感覚的事象[#「感覚的事象」に傍点]に徹するところに、そこに写実[#「写実」に傍点]の蘊奥がある(或る画家の所感を読みて)。
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 十一月廿七日[#「十一月廿七日」に二重傍線] 雨――曇――晴。

見れば見るほど枯草のうつくしさ、櫨紅葉のよろしさ、ほんたうに秋は好きだ。
火燵でうたた寝、どうやら睡眠不足も足りた。
貰ひ水[#「貰ひ水」に傍点]、いよ/\水が有難く、ます/\水を大切にする。
夕方、約束通りに樹明君と敬君と同道して来庵、酒、魚、豆腐など持参、久振りに三人対座して飲み且つ食べたが、どうしたのか、いつものやうに快く酔はない、何だか妙な気持で、三人同道してF屋へ押しかけ、さらに飲んだが、どうしても興が熟しない、別れ/\になつて、私と樹明君とはS亭でまた飲み、半熟の卵みたいになつてタクシーで送られて帰つて来た、ほどなく敬君も帰来、残肴で残酒を平げて、いつしよに寝た。
ぐううぐう、ぐううぐう(これは私の鼾声!)。
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   或俳友に答へて――
……結局、めいめい信ずる道を精進するより外ないと思ひます、彼が真摯であるかぎりは、彼は彼の体験の中に真実を探しあてる外ないでせう。……
私は幸福[#「幸福」に傍点]ではないかも知れないが、不幸[#「不幸」に傍点]ではない(私自身は時々幸福と思ふたり不幸と考へたりするが)。
近眼、老眼、どちらも事実だ、そして近眼と老眼とがこんがらかつて、老近眼[#「老近眼」に傍点]とでも呼びたい事実だ。
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 十一月廿八日[#「十一月廿八日」に二重傍線] 曇――晴。

熟睡したので気分快適、二人いつしよに楽しい朝餉を味ふ。
敬君は九時のバスで山口へ、午後には帰つて来るとはいつたけれど、どうなるものやら。……
おちついてしづかなるかな。
今日は陰暦の十月十五日、宮市天満宮の神幸祭である、追憶果てなし、詣りたくてたまらないが、質受が出来ない、小遣がない。
街の風呂にはいる、冬村君に出くわす、天満宮へ詣るといふ、嫌になつて※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々帰庵。
めづらしく遍路爺さんがやつて来た、一銭あげる、この一銭も今の私には大金だ!
敬君はたうとう帰つて来ない、はて、どこに沈没したかな。
暮れてから農学校の宿直室へ、酒とうどんの御馳走になる、樹明君はあまり飲まない、私ばかり頂戴する、酒三杯、うどん三杯、大きな胃の腑ではある! 飲み足りないので、柄にもなく遠慮して、街へひとり出かけて、さらに飲み食ひする、酒六杯! そして酔つぱらつて――乱れない程度に――学校へ引き返して泊めて貰ふ、極楽々々。
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□我がままな飲食[#「我がままな飲食」に傍点]、気まぐれな性慾を排斥する[#「気まぐれな性慾を排斥する」に傍点]。
□物忘れすることは悪くない、自分自身をも時々は忘れるがよろしからう。
 今日の私は本を忘れステツキを忘れ帽子を忘れた、だが、酒を忘れなかつた。
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 十二[#「二」に「マヽ」の注記]廿九日[#「十二[#「二」に「マヽ」の注記]廿九日」に二重傍線] 日本晴。

霜白く雲かげなし、美しい日和[#「美しい日和」に傍点]。
朝飯をよばれてから帰庵。
飯三杯、汁三杯、茶三杯。――
誰も来てゐなかつた、敬君たうとう戻らなかつた。
宮市へ行きたいと考へてゐるところへ樹明君来庵、散歩しようといふ、ぶら/\歩く、名田島の方へ、途中、酒があるところでは飲む、Nさんに逢つて、案内され紹介される、父君も年をとられた、私も年が寄つたと思ふ、往事夢の如く――悪夢の如し、それからまた歩く、暮れてバスで小郡まで、そしてまた飲む、飲んで騷ぐ。……

 十一月三十日[#「十一月三十日」に二重傍線] 晴――曇。

何しろ昨日の今日[#「昨日の今日」に傍点]でして。――
閉ぢ籠つて、岔水君が送つてくれた中央公論を読む、ともすれば昨夜の自分を反省して憂欝になる、樹明君とても多分おなじだらう!
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   私の買物
一金三十銭  麦二升
一金六銭   焼酎半杯
一金三十弐銭 なでしこ大袋
一金四銭   葱一束
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 十二月一日[#「十二月一日」に二重傍線] 晴。

いよ/\師走になつた。
身辺を整理せよ、心中を清算せよ。
午後、ポストまで出かける、ついでに入浴する。
月が毎夜うつくしい。

 十二月二日[#「十二月二日」に二重傍線] 晴、曇、時雨。

あたゝかくて何よりと喜んでゐたら急に寒くなつた、風物がすつかり冬らしくなつた。
おとなしく冬ごもりすることだ。
冬は冬らしく、老人は老人らしく、私は私らしく、それがホントウだ。
肉体的にも胸中異変[#「胸中異変」に傍点]があるらしい、今の場合では、私にあつては、疾患は不幸な幸福[#「不幸な幸福」に傍点]とでもいふべきだらう!
青[#「青」に「マヽ」の注記]城子君から、鏡子さんが商工会議員に高点で当選したと知らせて来たので、早速、お祝ひの一句を贈つた――
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月のあかるい空へあけはなつ
[#ここで字下げ終わり]
久しぶりに麦飯を炊く、あたゝかくておいしい、腹いつぱい頂戴した。
夕方、駅のポストまで出かける、Y屋でほどよく酔うて、すぐ戻つて、ぐつすり寝た、まことにめでたいことであつた。
夜中に眼が覚めて、寝床で句作を続けた。
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※[#二重四角、350−9]草は美しい、詩人としては無論、社会人としての自覚はなければならないが、その美しさをうたへばよい、それ以外のことは考へないがよい、考へなくともよい。
※[#二重四角、350−11]ありやう[#「ありやう」に傍点]があるべきやう[#「あるべきやう」に傍点]であるとき、そこに真善美がある。
※[#二重四角、350−12]自然とは、生活的には、自己の顕現である、芸術的にもまた。
※[#二重四角、350−13]俳句的とは――
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主観の客観化[#「主観の客観化」に傍点]。
象徴的表現。
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 十二月三日[#「十二月三日」に二重傍線] 時雨。

今日は私の第五十四回の誕生日[#「誕生日」に傍点]である。――
一年は短かいと思ふが、一生はなか/\長いものである。
柚子味噌で麦飯をぼそ/\食べる。
寒い寒い、火燵々々、極楽々々、ありがたいありがたい。
終日終夜、時雨を聴いた。
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□リズムについて[#「リズムについて」に白三角傍点]
 素材を表現するのは言葉であるが、その言葉を生かすのはリズムである(詩に於ては、リズムは必然のものである)。
 或る詩人の或る時の或る場所に於ける情調[#「情調」に傍点](にほひ、いろあひ、ひゞき)を伝へるのはリズム、――その詩のリズム、彼のリズムのみが能くするところである。
 日本の詩に於けるリズム[#「日本の詩に於けるリズム」に傍点]について考ふべし。
□芸術は由来貴族的[#「貴族的」に傍点]なものである、それが純真であればあるほど深くなり高くなる、そこでは大衆よりも人間をまづ観る、社会性[#「社会性」に傍点]よりも人間性[#「人間性」に傍点]を重く考へる(といつて、勿論、社会から孤立した人間が存在するといふのではない、人間は社会的環境によつて規定せられるものではあるが――)。
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 十二月四日[#「十二月四日」に二重傍線] 曇、時雨。

まつたく冬日風景。――
なか/\冷える、奥は雪だらう、寒がりの私は土鼠のやうに火燵にもぐりこんでゐる(抱壺君はベツドで頭だけ出して蓑虫みたいださうな)。
ワガママ、イクヂナシ、何といはれても仕方がない、アルコールが老衰を早発さしたのだらう。
あとくされのない生活[#「あとくされのない生活」に傍点]、さういう生活をしたい。
郵便が来なかつた、このことだけでも私には大きな失望を与へる。
午後ポストまで、ついでに入浴、そして買物少々。
葱汁と麦飯[#「葱汁と麦飯」に傍点]とは何となく調和してゐる、それが私の今日の晩餐だつた。
昨日も今日も酒なし、明日はどうだか解らない。
私もやうやくにして、私の句――ほんたうの句――水のやうな句[#「水のやうな句」に傍点]――山頭火の句が作れるやうになつたらしい、何よりうれしいことである。

 十二月五日[#「十二月五日」に二重傍線] 晴。

冷たい、足袋を穿かないではゐられなくなつた。
左の耳が何だか変だ、耳も悪くなるだらう、何しろもうオルガンそのものが古くなつたのか[#「のか」に「マヽ」の注記]ら、そして虐待しつづけてきたのだから(眼だつて何だつておなじことだ)。
今日も郵便が来なかつた、郵便は私に残された楽しみの一つだのに。
正午、Nさん久しぶりに来庵、詩稿持参、水を汲んで来て貰ふ(あれだけしぐれたのに、こゝの井戸には水がたまらない)。
六日ぶりに人が来て、人と話した訳だ。
午後、学校の給仕さんが樹明君の手紙を持つて来た、――下物は持つて行くから酒を用意してくれ、といふのである、これは今の私には無理難題だ、私は此頃八方塞りで手も足も出ない、たつた酒一升がままにならぬとは気の毒みたいだ、などゝ考へてゐるうちに、だん/\腹立たしくなつた、これは好意の悪意[#「好意の悪意」に傍点]だ、貧乏と放縦と情誼と無能との雑炊だ!
暮れ方に樹明君来庵、酒がなくては落ちつけないといつて早々帰去、ああ残念々々、ああ失望々々。
一人取り残された私はお茶を飲んでパン――それは樹明君のお土産――を食べて、火燵にもぐりこんだ。
老いては睡りがたしの嘆[#「老いては睡りがたしの嘆」に傍点]にたへなかつた。
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※[#二重四角、353−16]自然と自己とのつながり――
 どんなにつながつてゐるか。
 それが問題である。
 そこに立場がある。
※[#二重四角、354−4]感覚美――
 それが正しく表現さると[#「ると」に「マヽ」の注記]き、感覚美はおのづから[#「おのづから」に傍点]感覚美以上のものを暗示[#「暗示」に傍点]する、いはゆる象徴芸術[#「象徴芸術」に傍点]が生れる。
 これが私の句作的立脚点である。
※[#二重四角、354−8]俳句の本質(及限界)――
 発想[#「発想」に傍点] 俳句的把握。
 表現[#「表現」に傍点] 俳句的リズム。
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 十二月六日[#「十二月六日」に二重傍線] 曇。

冬、冬、冬。――
酒なしデー四日目で、多少いら/\する。
朝早くから籾摺の音が賑やかに聞える、播いて刈る彼等は[#「播いて刈る彼等は」に傍点]、少くとも今日は限りない幸福を味ふだらう[#「少くとも今日は限りない幸福を味ふだらう」に傍点]。
寒菊のうつくしさ、それは私のよろこびだ。
正午すぎ、樹明君から態々人を以て野菜即売会への案内を受けたので、農学校へ出かける、見事な野菜が陳列されて、如才のない主婦たちが盛んに買ひ込んでゐる、私も大根、京菜、鶏肉、ソーセージを頂戴したが、とても重かつた、しかしその重さはありがたい重さ[#「ありがたい重さ」に傍点]だ。
樹明君が約束通り夕方来庵、おとなしく飲んで別れた、酒は足らなかつたけれど下物は十分だつた。
炬燵でうと/\してゐると、だしぬけに二人の来庵者! うれしかつた、澄太君と黎々火君だ。
お土産の酒と蒲鉾とを炬燵の上に並べて味ふ、そしていつしよに寝た。
まことによい会合であつた、生きてゐてうれしいと思ふ。
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□実生活に於ては後悔[#「後悔」に傍点]しないやうに。
 句作に於ては凝滞[#「凝滞」に傍点]しないやうに。
□すべてがこゝろ[#「こゝろ」に傍点]をあらはす。
 山でも風でも草でも雲でも水でも鳥でも、何でもこ[#「こ」に傍点]ゝの[#「ゝの」に「マヽ」の注記]あらはれ[#「あらはれ
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