いで、椹野川の六丁へ出かける、君の姿が見えない、私は釣竿しか持つてゐないから何うすることも出来ない、しばらく待つことにして、水を浴びたり句を拾ふたりする、もう帰らうと思つて土手を歩いてゐると、君が自転車でやつて来た、出水が多くて釣れないといふ、そのまゝ同行して橋袂の店で一休みする、そして別れた、別れる時に君から握飯を貰つた、焼魚も買つてくれた、面白いではないか、魚は釣らないで握飯を釣つたのである、いや、魚も釣つたが焼魚を釣つたのである! 樹明君、ほんたうにありがたう、ありがたう。
土手から摘んできた河原撫子を机上の壺に活ける、この花は見すぼらしいが、日本固有のよさがある、私の好きな花の一つだ。
夕方、日照雨一しきり、今年はとても天候不順で、梅雨季のやうな暑中だ、身のまはり――身そのものが黴だらけになる、まつたくやりきれない。
夜、くつわ虫がちよつと鳴いた。
踊大[#「大」に「マヽ」の注記]皷がをちこちで鳴る、そこのお寺でも早くから鳴つてゐる、見物しようかとも思つたが、年寄のおつくうで、蚊帳の中で聴く、唄声も聞える、更けるにしたがつて音が冴えてくる、踊もはづむらしい。
めづらしく半鐘が鳴りだした、警察のサイレンも、――火事らしいが見えない。
いつとなく眠つてしまつた。
八月十五日[#「八月十五日」に二重傍線] 晴。
此の地方は昨日今日が盆。
朝焼がうつくしかつた。
身辺整理、毎日少しづつやつてゐるが、なか/\かたづかない。
庵中閑寂、盆のたのしさもわずらはしさもない。
午後、今日も夕立、蒸暑い夕立模様。
駅のポストまで。――
晩酌は焼酎、下物は昨日の焼鯖。
八月十六日[#「八月十六日」に二重傍線] 晴、……曇、……雨。……
秋を感じる、昨日はつくつくぼうしが最初の声を聞かせた、萩もこま/″\と蕾をつけた。
朝のこゝろよさ、しづかに考へ、書き、読む。
正法眼蔵随聞記拝読。
また雨、ほんたうにやりきれない。
盥に雨を聴く(そこら雨漏る音がたえない)。
心境廓然[#「心境廓然」に傍点](先夜の放下着このかた)。
午後、今日も日課のやうに駅のポストまで。
涼しい夕だ、涼しすぎる、秋が来た、秋が来たのだ、あけはなつて浴衣では肌寒いほどだつた。
今夜も踊大皷が聞える、踊れ踊れ、踊りたいだけ踊れ、踊れるだけ踊れ、踊れ踊れ。
夜は散歩(散歩でもしなければ堪へられなくて)、そして一杯飲んで一杯食べて、おとなしく帰庵、すぐ床に入つてぐつすり睡つた、めでたし/\。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□老いては老を楽しむ[#「老いては老を楽しむ」に傍点]。
□歯のない生活[#「歯のない生活」に傍点]。
歯がなくなると、歯齦《ハグキ》が役立つ、手が加勢する、人生はまことに面白い。
□昨日の私[#「昨日の私」に傍点]、今日の私[#「今日の私」に傍点]、そして明日の私[#「明日の私」に傍点]、この三つの私[#「三つの私」に傍点]が矛盾して私を苦悩せしめる。
その私[#「その私」に傍点]とは誰だ。――
[#ここで字下げ終わり]
八月十七日[#「八月十七日」に二重傍線]
もう晴れてもよかろう、晴れていたゞきたい。……
どこかそこらで、虫が断末魔の声をあげてゐる、その声は彼が末[#「末」に傍点]後[#「後」に「マヽ」の注記]の一句[#「の一句」に傍点]だらう、私の俳句もまたそんなものだ!
今日は少々ボンヤリしてゐる、何か忘れ物でもしたやうな、物を取り落したやうな。――
すなほにしてつつましく[#「すなほにしてつつましく」に傍点]――これが私の生活態度でなければならない。
一時頃、樹明君来庵(鶏肉と酒とを持つて)、間もなくKさんも偶然来庵、鼎座して愉快に飲んだ、夕方、街まで送つて、帰途、米を買うて戻つて、炊いて食べて寝た、万歳!
