りで出かけたが、途中、Kさんの家庭に立寄る、雑談しばらく、本を借りてそのまゝ帰つた。……
夜、Kさんはまた来庵、無駄話一くさりで、さよなら。
虫が鳴きしきり月がよかつた、だいぶ更けるまで読書した。

 八月廿九日[#「八月廿九日」に二重傍線] 曇、雨となる。

早起して、そして。……
雨もわるくないな、しみ/″\おちつける、屋根漏はわびしいけれど、盥の音はさびしいが。
まつたく秋だ、浴衣一枚では肌寒くなつた。
仏さまへ蚊とり線香!
緑平老よ、あなたのたよりはほんたうにうれしかつた。
酒三合三十銭、雑魚八尾十銭。
ゆふぜんとして飲みだしたが、ぼうぜんとして出かけた、そしてざつぜんとして戻つた。……
[#ここから1字下げ]
   自戒三則
一、腹を立てないこと。
一、物を粗末にしないこと。
一、後悔しないこと[#「後悔しないこと」に傍点]。
  いひかへると、物事にこだはらないこと。
[#ここで字下げ終わり]

 八月卅日[#「八月卅日」に二重傍線] 曇。

少々あたまがおもい、自業自得でございます。
そこらをぶら/\歩く、蔓草のよさを観た。
私としてはめづらしく二日酔気分、霧の中にゐるやうで物がぼうとしてゐる。
蝉がいつとなく遠ざかつた、小鳥が出てくる、虫がやるせなく鳴く。……
Jさんの子供が棗もぎに来た、私にもこれに似た少年の日のおもひでがある。
郵便は来なかつた。
生物の※[#「てへん+執」、254−8][#「※[#「てへん+執」、254−8]」に「マヽ」の注記]拗を蟻の群に見出す。
法師蝉が身近く鳴きせまる、何だか蝉も私もヤケクソになるやうな。
酒屋が酒を持つて来てくれた、飲んでゐるうちにやりきれなくなる、とびだして歩く、ぼう/\たるものがそこらいちめんにひろがつて、何もかもどろ/\になつてしまつた。……
[#ここから4字下げ]
物そのもの[#「物そのもの」に傍点]
[#ここで字下げ終わり]

 八月三十一日[#「八月三十一日」に二重傍線] 晴曇。

眼が覚めたら畜舎だつた、……Jさんの寝床に潜り込んでゐたのだ、……急いで戻つて、水を汲む、飯を焚く、ヒヤをひつかける、……切なくて悩ましかつた。
しづかな、あまりにしづかな一日、読書と反省、すなほであれ、つゝましくあれ。

 九月一日[#「九月一日」に二重傍線] 曇、――晴。

陰暦七月十五日、そして二百十日、そして関東震災記念日で酒なしデー。
自分を認識しないではゐられない日だ。
おとなしく、さびしく、やるせなく。――
まことにおだやかな厄日、ありがたいことである。
晴れてよい月夜になつた、踊大皷がはづむ、私は蚊帳の中で大平楽だつた。
[#ここから1字下げ]
□ヱゴイスト人間。
   残忍なる、殺伐なる、狡猾なる、
□買ひかぶられることは苦しい恥かしい。
 見下げられることは安らかだ。
    [#ここから横組み]over−value[#ここで横組み終わり] よりも [#ここから横組み]under−value[#ここで横組み終わり] がよい。
[#ここで字下げ終わり]

 九月二日[#「九月二日」に二重傍線] 曇――晴。

早起、短冊を書かうとしたが書けなかつた、書きたくなかつたからである、私は我儘だ、我儘一杯だ。
うたゝ寝の夢のはかなさ。
長生すれば恥多し、――今日もしみ/″\感じた。
蝉が鳴き叫ぶ、死期近い声だ。
爪を切る、髭を剃る、やくざ小説を読む、――すべてが退屈と空虚とをごまかす外の何物でもない。
待つともなく待つてゐる、何を待つてゐるのか、私にもはつきり解らない!
今夜もよい月だつた。
[#ここから1字下げ]
□九官鳥[#「九官鳥」に傍点]になれ、くつわ虫になれ。
 そこに安住せよ。
□自己を磨く、芸を磨く。
 私の場合では、酒を味ひつつ句を作る[#「酒を味ひつつ句を作る」に傍点]ことである。
[#ここで字下げ終わり]

