いふ、……飯を炊く、鰯を焼く、酒を注ぐ、……ああいそがしい。
驟雨一過、自然も人間もせい/″\した。
酔境無我、万象空。
曇天、憂欝、孤独、寂滅。……
待つ身はつらいな、立つたり座つたり、やつと御入来、飲む、食べる、しやべる、そして歩く、ほろ/\だ、とろ/\だ、よろ/\だ。
とうたう畜舎の御厄介になる、いつもの通り。
それにしても理髪したのは大出来、金をあまり費はなかつたのも――費はせなかつたのも、自動車を呼び寄せなかつたのも大出来だつた。
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△これだけキチヨウメンであつて、そしてこれだけダラシないとは。……
△在る[#「在る」に白三角傍点]、――こゝに在る。
 存在、それが真実だ、詩だ。
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 九月十五日[#「九月十五日」に二重傍線] 曇。

五時過ぎには起きて新聞を読み、煙草をくゆらし戯談をいひ、そして戻つて来て、茶を沸かし御飯を食べた。
やつぱり私は不死身[#「不死身」に傍点]に近い。
今日明日は地下のお祭、お祭だとて私は。……
おもしろい手紙をうけとつた、処女のにほひがする、何となく愉快になつた。
午後、Nさん来訪、お互に無一文だからしばらく無駄話をして、さよならさよなら。
柿の葉の落ちるのが目につくやうになつた。
青柚子一つ、秋が匂ふ。
あまつた御飯をおむすびにして焼いてをく、明日の糧です、一つ二つ三つ、四つあります。
つつましく、あまりにつつましく。
季節のうつりかはり[#「季節のうつりかはり」に傍点]が身にしみる。
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   固形アルコールについて
味ふ酒[#「味ふ酒」に傍点]は液体でないと困る。
酔ふ酒[#「酔ふ酒」に傍点]は固形が便利だ。
丸薬のやうに一粒二粒といつたやうな。
酒量に応じて、その場合を考へて、一粒とか十粒とかを服用する。
一粒ほろ/\十粒どろ/\なぞは至極面白からう。
酔丹[#「酔丹」に傍点]といふ名はいかが! 或は安楽丸[#「安楽丸」に傍点]。
      ×
私は極楽蜻蛉[#「極楽蜻蛉」に傍点]だ。
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 九月十六日[#「九月十六日」に二重傍線] 雨、晴れる、曇る。

秋雨、しよう/\とふる、単衣一枚では肌寒く、手水も冷たく感じられる、火鉢がなつかしくなつておのづから手をかざすほど。
せつかくのお祭が雨で気の毒なと思つてゐるうちにだん/\雲が切れて日ざしが洩れてきた、私にはお祭も(盆も正月も)ないけれど。
秋風さらさらさら。
待つ、待つ、待つ、――来ない、来ない、来ない。
うたゝ寝していやな夢を見た、覚めてもしばらくはその情景から離れることが出来なかつた。
夢は正直だ[#「夢は正直だ」に傍点]、意識しない自分[#「意識しない自分」に傍点]をさらけだして見せてくれる、再思三省。
今夜は蚊帳を吊らなかつた、胸が切なく寝苦しい一夜だつた。
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△銭なしデー
   いつもさうだ。
△酒なしデー
   しば/\ある。
△飯なしデー
   とき/″\。
 そして最後に
△命なしデー
   さよなら!
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 九月十七日[#「九月十七日」に二重傍線] 秋晴。

身心すが/\しい、澄んだ自分[#「澄んだ自分」に傍点]が出現する。
身辺整理。
今日も来ない、今日も。――
空腹しみ/″\読書。
ひよろ/\(何しろ昨日の朝食べたきりだから)散歩する、ついでに学校に寄つて新聞を読んでゐたら、ひよつこり樹明君(何といふ幸福、実は遠慮して逢はないでゐたのだ!)、遠慮しないで米を貰ふ、酒と魚とを買つて貰ふ、後から来るといふので、庵中独酌、待つてゐる。
酒はうまいな、飯はうまいな。
三十余時間ぶりに御飯がはいつたので胃がたまげて鳴つてゐる、どうだ、うまからう。
私が――歯のない私が鮹を食べる!
今夜は私も樹明君もおとなしかつた、飲んで食べて、さよなら、万歳!
熟睡だつた、豚のやうに。
一升ぺろり、よい、よい、よいとなあ!
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   彼に与へた言葉
私がわるくなれば君もわるくなる。
君がよくなれば私もよくなる。
お互によくならう。
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 九月十八日[#「九月十八日」に二重傍線] 晴、満洲事変記念日。