[#ここから1字下げ]
ゆうぜんとして飲み、とうぜんとして酔ふ、さういふ境涯を希ふ。
飲みでもしなければ一人ではゐられないし、飲めば出かけるし、出かけるとロクなことはない。
ひとりでしづかにおちついてゐることは出来ないのか、あはれな私ではある。
[#ここで字下げ終わり]
八月十八日[#「八月十八日」に二重傍線] めづらしく快晴。
朝寒、遠く蜩のうた、身辺整理、読書。
午後、街まで、徳利さげて!
夕方、Kさんが牛肉と酒と蚊取線香とを持つて来て飲まうといふ、飲む、食べる、歩く、唄ふ、そして帰る、Kさんは酔ふとなか/\片意地になる、SからMへまはつたゞけでやつと連れて戻つた、大出来/\、樹明君をよんだのに来なかつたのは残念/\。
[#ここから1字下げ]
物事にこだはりさへしなければおもひわずらふことはない、放下着。
[#ここで字下げ終わり]
八月十九日[#「八月十九日」に二重傍線] 晴。
昨夜の今朝の私[#「昨夜の今朝の私」に傍点]だ、何となく身心がだるい。
迎酒! 牛肉もまだ残つてゐる。
ゲジゲジを見つけたのでたたき殺した、殺してから気持が悪かつた、無益の殺生とは思はないけれど、人間のエゴであることには間違ひない。
今日も古悪友樹明君[#「古悪友樹明君」に傍点]、新悪友K君[#「新悪友K君」に傍点]がやつて来て、あつさり飲んだ、ヨタ話がはづんだ。
あな、おもしろの浮世かな。
宵寝の朝寝だつた。
八月二十日[#「八月二十日」に二重傍線] 晴、午後曇る。
何やかや用事が出てきて、なか/\忙しい。
駅のポストまで。
トマトがとても食べきれない(私があまり食べないからでもあるが)、郵便さ[#「便さ」に「マヽ」の注記]んにでも食べてもらはう。
すなほにつつましく[#「すなほにつつましく」に傍点]、今日も生きる[#「今日も生きる」に傍点]、うれしい。
待つ人来らず、待つ物受け取れない、さびしい。
午後、河尻へ出かけて蜆貝を掘る、食べるだけはすぐ与へられた、ありがたい。
刈萱を摘んで戻つた、これも私の好きな草である、まだ穂が出てゐないから、刈萱の風情は十分に味へないが。
蜆貝汁をこしらへつつ、私は心で叫んだ、――蜆貝よ、私は今、鬼になつてゐるのだ!
いつ来たのか、鼠がさわぐ、鼠は家につきものだ、寝床はあげるが食物はあげられないぞ。
八月二十一日[#「八月二十一日」に二重傍線] 半晴半曇。
今朝は早起だつた、御飯が[#「が」に「マヽ」の注記]食べてから六時のサイレンがきこえた。
街へ出かける、買物いろ/\、アメリカから句集代を送つて下さつた渓厳子に感謝する。
来信とり/″\すぐ返事を認めて、駅のポストへ。
雑草を眺めて、そのよろしさを味ふ。
午後また街へ、焼酎二合弐拾四銭、大根一本五銭、落ちついて晩酌、そして読書。
[#ここから1字下げ]
緑平老に
……出放題になりたいといふあなたが出放題になれないで、なりたくないと思ふ私がなる、とかく世の中はかうしたもので、さういふ人生もまたおもしろいではありませんか。……
[#ここから6字下げ]
Kが結婚するさうな、いや、したさうな
[#ここから4字下げ]
をべしをみなへしと咲きそろふべし
[#ここから1字下げ]
この一句が私のせめてものハナムケに有之候、あはれといふもおろかなりけり。
[#ここで字下げ終わり]
八月廿二日[#「八月廿二日」に二重傍線] 曇――晴。
蝉を捕へる小供らがしば/\来る、庵も平和ではない、私自身もとき/″\不安になる。……
ああ、待つ身はつらいなあ!
