話す、笑ふ。……
雪、酒、そして飯がありました、ありがたう。

 二月十五日[#「二月十五日」に二重傍線] 雪、時々晴。

満目白皚々。
朝、妙な男が訪ねて来た、嫌な男だつた、悪い男とは思はないけれど。
昨日も今日も郵便は来ない。

 二月十六日[#「二月十六日」に二重傍線] 曇――晴。

倦怠、たゞ寒く、たゞ懶し。

 二月十七日[#「二月十七日」に二重傍線] 曇。

沈欝たへがたし。
私は虚病の虚病[#「虚病の虚病」に傍点]を病んでゐる。
今日も嫌な朝鮮人が来た。
燈火をなくして第三夜だ、暗黒裡の妄想!
七日の月があることはあつた。

 二月十八日[#「二月十八日」に二重傍線] 晴――曇。

春寒、めつきり春めいて来た。
身心やゝ落ちついて、めづらしくも朝寝。
碧梧桐氏逝去を今日知つた(新聞を見ないから)、哀悼にたへない、氏は俳人中もつとも芸術家肌であつたやうに思ふ、一事を続けてやれなかつたのも、弟子とはなれがちだつたのもそのためだ、未完成[#「未完成」に傍点]――惜しいけれど詮方のない、――永久の未完成[#「永久の未完成」に傍点]といつたやうな性格だつた。
七日ぶり外出、そして四日ぶりに燈火を与へられた。
いつもケチ/\して、或はクヨ/\して、そして時々クラ/\して、――何といふみすぼらしい生活だらう、ひとり省みては自から罵るばかりだ。
いうぜんとして、山を観よ、雲を観よ、水を観よ、草を観よ、石を観よ。……

 二月十九日[#「二月十九日」に二重傍線] 晴れたり曇つたり。

身辺整理。
なづなが咲いてゐる、蕪も大根も咲かうとしてゐる。
Nさん来庵、水など汲んでもらふ、すみません。
風が出て来た、風はさみしい、何よりさみしい、いつもさみしい、やりきれない。
うつ/\として一日が過ぎる。

 二月廿日[#「二月廿日」に二重傍線] 晴、そして曇。

春寒、氷が薄く張つて小鳥が囀づる。
食べる物がなくなつたので梅茶ですます、それもよからう、とかく飲みすぎ食べすぎる胃腸を浄めるためにも、また、貪りたがる心をしづめるためにも。
それにしても食慾の正確さは! 胃袋の正直さは!
出かけて米を借りて戻る(樹明君に泣きつかないのは私の良心の名残だ)、すぐ炊いて食べる。
ほろよひ人生か、へゞれけ人生か、――私は時々泥酔しないと生きてゐられない人間だ!
[#ここから3字下げ]
椿赤く酔へばますます赤し
 (梅の白さよりも椿の赤いのが今の私にはほんたうだ)
[#ここで字下げ終わり]
曇つて寒く、山の鴉が啼く、さびしいな。
街へ出かけて、白米を借りて戻る、さつそく炊いて食べる、わびしいな。
六日ぶりの酒、十一日ぶりの入浴。
学校に寄つて新聞を読ませてもらふ、樹明君にはわざと逢はなかつた。
今日はだいぶ歩いたので、足が痛い、頭が重い。
[#ここから2字下げ]
   或る友への消息に
先日来、私は足部神経痛で、多少の起居不自由を感じます、いつそ歩行不随意になればよいと思ひます、さうなれば、しぜんしようことなしに身心が落ちつきませう。……
[#ここで字下げ終わり]

 二月廿一日[#「二月廿一日」に二重傍線] 曇。

身心沈静、やりきれなくて湯田へ出かける。……

 二月廿二日[#「二月廿二日」に二重傍線] 三日[#「三日」に二重傍線] 四日[#「四日」に二重傍線] 五日[#「五日」に二重傍線] 六日[#「六日」に二重傍線] 七日[#「七日」に二重傍線] 八日[#「八日」に二重傍線]

ぼう/\として、あるいは、しん/\として。
悲しい日、恥づかしい日、悩ましい日、切ない日。
草が芽吹き、鴉が啼き、人間が酔うてさまよふ。
[#ここから1字下げ]
┌飯と酒
│ 飯のありがたさ
└塩と味噌
  塩のよろしさ
 満腹と脱糞
[#ここで字下げ終わり]

 三月一日[#「三月一日」に二重傍線] 曇。

春は来たが、私は冬だ。――
終日不動無言。
身心頽廃。
せめて美しく滅ぶべし。――

 三月二日[#「三月二日」に二重傍線] 晴。

雲雀、菜の花、小虫がしきりに飛ぶ、――春だ。
放下着、一切放下着。
不思善不思悪、空々寂々。
午後、五日ぶりに外出する、無燈火にたへられなくなつたから。
Kさんから本を借り、コロツケを貰ふ。
三日ぶりに点燈、だいぶ落ちついて来た。
生きてゐればゐるだけ、私は私の無能無力を感じるだけである。……

 三月三日[#「三月三日」に二重傍線] 雨。

春雨だ、間もなく花も咲くだらう。
亡母祥月命日。
沈痛な気分が私の身心を支配した。
……私たち一族の不幸は母の自殺[#「母の自殺」に傍点]から始まる、……と、私は自叙伝を書き始めるだらう。……
母に罪はない、誰にも罪はない、悪いといへばみんなが悪いのだ、人間がいけないのだ。……
身辺整理。
矛盾
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