さだ。
終日、風を聴く。――
何でもない事、その事が身心にこびりついて離れない不快、風が屋根の藁を吹き散らして貧乏な私を悩ます。……
私はリヨウマチのおかげで、おとなしく閉ぢ籠つてゐます、――といふやうな消息の文句はあまりおもしろくない。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□たつたこれだけか[#「たつたこれだけか」に傍点]! 私の一生は[#「私の一生は」に傍点]!
□とにかく、花を見てゐると、或は月を仰いでゐると楽しい――少くとも腹は立たない!
私の花であり[#「私の花であり」に傍点]、私の月だ[#「私の月だ」に傍点]。
□「遊ぶ[#「遊ぶ」に傍点]」は「怠ける[#「怠ける」に傍点]」ではない、前者は緊張、後者は弛緩。
□仏法のために仏法を修める。
俳句のために俳句を作る[#「俳句のために俳句を作る」に傍点]。
たゞたゞ余念[#「余念」に傍点]あるべからず。
□物そのものになる[#「物そのものになる」に傍点]、なりきる[#「なりきる」に傍点]。
□作者は作者である限りヱゴイストであつてよい。
[#ここで字下げ終わり]
二月九日[#「二月九日」に二重傍線] 晴。
日本晴、まつたく春だ、朝寝したことも春らしかつた、蕗のとうをさがしあるくこともまた。
終日読書、読み労れるとそこらを歩く。
今日はほんたうに好い日だつた、観念的には日々好日といふけれど、実感[#「実感」に傍点]としてはいつもさうとばかりはいへない、よつぽど出来てゐる人物でない限りは。
とりとめもない物思ひ、そこはかとない無常感、――私は弱虫、そしてなまけものだわい、強くなれ/\。
[#ここから1字下げ]
微笑する句[#「微笑する句」に白三角傍点](時々は微苦笑する)
[#ここから3字下げ]
怒号、悲鳴、溜息、欠伸。
呵々大笑はおもしろいが時代が許さないだらう。
慟哭もわるくないけれど感情が拒むだらう。
生活内容の豊富貧弱はともかくとして、生活態度を確立せよ[#「生活態度を確立せよ」に傍点]。
時代の空気を深く吸ひこめ、そしてすつかり吐き出せ。
[#ここで字下げ終わり]
二月十日[#「二月十日」に二重傍線] 晴――曇。
春、春、春、晴れると、すつかり春だ。――
早すぎる春、嘘のやうな春だ。
足が痛い、頭が痒い、多少いら/\する、物資が乏しくなつたからでもあらう、もう米も石油も煙草も乏しくなつた。
たゞ死なゝいだけ[#「死なゝいだけ」に傍点]、それではつまらないやうにも考へ、また、それでよいやうにも思ふ。
とにかく小使銭がほしいな!
午後、ポストまで出かけたついでに湯にはいる、四日ぶりの外出、そして八日ぶりの入浴。――
[#ここから
前へ
次へ
全11ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング