」に傍点]となる。
この境地、そしてその作品。
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十二月七日[#「十二月七日」に二重傍線] 曇。
睡れないので早くから起きて、飲んだり食べたり、そして六時の汽車で黎々火君を見送り、二人はそのまゝ湯田へ、例の千人風呂でのんびり遊ぶ。
友情と温泉とには相通ずるものがあるやうだ[#「友情と温泉とには相通ずるものがあるやうだ」に傍点]。
山口へまはる、途中、酒屋に腰掛けて濁酒をひつかける、それから駅通りで、簡単なれども意味深い会食、満腹をバスに揺られて、学校に樹明君を訪ふ、そして再び庵へ、胡瓜がうまかつた(これは樹明君から澄太君への贈物を裾分けして貰つたのだ)。
一時の汽車で名残惜しくもお別れ。
しよんぼり帰つてうたゝねする、さびしいな。
待つたが樹明君は来てくれなかつた、いや来てくれた、寝苦しかつた。
想ひ出せば、今日は私の記念日[#「記念日」に傍点]だ、去年の今日、私は捨身懸命の長旅に立つたのである。……
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○独り言
○或る問答
○濁酒
○忘れられない人物
○貰ひ水
○寒鮒
○情熱
○放心
○持味
○その犬
○郵便
○生地に生きる
○老境
○句作三昧
○酒
○年越
○お正月
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十二月八日[#「十二月八日」に二重傍線] 今日もまた曇天。
寒い、冷たい、暗い、――今にも何か降つて来さうな。
層雲[#「層雲」に傍点]、第二日曜[#「第二日曜」に傍点]、松[#「松」に傍点]、到来。
出かけたくないけれど、ちよつと街へ、油買ひに。
藪椿たつた一輪見つかつた、机上を飾つてくれた。
黎君ありがたう、子規全集を読んで。
暮れても耕やす人々、あゝすみません。
麦飯の炊き方を会得しました、おいしい麦飯を食べられるやうになりました。
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□俳句らしい俳句[#「俳句らしい俳句」に傍点]も悪くないが、目下は俳句らしくない俳句[#「俳句らしくない俳句」に傍点]が望ましい。
□感覚を超えて意志を強ゆる[#「感覚を超えて意志を強ゆる」に傍点]勿れ。
月並化する最初の危険、最大の誘惑。
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十二月九日[#「十二月九日」に二重傍線] 大霜。
初めて戸外の水が氷結した、身心ひきしまるやうな大気だつた、美しい太陽[#「美しい太陽」に傍点]だつた。
浜松の女学生連から来信、彼女らには彼女らにふさわしい苦悩がある、生きてゐるかぎり免かれがたい人間苦である。
左の耳がだん/\聞えなくなる、左の事を聞くなといふのだらう!
十二月十日[#「十二月十日」に二重傍線] 晴。
いかにも冬日らしく、そして山頭火らしく。
米が乏しく、炭が乏しく、そしていかにも山頭火らしく。
午後、Nさん来庵、鮒、野菜など頂戴する、いつしよに街へ、私はついでに入浴。
やつと冬物の利上げだけ出来ました!
