らない、といふよりも、昨夜からの酒が身内に滞つて欝結してゐる、また街へ出かけて飲み歩く、幸か不幸かT君に逢ふ、いつしよに飲む、とうたう酔ひつぶれてしまつた、それでも戻ることは戻つた、いつ、どうして戻つたかは覚えないが!
近来めづらしいヘベレケぶりであつた。
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綜合単純化[#「綜合単純化」に白三角傍点]
虚心[#「虚心」に白三角傍点]
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 七月十七日[#「七月十七日」に二重傍線] 曇。

昨日の今日[#「昨日の今日」に傍点]である、終日独坐無言行。
豚小屋の豚のいやしさ、切手を飲みあるくだらしなさ。
初茄子(私には)二つ三銭、あまりうまくなかつた。
熟睡はうれしかつた。

 七月十八日[#「七月十八日」に二重傍線] 曇。

草庵無事。
寒山詩鑑賞、多少の反感をそゝられる、それは私の偏見だらうか。

 七月十九日[#「七月十九日」に二重傍線] 晴。

朝風のすが/\しさよ。
花月草紙を読む、常識読本とでもいはうか。
物事すべてつゝましく生きること[#「物事すべてつゝましく生きること」に傍点]。
熊蝉が、むかうの方で、ちよいと鳴いた、今夏最初の声である。
午後――学校へ――米屋へ――酒屋へ。
米はありがたく酒はうまし、私の目下の慾望はどうかして、米一斗酒一斗[#「米一斗酒一斗」に傍点]備へたいことである、その願求がなか/\実現されない、そこがかへつてよいところだらう。
物価騰貴――日用品が高くなるのは私にもこたえることである。
北支風雲ます/\急、これも私にこたえる。
旅[#「旅」に傍点]、旅[#「旅」に傍点]、このスランプを救ふものは旅の外にはない[#「このスランプを救ふものは旅の外にはない」に傍点]、とも考へる、夏のをはりからまた四国へでも渡らう。
アルコール二十銭のおかげで、ぐつすりと寝た。
地獄極楽[#「地獄極楽」に白三角傍点]、それが人生だ。

 七月廿日[#「七月廿日」に二重傍線] また曇る、晴れさうにもある。

土用入。
けさは朝寝だつた、起きて間もなく六時のサイレンが鳴つた。
新聞が来た、郵便が来た、さてそれから。――
熊蝉が鳴く、真夏の歌だ、油蝉も鳴きだした、それは残暑の声だらう。
胡瓜の花は好きな花だ。
夾竹桃はうつくしい、花も葉も、あまり好きではないが。
めづらしく裏山で蜩が鳴く、かな/\かな/\好きなうたである、かつこうが好きなやうに。
夕飯を食べたところへ谷川君来庵、お土産として酒魚ありがたし。
酔はない私は酔へる彼を見送ることが出来た、彼を通して、私は私の片影[#「私の片影」に傍点]を観た!
しばらく滞在してゐた鼠も愛想を尽かして去つたらしい。
晴れて良い月夜になつた。

 七月廿一日[#「七月廿一日」に二重傍線] 晴。

正法眼蔵拝読。
胃のぐあいが何となくよろしくない、やつぱり飲みすぎだつた。
今日はかなり暑かつた、いよ/\本格的な夏だ。
午後、樹明君来庵、つゞいて暮羊君も、――酒すこし、トマトがうまかつた、雑談してめでたく解散、あつぱれ/\!
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逍遙遊[#「逍遙遊」に白三角傍点]
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 七月廿二日[#「七月廿二日」に二重傍線] 晴。

