い心境逍遙。
放下着――無一物――一切空。
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九月廿六日[#「九月廿六日」に二重傍線] 曇、――雨。
樹明君ぼうぜん、私はせいぜんとして。
酔中の自己について語り合ふ、そして笑ひ合ふ。
雨しとしと、その音は私をおちつかせる、風さうさう、その声もおちつかせる。
身辺整理。
茶の花が咲いてゐた(此木には気がつかないでゐた、ずゐぶん早咲である)、好きな花だ、さつそく活けて飽かず観る、純日本的のよさがある。
夕暮出かける、豆腐買ひに酒買ひに、地下足袋穿いて傘さして。
Nさん来庵、いつしよにほどよく飲んで食べて、それから歩く、ほどよく酔うて別れた、めでたしめでたし。
酒はありがたい、おかげで今夜はぐつすりと寝た。
日が短かくなつた、雨が――何物へもしみいるやうな、しみとほらないではやまないやうな雨が降りだした。
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或るおだやかな夜の自問自答
「酔ひましたね」
「酔ひました」
「歩きませうか」
「歩きませう」
「飲みませうか」
「飲みませう」
「面白いですな」
「面白いですね」
「帰りませうか」
「帰りませう」
「休みませうか」
「休みませう」
「さよなら」
「さよなら」
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九月廿七日[#「九月廿七日」に二重傍線] 雨――晴。
未明に起きてごそごそ。――
夜が長い、ああ長い。
肌寒を感じる、冬物の御用意はいかゞ!
Kよ、ありがたう、おめでたう、私のさびしさかなしさはわかるまい、わからない方がよい。
Kさん来庵。
午後出かける(これは当然必然だ)、そして例の通り、払へるだけ払つた気持はよいな、酔つぱらつた気持もわるくない。
夕方帰つて見ると、盃せん浪藉[#「浪藉」に「マヽ」の注記]、KさんとJさんとがやつてきて、飲んで、そして出かけたらしい。
うたゝねしてゐるところへ樹明君来訪、二人の酔漢がそのまゝ寝てしまつた。
天下泰平、徃生安楽国、ムニヤムニヤアーメン。
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△愚劣なる存在の一個――山頭火!
△相手のないカンシヤク[#「相手のないカンシヤク」に傍点]。
△我れ観音とならん、いや我れは観音なり、といふくらゐの自信、いや、自惚があつてほしい。
△物そのものを生かすこと[#「物そのものを生かすこと」に傍点]。
△[#ここから横組み]1+1=2[#改行]1÷1=X[#ここで横組み終わり] 人生とはかういふものか [#ここから横組み]1−1=0[#改行]1×1=X[#ここで横組み終わり]
△言葉の味
貧乏、銭なし、無一文、等々。
△後悔しない私[#「後悔しない私」に傍点]になりたい。
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九月廿八日[#「九月廿八日」に二重傍線] 晴。
樹明君悄然として出勤する、人間樹明のしほらしさは見るに忍びなかつた。
朝酒! 幸か不幸か、どちらでも構はない。
嫌な手紙を書いた、書きたくないけれど書かなければならなかつた、それを持つて駅のポストへ出かけて、そしてふら/\飲み歩いた(といつてもフトコロはヒンヂヤクだつた)、ぼろ/\になつた、とう/\また畜舎の御厄介になつた。……
九月廿九日[#「九月廿九日」に二重傍線] 秋晴。
早朝帰庵。
その日が来た[#「その日が来た」に傍点]、と思ふ。
NさんがFさんと同道して来庵、私のことが記事として載つてゐる福日紙を持つて(先日のMさんが書いたのだ)、同道して散歩、たいへん労れて戻る。
魚眠洞君の手紙はうれしかつた。
Kから新婚写真を送つてきた、それはもとより私を喜ばしたが、同時に私を憂欝にした(一昨日の結婚挨拶状と同様に)、親として父として人間として、私は屑の屑、下々の下だ!