ちよつと学校に樹明君を訪ねる、昨夜また脱線したとかで浮かない顔をしてゐる、話したいことも話さないで帰る、畜舎で新聞を読ませて貰つた。
今日もすなほでつゝましく[#「今日もすなほでつゝましく」に傍点]。
午後、Kさん来庵、樹明君は来てくれさうにもない、やがて予期したやうに敬君来庵、久しぶりだつた、持参の酒と魚で愉快に飲みつゝ語りつゞけた、日の暮れないうちにめでたく解散。
夕暮はサビシイのでKさんを訪ねる、ビールをよばれて戻るとそのまゝ寝てしまつた。
今日の酒は愉快だつた、三人で一升、その半分位は私が飲んだらしい、ほろ/\とろ/\ぐう/\だつた。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□よい友、よい酒、――よい人生。
□山口へ行くと、いつも『おもひでをあるく』といふ感がある、あの山この水、どこへ行つても青春の追憶がある。
[#ここで字下げ終わり]
八月廿三日[#「八月廿三日」に二重傍線] 晴。
昨の[#「昨の」に「マヽ」の注記]酒が愉快だつたし、ぐつすりと安眠したので、今日は身心明朗だ。
此頃よくKやKの婚礼の夢を見る、親心とでもいふのであらうか、――肉縁断ち難し、断ち難きが故に断たざるべからず、――ああ。
身辺整理、やつと片付いた。
午後、樹明君来庵、誘はれて椹野川へ出かける、魚は捕らないで飲み歩いた、そしてどろ/\ぼろ/\になつてしまつた、……それでも理髪して、道具は持つて帰つて寝床にはいつてゐたから妙だ!
[#ここから1字下げ]
温泉といふものは有難いものである、私は入浴好きだが、温泉にはいると、身心が一新されたやうに感じる。
湯田温泉を近くに持つてゐる私は幸福である。
バス代が往復で十四銭(上郷まで歩いて、回数券で)、湯銭が二回で五銭(割引券を買へば)。
何と安価な極楽浄土だらう。
[#ここで字下げ終わり]
八月二十四日[#「八月二十四日」に二重傍線] 曇。
天も曇れば私も曇る。……
当分また禁酒の事、……駄目々々。
空が晴れた、私も晴れた、……風が涼しく、身も心も涼しく。……
たよりいろ/\ありがたし。
山口へ行く、鈴木さんを訪ねて御馳走になる、おいしかつた、小郡まで戻つて、友沢さんを訪ね、それからまた飲んで歩いた、御苦労々々々。
八月廿五日[#「八月廿五日」に二重傍線] 晴。
昨日の今日の私で朗らかだ、愉快々々。
身心整理[#「身心整理」に傍点]!
秋蝉(?)が鳴く、法師蝉とは別な声。
アルコールなし、おとなしくしてゐた、句なし。
夕方、Kさん来訪、水瓜を持つて来て下さつた。
裏山の観音堂はお祭とかで、近隣の人々が集つて賑やかだ。
前の小父さんが草を刈つてくれた、一挙両得。
八月廿六日[#「八月廿六日」に二重傍線] 曇――雨。
秋だ、風も雨も、私の身心もまた。
落ちついて読書。
午後ひよつこり黎君来訪、お土産として汽車辨当はうれしかつた、いつしよに街へ出かけて焼酎を買つて来た(蚊捕線香を買つて貰つた)、焼酎も悪くないな、心許した友達とチビリ/\やるには。――
夕方別れる、見送は許して貰ふ、汽車に間にあへばよいが、と案じてゐるところへ六時のサイレン、さつそく後を追うて駅まで行つたが見つからない、すぐ引返して寝た、よく睡れた。
[#ここから1字下げ]
今日も前の小父さんが草を刈つてくれたのは有難かつたが、咲きそめた萩まで刈つてくれたには閉口した、活けることをも遠慮して、毎日毎日咲くのを眺めてゐたのに、……これが有難迷惑といふのだらうか、刈りとられた萩の枝を見ては微苦笑するより外なかつた。
[#ここで字下げ終わり]
八月廿七日[#「八月廿七日」に二重傍線] 曇。
夢の中で執着深い自分[#「執着深い自分」に傍点]を見出した。
山から木や草を戴いて活ける。
飲むか読むか、或は歩くか寝るか。……
idle dreamer は一匹の蝿にもみだされる。
厄日近い天候、雲の色も風の音も何となく穏かでないものがあつた。
早寝、ランプもともさないで、とりとめもない事を考へつゞけてゐると、Nさんが来訪された、しばらく漫談。
くつわ虫が水の流れるやうに鳴く、すぐそこまで来て鳴く、座敷の中へとびこんで鳴く。……
[#ここから4字下げ]
或る自殺[#「或る自殺」に白三角傍点](連作)
[#ここで字下げ終わり]
八月廿八日[#「八月廿八日」に二重傍線] 晴、とかく曇りがち。
露草のうつくしさを机上にうつす、何と可憐な花だらう。
うらさびしさ、ものかなしさ、そして退屈!
つれ/″\なるまゝに徒然草を読む。
早く夕飯を食べて、新開作のNさんを訪ねるつも
前へ
次へ
全14ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング