其中日記
(九)
種田山頭火
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)歯齦《ハグキ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「罘」の「不」に代えて「圭」、第4水準2−84−77]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)よろ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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昭和十一年(句稿別冊)
七月二十二日[#「七月二十二日」に二重傍線] 曇、晴、混沌として。
広島の酔を乗せて、朝の五時前に小郡へ着いた。
恥知らずめ! 不良老人め!
お土産の酒三升は重かつたが、酒だから苦にはならなかつた、よろ/\して帰庵した。
八ヶ月ぶりだつた、草だらけ、埃だらけ、黴だらけだつた、その中にころげこんで、睡りつゞけた。
七月廿三日[#「七月廿三日」に二重傍線] 曇。
夜も昼もこん/\睡りつゞけてゐたが、夕方ふつと眼覚めて街へ出かけた。……
雨、風、泥酔、自棄。
天地も荒れたが私も荒れた。……
とう/\動けなくなつて、I屋に泊つた。
七月廿四日[#「七月廿四日」に二重傍線] 五日[#「五日」に二重傍線] 六日[#「六日」に二重傍線]
何ともいへない三日間だつた、転々してゐるうちに明けたり暮れたりした。
病める樹明君を見舞ふことも出来なかつた、あゝすまない、すみません。
七月廿七日[#「七月廿七日」に二重傍線] 晴。
暴風一過、けろりと凪いだ。……
身心すぐれない、罰だ、当然すぎる当然だ。
黎々火君来訪、ありがたかつた(心中恥づかしかつた)、おべんたうを貰つてうれしかつた。
身辺整理。
書かなければならない、しかし書きたくない手紙を二つ書いた。
夜は自責の念にせまられて眠れなかつた。
七月廿八日[#「七月廿八日」に二重傍線] 曇。
元気なし、あたりまへだ、歯痛痔痛同時に起る、あたりまへだ。
身辺整理、整理、整理、整理。
虫の声がしめやかに。
孤独の不自然[#「孤独の不自然」に傍点]。
寝床があつて、米があつて、本があつて、そして酒があるならば。――
夜中に眼が覚めて、秋を感じた。
七月廿九日[#「七月廿九日」に二重傍線] 晴。
ぐつすり寝たので、だいぶ身心こゝろよし。
出頭没頭五十五年の悔だけが残つてゐる。
身のまはり家のまはり、きたない、きたない。
暑苦しい日々夜々。
午後、樹明君に招かれて宿直室へ出かける、久しぶりに、ほんたうに久しぶりだつたが、かなしいかな、彼は飲めない、衰弱した様子が気の毒とも何ともいへない、すまないけれど私だけ飲んだ、駅辨も御馳走だつた。
寝物語がいつまでも尽きなかつた。
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孤独は求むべきものではない、求めてはならない、太陽は孤独だといつて威張る人がある、負け惜しみは止したがよい、人間は星屑のやうに[#「星屑のやうに」に傍点]在るべきものである。
[#ここで字下げ終わり]
七月三十日[#「七月三十日」に二重傍線] 晴。
早朝帰庵。
今日も身辺整理。
歯痛、樹明君の盲腸と私の歯[#「樹明君の盲腸と私の歯」に傍点]とはおなじやうなものだ、共に役立たないもののために苦しみ悩まされる。
暑い/\。
久しぶりに落ちついて晩酌、しきりにKの事を考へた。
誰もみんな幸福であれ。
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邪気を吐きつくせば邪気なし、この意味で時々泥酔することは悪くない、それは大掃除みたいなものだ。
彼の一生は逃避行の連続ではなかつたか!
[#ここで字下げ終わり]
七月三十一日[#「七月三十一日」に二重傍線] 晴。
身心やうやく落ちつく。
久しぶりに味噌汁をこしらへる、うまかつた。
たよりいろ/\、うれしかつた。
山口へ行く、途中理髪する、気分がさつぱりした、バスに乗りおくれてガソリンカーにする、暑い暑い、青い青い、そして涼しい涼しい、愉快愉快。
誰も彼もアイスキヤンデーを食べる、現代風景の一齣。
湯田で一浴、ありがたいありがたい、バスで夕方帰庵。
夜はまた街へ出かける、飯、酒、女――人間、動物、何が何やら解らなくなつてしまつて、Jさんの宿舎に泊めて貰ふ。
はじめよろしくをはりわろし――これが私にあてはまる常套文句だ。
あさましい事実だ。
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△味噌汁と漬物。
△ルンペンの資格。
[#ここから3字下げ]
食べないでも平気でゐること。
腐つたものを食べてもあたらないこと。
[#ここから2字下げ]
いひかへると
[#ここから3字下げ]
呆けた頭脳と痺れた心臓と[#「呆けた頭脳と痺れた心臓と」に傍点]。
そして何物をも受け入れる胃腸[#「そして何物をも受け入れる胃腸」に傍点]。
[#ここで字下げ終わり]
八月一日[#「八月一日」に二重傍線] 雨、後曇。
早朝帰庵。
物みなよろし、悲観は禁物、在るものを観照せよ[#「在るものを観照せよ」に傍点]。
雀、猫、犬、爺さん、蝉、蝶々、蜻蛉、いろ/\の生きものが今日の私をおとづれた。
しづかな雨、しづかな私だつた。
昨夜は騷々しく今晩は悠々、そのどちらもほんたうだ。
老境の眼ざめ[#「老境の眼ざめ」に傍点](青春の眼ざめがあるやうに)。
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懺悔と告白
私にはまだ懺悔[#「懺悔」に傍点]が出来ない、告白[#「告白」に傍点]は出来るけれど、――反省[#「反省」に傍点]が足りないのである。
このみちをゆく[#「このみちをゆく」に傍点]。――
私一人の道[#「私一人の道」に傍点]だ。
けはしい道だ。
細い道だ。
the road leads no where かも知れない。
躓いても転んでも行かなければならない。
私の道は一つしかない。
私は私の道を行くより外ない。
……………………………………
[#ここで字下げ終わり]
八月二日[#「八月二日」に二重傍線] 曇。
早起、身辺整理。
歯痛(苦痛は人生を味解させる[#「苦痛は人生を味解させる」に傍点])。
今日も雨、しめやかな日。
今日の買物は、米三升九十九銭、鯖一尾十六銭。
澄太君が近著地下の水[#「地下の水」に傍点]を送つてくれた、読んで何よりも羨ましいと思つたのは君のおちつき[#「おちつき」に傍点]だ、そして孝行[#「孝行」に傍点]だ、地下の水一冊は澄太其人の面貌だ、君に対する尊敬と親愛とをより深くした。
午後、Jさん来庵、さいはひ、紫蘇巻と酒とがあるから一杯さしあげる。
近来めづらしい、ありがたい晩飯を食べた。
こゝろしづかにしてしづみゆく[#「こゝろしづかにしてしづみゆく」に傍点]、せんすべなし。
すゞしくぐつすりねむる。
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世の中にタダほど安いものはないといふが、或る場合にはタダほど高いものはないこともある。
私には、私のやうなものには、さういふ或る場合[#「或る場合」に傍点]が稀でない。
[#ここで字下げ終わり]
八月三日[#「八月三日」に二重傍線] 曇、後雨。
せつかくの月も管絃祭も駄目であつた。
障子の目張半日。
まるで梅雨のやうな土用だ。
俊和尚からうれしい手紙。
やつと月があらはれた、花火が見える、何となく人が恋しく過去がなつかしかつた。
八月四日[#「八月四日」に二重傍線] 曇、後晴。
今日は涼しい、涼しすぎる。
家の中へ紛れ込んでゐる蝉を空へ放つてやつたら、蜘蛛の囲にひつかゝつてあえない最後を遂げた(その蝉を助けないのは私の宿命観だ)。
街のレコードがさかんに唄ふ、私は蚊帳の中でそれを聴いてゐる。
たよりさま/″\で、どれもありがたい、すぐかへしを書いて駅のポストへ入れる。
やつと書信だけはかたづいた。
蚊帳のうちで月見、私らしい贅沢。
[#ここから1字下げ]
好意を持たれることはうれしいが、持たれすぎることは恥づかしい。
買ひかぶられても見下げられても私は苦しい。
[#ここで字下げ終わり]
八月五日[#「八月五日」に二重傍線] 曇――晴。
五時起床。
桔梗が咲きつゞける、山桔梗なら一段とよからう。
蜘蛛の仕事を観る。
熊蝉が鳴きだした。
夕立を観る。
雨はしめやかでよろしいけれど、雨の漏る音はわびしいものである。
焼酎二合二十四銭、揚豆腐二枚三銭。
街で樹明君に邂逅、同伴して帰庵、飲むうちに、そして歩くうちにムチヤクチヤになつてしまつた。
身心放下[#「身心放下」に傍点]ならよいが、身心蹂躙[#「身心蹂躙」に傍点]だからよろしくない。
八月六日[#「八月六日」に二重傍線] 雨。
一切空、放心無※[#「罘」の「不」に代えて「圭」、第4水準2−84−77]礙の境地。
すべてそらごとひがごとの世の中、友情のみはまことしんじつなり。
酒をのぞいて私の肉体が存在しないやうに、矛盾[#「矛盾」に白三角傍点]を外にしては表現されない私の心であつた、ああ。
乱酔、自己忘失、路傍に倒れてゐる私を深夜の夕立がたゝきつぶした、私は一切を無くした、色即是空だつた。……
転身一路、たしかに私の身心は一部脱落した、へうへうたり山頭火[#「へうへうたり山頭火」に傍点]! ゆうゆうたり山頭火[#「ゆうゆうたり山頭火」に傍点]! 湛へたる水のしづかさだ!