前の畑に芋が落ちてゐたので、拾つて来て芋粥をこしらへる、貰ひ水徃復の一得ともいへよう。
冬の雨はまことにしづかなるかな。
睡れないので夜通し句作。
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近頃の感覚
どうやらかうやら、私の最後の過渡期も終つたらしい、いよ/\最後の新らしい生活だ、老の歩みを踏みしめ踏みしめ、一歩一歩、精進するのだ。
ずゐぶん苦しみ悩んだ。……
それは個人転換期[#「個人転換期」に傍点]の苦悶といつてもよからう。
第一期、少年から青年へ(青春のなやみ)
第二期、青年から壮年へ(中年のくるしみ)
第三期[#「第三期」に傍点]、壮年から老年へ[#「老年へ」に傍点](老のもだえ)
老境そのものには苦悶はないであらう、老いると感じることそのことが苦しみ悶えるのであらう。
老は枯草のしづかさでなければならない[#「老は枯草のしづかさでなければならない」に傍点]。
□年の瀬を渡る。
(其中日記抄――山頭火行状記[#「山頭火行状記」に傍点])
□千人風呂と濁酒と皇帝。
(新三題噺ですね)
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十二月十一日[#「十二月十一日」に二重傍線] あたゝかい雨。
いつものやうに悶々寂々。
小鮒を煮る、ドンコを焙る、残忍々々。
水に放つと寒鮒はぴち/\生きかへる、放たれても桶の中であり、生きかへつても殺される、――これはあまりに月並な感想だ、幼稚なセンチだが、しかしそれがまた人間並世間並といへないこともなからう、いや、現代ではもう人間並でなく世間並でなくなつてゐるのだ、現代人はそんなことを考へ感じないほど忙しいのだ、硬くなつてゐるのだ、自分のことのために、或はまた社会のために。――
芋を拾へば芋粥を煮る、大根を貰へば大根飯を炊く、それがよろしい、それでよろしい、私の場合では。
生命を尊いと思ふが故に、生命をつないでくれる物品を尊ぶのである。
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○眼が二つ、耳が二つ、手が二本、足が二本。
口は一つ。
ありがたし、ありがたし。
○光、熱。
太陽。
水。
そして我。
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十二月十二日[#「十二月十二日」に二重傍線] 晴、時々曇る。
夜来の雨がさらりと霽れて、枯草がいよ/\美しい、そしてまた時々曇つて竹の葉がこゝろよいしらべを奏でる。……
身心沈静、連作「生魚を焼[#「生魚を焼」に白三角傍点]く」に苦心する、この苦心は愉快な苦心[#「愉快な苦心」に傍点]である。
枯草の奥で、まだ啼く虫がゐる。……
澄太君から地下の水[#「地下の水」に傍点]を四冊送つて来た、先日懇請したのであるが、それにしても、君の正しい温情[#「正しい温情」に傍点]が今更のやうに有難い。
其中有閑無酒[#「其中有閑無酒」に傍点]、有無自在[#「有無自在」に傍点]、――こんなことを考へたりしてゐるうちに午前が過ぎた。
午後、石油と醤油とを仕入れるために(といへば大袈裟だが、嚢中わづかに二十六銭しかない)出かけようとしてゐるところへ、Nさん来訪、ひきかへしてしばらく話して、それから同道して街の中へ、――飲んだ、飲んだ、Y屋、H食堂、Mカフヱー、等々、――別れてから、私はF屋で一休みして、入浴して、そしてどうやらかうやら戻つて来て、ぐつすり寝た、近来の熟睡だつた。
私としては少なからぬ浪費だつたけれど、五日ぶりの酒、十四日目の泥酔だから許して貰はう!
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□魚屋は魚臭い[#「魚屋は魚臭い」に傍点]、彼の肉体がさうであるばかりでなく、或は彼の精神までもさうであるかも知れない。
よい事でもあり、わるい事でもある、とかく世の中はかうしたものだ。
多くの事は楯の両面に過ぎない。
□野菜美[#「野菜美」に傍点]。
芸術作品にもさういふ美がありたい。
野菜を観る態度――
実用的価値。
芸術的価値[#「芸術的価値」に傍点](私の立場はこれだ)。
□紙鳶揚げの追憶[#「紙鳶揚げの追憶」に傍点]。――
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十二月十三日[#「十二月十三日」に二重傍線] 晴――曇。
天地晴朗、身心清澄なり。
昨日の今日[#「昨日の今日」に傍点]にして、さてもしづかな。
小春うらゝかなり、野山を逍遙遊すべし。
米がある、炭がある、――幸福々々、感謝々々。
酒を持つて来てくれない、忘れたのか、信用がないのか、どちらにしてもその事実は私をさびしがらせる。
――いはでものことをいふな[#「いはでものことをいふな」に傍点]、昨日、或る人間に対してさう感じた、今日また嫌な彼に出逢つた。
藪椿を一輪見つけて活ける、よいな、よいな。
娘の子は可愛いな、ことに彼女は!
