る。
句は私を救ふ。
その酒がやめられないのだ。
句が作れないのだ、ほんたうの句[#「ほんたうの句」に傍点]が作れないのだ。
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――或る日の独白
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十一月十七日[#「十一月十七日」に二重傍線] 晴。
午前中は身辺整理。
午後、買物がてら、ちよつと街まで出たのがよくなかつた、一杯が二杯になり、二杯が五杯になり、五杯が十杯になつて、何が何やらわからないほど泥酔してしまつた。
やつぱり、ほろゑい人生[#「ほろゑい人生」に傍点]でなくてどろゑい人生[#「どろゑい人生」に傍点]だつた、愚劣だ、醜悪だ。
自分で自分のあさましさにあきれる。
飲まずにはゐられない酒だけれど、飲めば酔ふ、酔へば踊る、それもよいけれど、しやべるな、うろつくな、すなほであれ、おとなしくしてをれ。
負け惜しみの生活はよくない、投げ出した生活[#「投げ出した生活」に傍点]がよい。
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心を広く持て。
身をゆつくりとくつろげることだ。
放心!
ぼうつとして天地の間によこたはるべし。
くよ/\するな。
けち/\するな。
ふりかへるなかれ[#「ふりかへるなかれ」に傍点]、前を観よ。
いや、観ようともするな。
見えるだけ見るがよい、聞えるだけ聞くがよい、触れるだけ触れるがよい。
自我放下[#「自我放下」に傍点]!
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十一月十八日[#「十一月十八日」に二重傍線] 曇、時雨。
雲のやうに、水のやうに、そして風のやうに。
久しぶりに落ちついて、御飯を炊きお汁をこしらへた。
いつでも死ねるやうに[#「いつでも死ねるやうに」に傍点]、いつ死んでもよいやうに[#「いつ死んでもよいやうに」に傍点]、身心を整理して置くべし[#「身心を整理して置くべし」に傍点]。
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なかれ三章
一、くよくよするなかれ。
一、けちけちするなかれ。
一、がつがつするなかれ。
べし三章
一、茫々たるべし。
一、悠々たるべし。
一、寂々たるべし。
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勿論、物事にこだはつてはいけないが、こだはるまいとして、こだはることにこだはつてはならない。
執着のなくなるのは蛇が脱皮するやうでなければならない、蝉が殻を捨てるやうに、内に熟するもの[#「内に熟するもの」に傍点]があれば外はおのづから新らしくなるやうでなければならない。
今日は酒なし、石油もなし、そして御飯と大根とがある、結局、食慾こそは最初の[#「食慾こそは最初の」に傍点]、そして最後のものである[#「そして最後のものである」に傍点]。
ムダはあつてもムラのない生活[#「ムダはあつてもムラのない生活」に傍点]が望ましい、一言に約すれば、自然[#「自然」に傍点]、いひかへれば本然[#「本然」に傍点]、さらにいひかへれば無理のない生き方[#「無理のない生き方」に傍点]。
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私の買物帳
一金弐十五銭 番茶一袋
一金十銭 蝋燭五本
一金十銭 蒲鉾一本
一金九銭 味噌百目
一金八銭 大根一把
一金壱円 酒一升
一金弐十四銭 バツト三ツ
一金十五銭 石油三合
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十一月十九日[#「十一月十九日」に二重傍線] 晴、曇、雨。
夜もすがら時雨を聴いた。
身心整理[#「身心整理」に傍点]。
ひよどりはなつかしいかな。
しぐれ日和、よい今日でもあるが、わびしい今日でもある。
此頃よく夢を見る(身心不調のためだらう)、昨夜も或る夢を見た、そこではSやKや彼や彼女が現はれて、私を泣かせたり笑はせたりした、過去と現在がこんがらがつて。……
午後Nさん来庵、いつしよに散歩かた/″\石油買ひに新町へ、そして途中別れた。
おかげで、今夜は燈明がある読物がある。
柿、柚子、橙、唐辛等をとりいれる、其中庵もまづく[#「づく」に「マヽ」の注記]してそしてゆたかだ。
風がなか/\強い、をり/\しぐれる、昼は秋ふかいものを感ずるが、夜は冬の来たことを感じる。
風の落ちた空に夕月が出てゐた、忘れがたい風景であつた。
ぢつとしてゐても、出かけても、何となく労れる、胸が痛い、これは感冒のひきこみがよくならないからだらうが)[#「)」に「マヽ」の注記]近頃めつきり老衰を覚える。……
おちついてしめやかな老境[#「おちついてしめやかな老境」に傍点]、それは私の切に望むところである。
なるやうになつてゆく[#「なるやうになつてゆく」に傍点]、――それが私の生き方でなければならない。
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最も古くして常に新らしいものは何か[#「最も古くして常に新らしいものは何か」に傍点]、それが芸術の、随つて人生の真実である。
軒端に蟷螂が産卵した産[#「産」に「マヽ」の注記]のまゝで死んでゐた、私は自然のいのちのすがた[#「自然のいのちのすがた」に傍点]そのままを観たのである。
家のまはりに柿の木[#「柿の木」に傍点]、野菜畑に大根[#「大根」に傍点]がなかつたならば、私たちの秋はどんなに淋しいであらう。
しみ/″\味ふ酒[#「しみ/″\味ふ酒」に傍点]、さういふ酒だけを飲む私にならなければならない。
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十一月二十日[#「十一月二十日」に二重傍線] 日本晴だ。
なるやうになつてゆく[#「なるやうになつてゆく」に傍点]、――これが私の最後の唯一の生き方[#「私の最後の唯一の生き方」に傍点]であることが解つた。
実人さんから干魚をたくさん頂戴した、干魚そのものは歯のない私には堅すぎるけれど、その情味のやわらかさは、ありがたし/\。
夕飯を食べて、ランプを点けて、一服やつてゐるところへなつかしい声――敬君だ、わざ/\生一本と汽車辨当を携へての御入来である、さつそく飲んで食べた、……それから街へ、……をんな、をんな、うた、うた、……ほろ/\とろ/\、……F屋で酔ひつぶれてしまつた!
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□ホントウのナンセンス文学[#「ホントウのナンセンス文学」に傍点]
こしらへたナンセンスではない。
おのづからうまれたナンセンス。
□あふれてわくもの[#「あふれてわくもの」に傍点]。
□魔術[#「魔術」に傍点]はよろしい。
手品[#「手品」に傍点]はよろしくない。
□草の実の執着。
熟柿の甘味。
太陽の光と熱。
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十一月廿一日[#「十一月廿一日」に二重傍線] 曇。
いよ/\冬が来た。――
起きてすぐ帰庵、敬君は下関へ出張。
午後、ポストまで、ついでに買物、海老雑魚十二銭、貰ひ水、独り者らしい、貧乏らしい、それがかへつて私の生活にはふさはしからう。
あるだけの米を炊ぐ、これも私にはふさはしからう。
やつぱり飲みすぎ食べすぎだつた、不死身の私も何となく胸苦しい。
暮れて敬君再び来庵、F屋まで出かけて少し飲んで多く食べる、戻つて来てからお茶を飲み菓子を食べ、そして仲よく寝る。
火燵があたゝかく、ぐつすり睡つた。
今日初めて火燵を出したが、火燵といふものはなつかしくうれしいものだ。
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┌しづかな朝飯。
└さびしい夕餉。
鬼も知つた鬼[#「知つた鬼」に傍点]がよいといふ、なるほど。
播いた種が生えないのは播かない種が生えるよりもよくない。
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十一月廿二日[#「十一月廿二日」に二重傍線] 曇――晴。
いつしよにおいしく朝飯をいたゞく。
敬君は実家へ。
午前はとてもしづかでしめやかだつた、おちつける日、小鳥の来る日だつた、目白、鵯、鶲。
午後、敬君再び来庵、酒を少し仕入れて、ほどなくNさん来庵、野菜をいろ/\持つて、三人でおとなしく飲む。
夕方、いつしよに街へ出て別れる、私だけ一人で湯田へ、……わるくない酔ひ方だつた。
――句も夢も忘れてしまつた。
いつもの安宿に泊る。
十一月廿三日[#「十一月廿三日」に二重傍線] 冬曇。
十時帰庵。
注文しておいた酒がある、貰つた鮒がある。
待ち受けてゐるNさんが来ないので、ひとりでちびりちびり飲んだ。
今日はどうした風の吹きまはしか、反物売の娘さんがやつてきて、しつこくすゝめるのには閉口した。
――胃腸が痛む――身心の[#「の」に「マヽ」の注記]爛れてゐる。
十一月廿四日[#「十一月廿四日」に二重傍線] 冬晴。
うまいかな朝酒、ぬくいかな火燵。
今晩も鮒を料理して独酌。
近来めつきり老衰したことを感じる、みんな身から出た錆だ、詮方なし。
老衰しきつてしまへば、また、そこにはそこだけのものがあるだらう。
彼を思ふ、彼とは誰だ、彼女を思ふ、彼女とは誰だ、故郷を思ふ、故郷は何処だ!
老いて夢多し[#「老いて夢多し」に傍点]、老いて惑多し[#「老いて惑多し」に傍点]。
慾がなくなるほど濁が見える[#「慾がなくなるほど濁が見える」に傍点]、澄んでくる[#「澄んでくる」に傍点]。
澄んだり濁つたり、濁つたり澄んだり、そして。――
十一月廿五日[#「十一月廿五日」に二重傍線] 好晴。
朝酒あります!
身辺整理、まづ書信をかたづける。
午後、街へ――ポストへ、風呂屋へ、それから学校へ、そこで偶然、豚を屠る光景を目撃して不快な気持になつたが、樹明君に逢つて与太をとばしてゐるうちにすつかり愉快になつた。
こらへる[#「こらへる」に傍点]――こらへろ[#「こらへろ」に傍点]――こらへた[#「こらへた」に傍点]!(何を――酒を!)
殆んど夜を徹して句作推敲、ねむれないからしようことなしの勉強だ、明け方ちかくとろ/\としたら、恐ろしいあさましい悪夢に襲はれた。
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□精神が制御しきれない肉体!
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幸福なる疾病ではあるまいか!
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□人間的真実
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自然の真実。
社会的真実。
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□いのちはいのちなり[#「いのちはいのちなり」に傍点]、私はたゞそれをうたへばよろし[#「私はたゞそれをうたへばよろし」に傍点]。
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いのちのリズム、俳句のリズム、山頭火のリズム。
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□真実は[#「真実は」に傍点]生命なり。
生命は[#「生命は」に傍点]真実なり。
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十一月廿六日[#「十一月廿六日」に二重傍線] 曇。
暗い、寒い、小雪でもちらつきさうな。
いよ/\冬ごもりだ。
閉居読書。
しめやかな雨となつた、よい雨だが屋根が漏ることはうるさい。
あたたかい夜だつたがねむれない、酒気が切れたからだらう。
いよ/\アル中患者だ、私も俳人から癈人[#「俳人から癈人」に傍点]になりつつあるのだらう!
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□俳句性[#「俳句性」に傍点]――単純[#「単純」に傍点]。
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季題[#「季題」に傍点]が存してゐたのも十七音形態[#「十七音形態」に傍点]であつたのも。
飯がうまい、花がうつくしい……
水がありがたい、雲が好き……
みんな私の実感実情[#「実感実情」に傍点]である。
櫨紅葉[#「櫨紅葉」に傍点]がとても見事な色彩を持つてゐる、それに感動したら、それをうたへばよいではないか。
ビルデイング[#「ビルデイング」に傍点]でもヱンヂン[#「ヱンヂン」に傍点]でも同様である。
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□個を通して全は表現される[#「個を通して全は表現される」に傍点]。
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集団的なものは集団的に。――
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□感覚を越えて[#「感覚を越えて」に傍点]意志を現はさうとしてはならない、観念を強いてはならない。
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