八月七日[#「八月七日」に二重傍線] 曇――雨。
おちついて澄む、身心かろくさわやか。
八月八日[#「八月八日」に二重傍線] 晴れたり曇つたり、気まぐれ日和。
洗濯、何もかも洗へ。
Iさんの宅で樹明君もいつしよになつて飲む、今夜も歩きまはつたけれど、ほろ/\とろ/\気分で愉快だつた、めでたし、めでたし、めでたし。
Iさんの蚊帳で寝る。
[#ここから1字下げ]
風狂、風流、風雅。
[#ここで字下げ終わり]
八月九日[#「八月九日」に二重傍線] 雨――曇。
降つた降つた、めづらしいどしやぶりだつた、その中を戻つた、はだしで、濡れるなら濡れて。
内外整理。
Kから送金、心臓がハツとした、おのづから眼が熱くなつた、感謝と懺[#「懺」に「マヽ」の注記]愧とに堪へなかつた。
山口へ行つて買物色々、湯田へまはつて入浴、そして快い酔を持つて帰つた。
[#ここから1字下げ]
捨身没我の風光。
幸不幸は主観の産物。
[#ここで字下げ終わり]
八月十日[#「八月十日」に二重傍線] 曇。
夕立のこゝろよさ。
ぐつすり寝る。
八月十一日[#「八月十一日」に二重傍線] 曇、晴、また降りさうな。
米、酒、石油、木炭、醤油、煙草、――Kのおかげで庵中物資豊富である。――
わるい親父によい息子!
歯がぬけた、痛みもとれた。
うれしい晩酌でありました。
八月十二日[#「八月十二日」に二重傍線] 晴。
朝月のよさ。
虫干、何もかも一切の虫干。
今日も夕立、夏から秋へのうつりかはり。
何となく寝苦しかつた、Kを夢みた、彼が近々結婚するので、その式場の様子をまざ/\と夢に見たのである。
私には何も贐するものがない、ああ。
八月十三日[#「八月十三日」に二重傍線] 雨、曇。
しづかなるかな。
降る、降る、降る、降る。
私には飛躍[#「飛躍」に傍点]はあつても漸進[#「漸進」に傍点]はありえない。
夜は樹明君が宿直といふ通知があつたので、のこ/\出かけて、とう/\酔うて、こそ/\泊つた。
八月十四日[#「八月十四日」に二重傍線] 晴。
眼が覚めて見廻すと、学校の宿直室に寝てゐる、樹明君の側に寝てゐる、……朝酒二杯ひつかける、朝飯をよばれて戻る。
ほろよひ人生だ[#「ほろよひ人生だ」に傍点]、へべれけ人生[#「へべれけ人生」に傍点]では困る。
ロンドン日本大使館気付で、斎藤清衛さんへ、私としては長い手紙を書く、斎藤さんは歩く人[#「歩く人」に傍点]だ、ほんたうに歩く人だ、遙かに旅程の平安を祈る、それにしても私は私自身が省みられる、私は歩かなくなつた、遊びまはるやうになつた、私の現在の苦悩はそこから起る。
正午のサイレンを聞いてから、樹明君と約束した通り、釣竿かつ
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