 九月三日[#「九月三日」に二重傍線] 晴――曇。

昇る陽をまともに、寝たり起きたり。
やつと短冊を書きあげた、三十枚、一枚も書き損じなく、すぐ送る、ほつとした。
郵便局まで出かけたついでに、シヨウチユウ一杯、ほろ/\になつて帰る、途中少々あぶなかつた!
おとなしく、また一日一夜が過ぎた。

 九月四日[#「九月四日」に二重傍線] 晴。

あまりに早起だつた、なか/\夜が明けなかつた、年をとると、先がないので、ゆつくり睡れません!
いつからともなく空の虫が地の虫[#「空の虫が地の虫」に傍点]になつた、いひかへると、蝉や蜻蛉が少くなつて、こほろぎなどが鳴きしきるのである、こほろぎは最も大衆的歌手だ。
きたない、きたない、何もかもきたない、私自身の身心がことにきたない。
味気ないな、――何に対しても興味がない――、生活意力がなくなつたのだ。
六時のサイレンが鳴つてから、樹明君来庵、久しぶりである(二週間近く逢はなかつた)、飲む、食べる、しやべる、それから散歩、そして例によつて例の如し!
畜舎に泊つた(蝮の暗示があつたので)、アルコール臭くて困つたとIさんが笑ひながら言つた(朝のこと)。
[#ここから1字下げ]
虫の宿。
小鳥の遊び場。
[#ここで字下げ終わり]

 九月五日[#「九月五日」に二重傍線] 晴。

さうらうとしてかへる。……
樹明君よ、お互につつしみませう!
ぼう/\ばく/\として今日一日は閉居した。
残暑がなか/\きびしい、朝から裸だつた、はだか、はだか、はだかなるかなである。
鈴虫が数日前から前栽でチンチロリン、チンチロリン、まだまづいな。
どこからか鼠がやつてきて、そこらをかぢる、がり/\、がり/\、彼はかぢることそのこと[#「かぢることそのこと」に傍点]がおもしろいらしい。
[#ここから1字下げ]
   白い花(第五句集)
私が求めつつある花は青い花でなく赤い花でもなくて白い花である。
私が見出してゐる花は灰色の花である。
[#ここで字下げ終わり]

 九月六日[#「九月六日」に二重傍線] 秋晴らしく。

夜明けの虫声はしみじみとしたものだ。
もう茶の木が蕾を持つてゐる。
壺の薊の花――狂ひ咲――が開く。
しんねりむつつりの今日だつた、さびしいな。
夕の散歩、やつぱりさびしい。
蚊がめつきり減つた、それだけ風が冷やかになつた。
寝苦しかつた、月は風情ある夜であつたが。
[#ここから1字下げ]
私は無用人、不用人だ、いはゞ社会の疣[#「社会の疣」に白丸傍点]でもあらう、冀くは毒にも薬にもならない、痛くも痒くもない存在でありたいものだ。
疣であれ[#「疣であれ」に傍点]、瘤になつてはいけない[#「瘤になつてはいけない」に傍点]。
[#ここで字下げ終わり]

 九月七日[#「九月七日」に二重傍線] 晴、まつたく秋だ。

草刈爺さんがけさもまた来てくれた、憾むらくは彼にはデリカシーがない、青紫蘇も蓮芋も何もかも刈つてしまつた、いつぞや萩の早咲を刈つてしまつたやうに。
洗濯もする、すこしわびしいな。
日記整理。
樹明君から来信、彼は腹を立てない[#「腹を立てない」に傍点]人だ、時々近親からは腹を立てられる人だが(酔ふとだらしがないので)。
Nさんを訪ねる、土手の砂塵は嫌だつたが、青田風はよかつた、それから――それから――気持よく飲んで歩いて、とろ/\ほろ/\になつた。
I屋に泊る、動けなくなつたのだ!
[#ここから1字下げ]
△酔線
  微酔線、泥酔線。
[#ここで字下げ終わり]

 九月八日[#「九月八日」に二重傍線] 日本晴。

早朝帰庵、やれ/\。
閑居――読書――回顧――微苦笑。
秋空一碧、身はさわやかだが心はぼんやり。
何とかいふ小鳥がとても悲痛な声で啼く、私の代辯[#「私の代辯」に傍点]ででもあるやうに。
つく/″\思ふ、私の寝床はよい寝床[#「私の寝床はよい寝床」に傍点]!

 九月九日[#「九月九日」に二重傍線] 晴――曇。

すなほにつつましく。――
ほどよく[#「ほどよく」に傍点]飲む、ほどよく酔ふ――ほどよく生きる――それが出来ない不幸。
たよりいろ/\、ありがたい/\。
さつそく米と酒[#「米と酒」に傍点]を仕入れるべく出かける、どちらへ行かうか、山口へ行かう(平民の独り者はノンキである、キラクである、ワガママである。シアワセである)、上郷から一時の列車に乗る、山口駅前の十銭食堂で飲んで食べて四十銭、いろ/\買物をする、三円あまり買つたら持ちきれないほどある、湯田へまはつて一浴、バスで足元のあかるいうちにめでたく帰庵。
だいぶ日が短かくなつた、私にも夜も昼も長いのだが。
めつきり蚊が少くなつた、虫の声が鋭くなつた、秋らしい秋になつてくる。
不眠、読んだり考へたりしてゐるうちにたうとう夜が明けた、老境を感じた。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
△忘れた句[#「忘れた句」に傍点]は逃げた魚のやうに感じる、その実その句はくだらない句なのだ、その魚がつまらない魚であるやうに。
△憑かれたもの[#「憑かれたもの」に傍点]! 私もその一人らしい、酒に憑かれてゐる、句に憑かれてゐる。
△かういふ生活をしてゐて、さびしくないといふのはウソだ、ウソはいひたくない、いふものではない。
 笑ふものは笑へ。
 おかしければ笑へ。
[#ここで字下げ終わり]

 九月十日[#「九月十日」に二重傍線] 曇。

二百二十日、さすがに厄日らしく時々降つたり吹いたり、雷鳴があつたり、多少不穏な空気が動かないでもなかつたが、無事だつた。
番茶のうまさよ、酒もうまいが、茶にはまた茶独特のうまさがある。
茶の味は私にはまだほんたうに解らないけれど。
午後、街へ散歩、極上焼酎を買ふ、とても強烈でヂン以上だ。
今日から湯田競馬、フアンといふよりも慾張連中が新国道を自動車で狂奔する。
私はゆうぜんとして飲み、とうぜんとして酔ふ。
火酒の味!
樹明君から来信、今夜は宿直だから久しぶりにゆつくり飲まうといふ、暮れてから出かける、鶏肉はうまかつた、IさんJさんも仲間入する。
ほろ/\とろ/\、そのまゝ泊る、昨夜ねむれなかつたので、今夜はよくねむれた。
[#ここから1字下げ]
「いかに酔ふか」も緊急事だけれど「何に酔ふか」が最初の問題だ。
酒に酔ふか、よろしい、飲みなさい、恋に酔ふか、よろしい、可愛がりなさい。
銭がありますか、女がゐますかよ、よろしい、よろしい。
泥沼を歩きなさい、そして死んでしまへ!
[#ここで字下げ終わり]

 九月十一日[#「九月十一日」に二重傍線] 曇。

朝飯をよばれてから帰る。
雷雨、痛快だつた。
ある手紙、それは予期しないではなかつたが、やつぱりかなしいさびしいものであつた。
腹工合がよくない、昨夜の食べ過ぎがたゝるのである、過ぎたるは及ばざるに如かず、まつたくその通り。
夜は例の如き彷徨[#「彷徨」に傍点]、有金全部をはたいた、壱円三十九銭也。
ぼろ/\どろ/\、戻つたのは夜明前だつた、こゝしばらくは謹慎の事。
[#ここから1字下げ]
   山頭火を笑ふ
人生の浪費者だよ。
悪辣はないが愚劣はありすぎる。
くよくよするな。
[#ここで字下げ終わり]

 九月十二日[#「九月十二日」に二重傍線] 晴。

茫々漠々、空々寂々。
昨夜は放楽デー、今日は放心日。
朝、裏口の戸をあけると、蛇がとびだした、私も驚いたが彼も驚いたらしい。
生疵が痛い、昨夜の記念だ。
私の心臓はなか/\強い(文字通りに)。
夜、Nさん来庵、先夜の酔中散歩の事など笑[#「笑」に白丸傍点]し合つて笑ふ。……
近頃また夢を見るやうになつた。

 九月十三日[#「九月十三日」に二重傍線] 晴。

今日はまつたくぐうたら山頭火[#「ぐうたら山頭火」に傍点]だつた。
午近くKさん来庵、焼酎を舐めながら雑談、かうして余生をむさぼることは苦しい。

 九月十四日[#「九月十四日」に二重傍線] 曇、時々雨。

早起、そしてそれから。――
銭がない、米もなくなつた。
頼まれた短冊を書いて送るべく、学校に樹明君を訪ねて郵税を借りる、酒代を貰ふ、夕方訪ねようと
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