宵寝をしたのであまり早起だつた。
朝空の星のうつくしさ。
身心平静、秋気清澄。
百舌鳥が出て来た。
胃の工合がよろしくない、当然すぎる当然!
昼飯を食べてから、ふと思ひ立つて湯田へ行く、椹野川を土手づたひに溯る、葦の花、瀬の音、こほろぎのうた、お地蔵さま、秋草のいろ/\、……温泉で一浴して引き返す、徃復とも歩いたが(銭がないから)、近来のよい散歩だつた。
温泉はありがたし、酒と飯とがあればいよ/\ありがたし、銭があればます/\ありがたし。
やうやく花茗荷が咲いた。
蚊帳を仕舞ふ、冬物の用意はどうぢや、質受をいそがないと風邪をひくぞ!
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三界万霊
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 九月十九日[#「九月十九日」に二重傍線] 曇。

秋風、間違なく秋風。
子規忌、子規逝いて何年、年々鶏頭は赤し。
花めうが[#「花めうが」に傍点]匂ふ、それはあまりに独善的な。
身辺整理、日記も書き改めるし、浴衣も洗濯しました。
茶の木がもうかたいつぼみを持つてゐる。
たよりいろ/\、ありがたし/\。
昼飯をたべてゐるところへNさん来訪、何もないからいつしよに近郊散策、そのまゝ別れた。
二人のなまけもの[#「二人のなまけもの」に傍点]! わるくない題号だね!
今日の散歩はNさんが青唐辛を貰つてくれた、帰庵早々佃煮にしてをく。
左の太腿が痛い(昨日から)、そろ/\ヤキがまはつてもいゝころだ。
かへつてぼんやりしてゐると、樹明君から来信、今日は御案内があるべきだらう、云々、御案内しようにも出来ませんよといふ。
酒屋が酒を持つてくる(樹明君を通してSさんから)、樹明君が下物をぶらさげてくる。
夕焼がうつくしい。
三人で飲む、食べる、しやべる、――そして、それから例によつて例の如し。
ほろ/\ぼろ/\、とろ/\どろ/\、おそくもどることはもどつた、感心々々、感心々々。

 九月二十日[#「九月二十日」に二重傍線] 曇。

朝酒がある、あれば飲まずにはゐられない私だ。
やつと来た、それを持つて街へ、昼も夜もなくなつた、彼も私もなくなつた、……一切空々寂々だつた、濡れて戻つて寝た。……

 九月二十一日[#「九月二十一日」に二重傍線] 晴。

自責の念にたへなかつた、何といふ弱さだらう、自分が自分を制御することが出来ないとは!
終日憂欝、堪へがたいものがあつた。

 九月廿二日[#「九月廿二日」に二重傍線] 秋晴。

朝、眼が覚めるといつも私は思ふ、――まだ生きてゐた[#「まだ生きてゐた」に傍点]、――今朝もさう思つたことである。
山の鴉がやつて来て啼く、私は泣けない。
身心重苦しく、沈欝、堪へがたし。
虚心坦懐[#「虚心坦懐」に傍点]であれ、洒々落々たれ、淡々たれ、悠々たれ。
午後はあんまり気がふさぐので近郊を散歩した、米と油とを買うて戻る。
樹明君は来てゐない、来てくれさうにもない、九、一九の脱線でまた戒厳令をしかれたのかもわからない。
今後は誓つて、よい酒、うまい酒[#「うまい酒」に傍点]、恥づかしくない酒、悔ゐない酒[#「悔ゐない酒」に傍点]、――澄んでおちついた酒を飲まう、飲まなければならない。
肉体――顔は正直だ、昨日今日の私の顔は私の心そのままだ、何といふ険悪、自分ながら見るに忍びなかつた。
酒屋の小僧さんが、私の生活を心配してくれる、心配しなくつたつてよいよ、どうにかかうにか食つてはゆけます!
寒山詩[#「寒山詩」に傍点]を読む、我心似秋月[#「我心似秋月」に傍点]。……
散歩して少し労れたところで晩酌をやつたので、だいぶ身心くつろいでゐるところへ、Kさん来訪、つゞいてNさん来訪、四方山話でのんびりした。
別れてから、Nさんがしんせつにも持つてきて貸して下さつた婦人公論[#「婦人公論」に傍点]を読み散らして夜を更かした。