午後は街へ出かける、油買ひに、――途中、農学校に立寄る、樹明君は日曜だから、もう帰宅したさうな、逢つて、昨夜の事を語り、宿直に招かれてゐたお礼をいひ、そしてまた武二招待会について相談したかつたのだが。
ぶら/\歩いてゐるうちに、畑の野菜の美[#「畑の野菜の美」に傍点]にうたれた、野菜のやうな美しい句が作りたいと思つた。
夕方、待つてゐた通りに樹明君来庵、幸に鮒が貰つてあるので一杯やらうといふので、私は街の酒屋へ一走り、君は残つて料理する。……
うまい酒だつた、うまい鮒だつた、まことによい酒盛であつた、めでたしめでたし(樹明君万歳!)。
覚えずうたた寝して飯を焦がしてしまつた、焦げた飯もうまいものだ。
ぐつすり寝たが、明け方に眼が覚めて物思ひに耽つた。
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私の買物――
一金十五銭 石油三合
一金 四銭 なでしこ小袋
一金 九銭 醤油三合
一金十五銭 ハガキ十枚
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十二月十四日[#「十二月十四日」に二重傍線] 晴――曇。
何といふ温かい冬だらう、昨年の今頃をおもひだす、ちようど生野島の無坪居に滞在してゐたが、ほんたうに寒かつた、動けないほど寒かつた。
歯齦がだん/\かたくなつて、ぬけた歯の代用をするやうになつた、生きもののからだといふものは、まことによく出来てゐる。
障子をすつかりあけはなつ、さてもうらゝかな冬景色!
寒菊のうつくしさ、藪椿のうつくしさ。
澄太君からの伝統[#「伝統」に傍点]、比古君からの手紙を読む。
ほんにまつたく無一文となつた! めづらしいことではないが。
晩飯は大根粥、おいしかつた。
ゆたかに炭火がおこるよろこび!
今夜も睡れないで、とりとめもない事をぼんやり考へつゞけた。
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※[#二重四角、365−7]あるべきものがある[#「あるべきものがある」に傍点]といふことは何といふよろこびだらう。
※[#二重四角、365−8]わいてあふるるよろこび!
※[#二重四角、365−9]無駄に無駄を重ねたやうな一生だつた[#「無駄に無駄を重ねたやうな一生だつた」に傍点]、それに酒をたえず注いで[#「それに酒をたえず注いで」に傍点]、そこから句が生れたやうな一生だつた[#「そこから句が生れたやうな一生だつた」に傍点](回想録[#「回想録」に白三角傍点]の一節として)。
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十二月十五日[#「十二月十五日」に二重傍線] 晴、晴、晴。
今日の太陽の第一線を身心に浴びて起きた。
雲のない、風もないうらゝかさ、めずらしく一日通して申分のない小春日和だつた。
小春日といふものは何となく老人くさいと思ふが如何。
午後、あまりお天気がよいので散歩、農学校に寄つて新聞を読ませて貰ふ、新聞といふものは面白い必需品だ、最近のセンセーシヨナルな記事としては、英帝退位[#「英帝退位」に傍点]と蒋介石監禁[#「蒋介石監禁」に傍点]、事実としての関心があると共に小説的興味[#「小説的興味」に傍点]がある。
樹明君にも逢つたが、お互に酒の捻出が出来ないので、ほいなくもさびしいわかれ!
つつましく生きやう[#「つつましく生きやう」に傍点]、藪柑子のやうに[#「藪柑子のやうに」に傍点]。――
夕闇せまれば――一杯やりたいな――心の友達といつしよに。――
餅が食べな[#「な」に「マヽ」の注記]いな、煮てもよし焼いてもよし、田舎餅[#「田舎餅」に傍点]がうまいな。
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□眼が二つある、耳も二つある、手も足もまた二つある、そして口は一つ[#「口は一つ」に傍点]、一つしかない[#「一つしかない」に傍点]。
自然はまつたく抜目がない。
一つの口でさへ食べさせかねてゐる私たちだ!
眼が一つ潰れても、耳が片方聴えなくなつても、手足が一本は折れても、けつこう間に合ふではないか。
…………………………
□昨日の事は忘れてしまへ[#「昨日の事は忘れてしまへ」に傍点]、明日の事は考へないがよい[#「明日の事は考へないがよい」に傍点]、今日の事に生きよ[#「今日の事に生きよ」に傍点]。
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実行はむつかしいけれど、私には、日々の実感だ。
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[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□自己の内に[#「自己の内に」に傍点]自然を見出す。
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