熟睡の朝のよろしさ、夏のよろしさ。
柿の葉後記を書きあげて澄太君に送る、これで当面の要件が一つ片づいた、まだ二つ残つてゐる、――屋根修繕と揮毫。
蚊にも蜘蛛にも困るが、蟻にも困る、蠅には困らない、ほとんどゐないから、ことしは油虫が少ないので助かつてゐる。
ちよつとポストまで、汗びつしよりになつた、庵は涼しい、極楽々々。
陰暦六月十五日、とても良い月だつた、放哉の句をおもひだした。
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こんなよい月をひとり見て寝る
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 七月廿三日[#「七月廿三日」に二重傍線] 晴。

妙な夢見がつゞく、身心がみだれてゐることを知る。
夏は夏らしく[#「夏は夏らしく」に傍点]、私は私らしく[#「私は私らしく」に傍点]。
身辺整理、――洗濯、裁縫、等々。
徒然草鑑賞、兼好法師は楽翁よりも段ちがひの文人だ。
午後、寝ころんで読書してゐるところへ電報来、後藤さんが帰省の途次立寄るといふ、六時の汽車で来て下さつた君を駅に迎へてうれしかつた、同道して一応帰庵、それからまた同道して山口へ行く、途中湯田で一浴、一杯ひつかけさせて貰ふ、そして周二君を訪ねる、三人で街を歩いて、蕎麦とビールとの御馳走になり別れて戻つた。
『二人寝る夜ぞたのもしき』といつた風に寝た。

 七月廿四日[#「七月廿四日」に二重傍線] 曇――晴、また曇つて時々雨。

三時頃目が覚めて四時過ぎ起床。
後藤さんは早朝出立、ほんたうにすまなかつた、いつもこれほどではないのに、こんどばかりは文字通りに何のおかまひも出来なかつた、ほんたうにすまなかつた、いろいろお世話になつた、ありがたかつた。
今日も徒然草鑑賞、うまい、おもしろい。
後藤さんから句集代の前金を貰つたので、街へ出かける。
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醤油四合――十六銭
焼酎一合――十二銭
豆腐二丁――六銭
ハガキ十枚――二十銭
 その他――
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感謝々々、湯田温泉へ行きたいな(昨夜、ちよつと一ヶ月ぶりで行つたことは行つたけれど)。
うたゝ寝から覚めると、どこかでレコードがうたつてゐる、何といふあはれつぽい唄だらう、ぢつとして聞いてゐられないので、そこらを歩きまはる、さみしいなあ!
今日は小郡の管絃祭、誰もが仕掛花火見物に出かけるらしい、私はひとり蚊帳の中に寝ころんで、打揚花火を見たり月を眺めたりした。……
蒸暑い晩だつたが、ぐつすりと寝た。

 七月廿五日[#「七月廿五日」に二重傍線] 曇。

雨風となつた。――
Kから来信、ポストへ出かける。
街で、払へるだけ払ひ、買へるだけ買つた、そして飲めるだけ飲んだ!(といつたところで、解つたものだ、コツプ酒の十杯も飲んだらうか)
湯田へ、――たうとう散歩がそこまで延びた、いつものS屋に泊つた。
そこで、不愉快な事件にぶつかつた、私は酔うてゐたけれど、ぐつとこらへた、人間はあさましいものだと思つた、彼も私も誰も。

 七月廿六日[#「七月廿六日」に二重傍線] 雨――曇。

酒でごまかして一日をすごした。
酔うて戻つた。……

 七月廿七日[#「七月廿七日」に二重傍線] 降つたり、曇つたり。

身心不調、身動きも出来ないほど疲労してゐる。

 七月廿八日[#「七月廿八日」に二重傍線] 雨――曇。

すべて隠遁的[#「隠遁的」に白三角傍点]に。――
孤独と沈黙との生活にかへれ[#「孤独と沈黙との生活にかへれ」に傍点]。

 七月廿九日[#「七月廿九日」に二重傍線] 曇。

沈欝たへがたし。
四日ぶりに出かける、そしてW屋で一杯ひつかける。
北支の風雲がたうとう爆発した、悲痛であるが、詮方のない事実である。
現実的現実に直面せよ[#「現実的現実に直面せよ」に傍点]。

 七月三十日[#「七月三十日」に二重傍線] 雨。

毎日毎夜、万歳々々の声がきこえる、出征将士を見送る声である、その声が私の身心にしみとほる。
夕方、あまりさびしいので、暮羊君を訪ねる、ビールと水密[#「密」に「マヽ」の注記]桃の御馳走になる、感謝々々、おかげで、よい睡眠をめぐまれた。

 七月三十一日[#「七月三十一日」に二重傍線] 晴。

どうやら晴れさうな、人も樹木もよろこびうごく。
貧乏はつらいかな、銭がないために、人間はどんなに悩み苦しむことか。――
この寂しさはどうしたのだらう!
塩と胡瓜とを味ふ、塩はありがたい、それをこしらへてくれる人に感謝する、胡瓜はうまい、それを惜しみなくめぐんでくれる自然に感謝する。
モウパツサン短篇集を読む、モウパツサンはわるくないと思ふ、チヱーホフほど親しくは感じないけれど。
先月はあれほど緊縮して暮らした、今月もこれほどつましく生活費を切り詰めた、しかし赤字つゞきである(もつともちよい/\一杯ひつかけるから、それが浪費といへばいへるけれど、私にあつては、酒は米につぐ生活必需品である!)。
かうして生きてゐてどうなるのか、どうすればよいのか、今更のやうに、自分の無能無力が悲しかつた[#「自分の無能無力が悲しかつた」に傍点]、腹立たしい。
乞食になりきれない弱さ、働いて食べる意力のないみじめさ。
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改めて書き遺すこと

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丈草
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性くるしみ学ぶ事を好まず、感ありて吟じ[#「感ありて吟じ」に傍点]、
人ありて談じ、常はこの事打わすれたる如し。
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(去来、丈草誄)
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春雨やぬけ出た儘の夜着の穴
大原や蝶の出て舞ふ朧月
鶯や茶の木畠の朝月夜
白雨に走り下るや竹の蟻
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 時鳥啼くや湖水のささ濁り
 行秋や梢にかかる鉋屑
・蜻蛉の来ては蠅とる笠の中(旅中)
・虫の音の中に咳き出す寝覚かな
 幾人か時雨かけぬく瀬田の橋
 ほこ/\と朝日さしこむ火燵かな
 水底の岩に落つく木の葉かな
・物かけて寝よとや裾のきり/″\す
 連のある処へ掃くぞ蟋蟀
・淋しさの底ぬけて降る霙哉
 交は紙衣のきれを譲りけり(貧交)
    はせを翁の病床に侍りて
 うづくまる薬の下の寒さかな
・朝霜や茶湯の後のくすり鍋(無名庵)
    宗長、三井寺にて
 夕月夜うみ少しある木の間かな
  俳諧勧進帳     奉加乞食路通
 いね/\と人にいはれつ年の暮
 草臥て烏行くなり雪ぐもり
 草枕虻を押へて寝覚めけり
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 ┌五句三十一音、短歌形式(五七五七七)     ┌奇数形式
短│三句十七音、俳句形式 (五七五)       │ うたはぬ形式
形│四句二十六音、俗謡形式(七五七五―七七七五) └偶数形式
式│       今様―               うたふ形式
 └六句三十八音、旋頭歌形式(五七七―五七七)
長┌小長歌(七句から十五句)
歌│中長歌(十六句から五十句)
 └大長歌(五十一句以上)
     ┌抒情詩[#「抒情詩」に傍点]┐
 ┌主観詩┤   │
詩│   └思想詩│
歌│       ├叙景的抒情詩[#「叙景的抒情詩」に傍点]
 │   ┌叙事詩│
 └客観詩┤   │
     └叙景詩[#「叙景詩」に傍点]┘
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底本:「山頭火全集 第八巻」春陽堂書店
   1987(昭和62)年7月25日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年10月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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