 九月廿三日[#「九月廿三日」に二重傍線] 晴、彼岸中日。

日本晴、ピクニツク日和、まさに人生行楽の秋。
朝霧のすが/\しさ、朝の水を汲みあげると清新そのものだ。
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来るか来るかと燗して待てば
あなた来ないで酒は無くなる
待つても待つても
来てくれない曼珠沙華が赤い
[#ここで字下げ終わり]
此二章を樹明君にあげる。
秋空一碧、一片の雲なし、私もあんなでありたい。
地虫しきりに鳴く、私もあんなにうたひたい。
自己を知れ[#「自己を知れ」に傍点]、此一句に私の一切は尽きる。
大毎記者Mさん来庵、ざつくばらんに話す、私のやうなものの言動が記事の一つとして役立てば、それもよからうではないか。
午後は散歩、ついでに入浴。
矢足は椿が多い、椿の里[#「椿の里」に傍点]といつてもよからう(柿の里[#「柿の里」に傍点]といつてもよいやうに)、今日もおばあさんとむすめさんとがその実をもいでゐる、絞つて油をとるために、――好ましい田園風景の一齣。
何よりも私は自制力[#「自制力」に傍点]が欲しい。
夜はやりきれなくて街へ出かけて飲んだ、泥酔した、あさましい事実だ!
[#ここから1字下げ]
私に出来ることは二つ、たつた二つしかない――
 酒を飲むこと。
 句を作ること。
願はくは、
 わるくない酒[#「わるくない酒」に傍点]を飲むこと。
 よい句[#「よい句」に傍点]を作ること。
そしてその二つを育むものとして――
 歩くこと。
 読むこと。
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 九月廿四日[#「九月廿四日」に二重傍線] 秋晴。

弱者の悪、痴人の醜を痛感する。
思索、批判、統制が足らない、厚顔無恥、そして無能無力だ!
終日怏々。
愛想が尽きたか! 未練はないか!
甘えるなかれ[#「甘えるなかれ」に傍点]、甘やかすなかれ[#「甘やかすなかれ」に傍点]。
濁貧[#「濁貧」に傍点]! 矛盾地獄[#「矛盾地獄」に傍点]! 孤独餓鬼[#「孤独餓鬼」に傍点]!
流れるままに流れろ[#「流れるままに流れろ」に傍点]、なるやうになれ[#「なるやうになれ」に傍点]。
空は高い、私は弱い!
死ぬるまで生きてをれ[#「死ぬるまで生きてをれ」に傍点]!
現実の夢か、夢の現実か。
苦悩は踊る[#「苦悩は踊る」に傍点]!
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△反省[#「反省」に傍点]、それは弱者の唯一の武器だ。
△太陽を仰いで孤独を味ふ。
△愚人、悪人、小人、狂人、――私はそのいづれぞ。
 私は私の愚[#「私の愚」に傍点]を守らう、守りたい。
△疣[#「疣」に傍点]、瘤[#「瘤」に傍点]、癌[#「癌」に傍点]。
 どうか社会の疣でとどまりたい、瘤になつては困る、癌にはなれまい。
[#ここで字下げ終わり]

 九月廿五日[#「九月廿五日」に二重傍線] 晴――曇。

身心だいぶ落ちつく。
わがこゝろ水の如かれ、わがこゝろ空の如かれ。
午前、大毎のMさんが写真師を連れて来訪、私と庵とを写した、私といふ人間はつまらないが、萩にすすきの草屋はつまらなくはない。
庵中独坐。
曼珠沙華の花さかり、とても美しいが、その妖艶は強すぎる。
悔恨、更生、精進。……
さびしけりやうたへ[#「さびしけりやうたへ」に傍点]。
夜更けて、樹明君が酔つぱらつて転げこんだ、そして寝てしまつた、酔態あさましいものであつたが、人事ぢやない、それはまた私の姿でもあるのだ。
頭部に腫物が出来て気分がすぐれない、しかし軽い疾病は現在の私にはむしろうれしいものだ。
落ちついて睡れなかつた。
夜明けの雨となつた。
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生死も真実、煩悩も真実、苦難も真実、弱さも醜さも愚かさも真実だ。
生々死々、去々来々。
矛盾そのままの調和[#「矛盾そのままの調和」に傍点]、それが本当である、人生も自然のやうに。
観照自得の境地。
割り切れない、割り切らうとあせらな
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