昨日も今日も酒があり肴がある。
月のよろしさ。
いつまでも睡れなかつた。
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芭蕉……感傷
富士川の渡。
市振の宿。
蕪村……貧乏
悪妻。
一茶……執着
大福帳。
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九月三十日[#「九月三十日」に二重傍線] 晴――曇。
仲秋無月。
肌寒く百舌鳥鋭し。
沈静、読書、観賞[#「賞」に「マヽ」の注記]。――
昼食前に樹明君が来て、山口へ出張するから同伴しようといふ、一も二もなく出かける。
湯田温泉はいつでもうれしい、あてもなく歩きまはつて句を拾ふ。
そしていつしよに帰るべくバスに乗つたが、私だけはいつもの癖でどろ/\どろ/\。……
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Kへの手紙
(父と子との間)
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十月一日[#「十月一日」に二重傍線] 曇。
今夜も無月か、惜しいなあ。
夜明け近くなつて帰つて来た。……
樹明君神妙に早起して出勤、昨夜の君はいつもと違つてよかつた。……
身心すぐれず、宿酔の気味、罰だ。……
たよりいろ/\うれしかつた、Nさんからハガキを頂戴した、少女のたよりは私をまじめにしてくれる。
どうかして酒から茶へ転向[#「酒から茶へ転向」に傍点]したい。
私は飲む、浴びるほど酒を呷る、それはひつきよう空虚の苦杯[#「空虚の苦杯」に傍点]なのだ。
……私は泣いた、ひとり泣いた、何故の涙であるか、私自身にも解らない、私は私自身を笑つてやる、私のオイボレセンチを笑つてくれ、笑つてくれ。
その日のその日[#「その日のその日」に傍点]がやつて来た。……
終日終夜謹慎。
夜ふけて雨、意識が水のやう。
酒が飲みたくなくなり[#「酒が飲みたくなくなり」に傍点]、飲めなくなるやうな気がする[#「飲めなくなるやうな気がする」に傍点]、それがウソかホントウかは時日が解いてくれるだらう。
何事も自然のまゝに[#「何事も自然のまゝに」に傍点]、自然そのものであれ[#「自然そのものであれ」に傍点]。
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□石の自然[#「石の自然」に傍点]を愛す。
□茶の清寂[#「茶の清寂」に傍点]を愛す。
□A rolling Stone
□自然と自己、入我特[#「特」に「マヽ」の注記]入。
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十月二日[#「十月二日」に二重傍線] 曇――雨。
自己省察、身辺整理、清濁明暗、沈欝。
油買ひに行く(酒買ひにあらず)、路傍のコスモスが美しかつた、秋も日に日に深うなる。
……よくならうとすればするほどわるくなる[#「よくならうとすればするほどわるくなる」に傍点]、といふよりも、わるくなればなるほどよくならうとする[#「わるくなればなるほどよくならうとする」に傍点]、……真実なる矛盾である[#「真実なる矛盾である」に傍点]。……
しばらく畑仕事をしたら、草の実がくつついた。
今夜も不眠、やたらに読書した。
風が出て月は見えなかつた。
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ウソとホントウ
ウソらしいウソ[#「ウソらしいウソ」に傍点]はよい、ウソらしいホントウもよい。
ホントウらしいウソはよくない。
私はホントウらしいホントウ[#「ホントウらしいホントウ」に傍点]をいひたい。
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十月三日[#「十月三日」に二重傍線] 晴。
やうやく晴れた、今夜は月があるだらう。
野分らしく吹く。
観月会、――其中有楽。
原稿を書きつつ、自分の貧弱を痛感した。
郵便が来なかつた、さびしいことの一つ。
悔恨――哀愁――頽廃――虚無――そして――?
アルコールのない日は、酔うてゐない私は――
沈欝たへがたくなる。
待つ、待つ、待つ、――先づ敬君、それから岔水君、おくれて樹明君。
よい月でありよい酒であつた、むろんよい友である。
駅までいつしよに出かける。
さよなら、さよなら、めでたし、めでたし。
十月四日[#「十月四日」に二重傍線] 秋晴。
昨日の今日でよい日だ。
日が照る、百舌鳥が啼く、萩がこぼれる、ほどよい風が吹く、……其中一人にして幸福だ。
胡瓜を食べる、うまい/\。
わが心[#「わが心」に傍点]、水の如し[#「水の如し」に傍点]!
貧乏有閑、呵々大笑!
待つてゐた敬君が午後来訪、よい酒を飲んでバスまで見送る。
それから飲み歩いてぼろ/\どろ/\。
ぐつすり睡れた、アルコール様々だ。
留守にNさんが来て、御馳走になりました、と書き残してある。
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灯取虫よ。
お前の最後は気の毒だつた、追うても払うてもお前はランプにぶつかつて、とうたう焼かれてしまつた。
火を慕うて火で死ぬるのがお前の性だ、「汝の性のつたなきを泣け[#「汝の性のつたなきを泣け」に傍点]」といふより外ないではないか。
灯取虫よ。
お前はお前の性に随順して亡んだ。
成仏うたがひなし、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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十月五日[#「十月五日」に二重傍線] 曇。
沈欝たへがたし、昨夜の今朝だからいたしかたなし。
その日のその日のその日[#「その日のその日のその日」に傍点]がやつてきた! やつてきた!
茫々漠々、空々寂々、死か狂か、死にそこないの、この心を誰が知る!
夕方、酒が持ち来された、ほどなく樹明君来訪、しんみり飲んで別れた、よかつたよかつた。
やすらかな眠をめぐまれた。
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(五日)
・かさりこそりと虫だつたか
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十月六日[#「十月六日」に二重傍線] 晴――曇。
朝寝、沈静。
自己を清算せよ[#「自己を清算せよ」に傍点]、過去を放下せよ[#「過去を放下せよ」に傍点]、――それが[#「それが」に傍点]、それのみが私の生きて行く道である[#「それのみが私の生きて行く道である」に傍点]。
緑平老からの手紙はなつかしかつた、うれしかつた。
ぼんやり縁に坐つてゐる、――蝶がとぶ、とんぼがからむ、蜂がなく、虫がなく、木の葉がちる、小鳥がちらつく、――私の沈んだ情熱[#「私の沈んだ情熱」に傍点]がそこらいちめんにひろがつてゆく。――
雑魚のうまさ[#「雑魚のうまさ」に傍点]、雑草のうつくしいやうに。
よい酒よい飯をいたゞいた。
柿落葉の風情。
昨日も今日もたゞつつましく。
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(六日)
・おのれにこもる木の実うれてくる
・木の葉ひかる雲が秋になりきつた
・ゆふ闇はたへがたうして蕎麦の花
・明日のあてはない松虫鈴虫
・ゆふ焼のうつくしくおもふことなく
・秋の夜の鐘のいつまでも鳴る
・陽だまりを虫がころげる
・青空のした播いて芽生えた
・たゞに鳴きしきる虫の一ぴき
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十月七日[#「十月七日」に二重傍線] 曇、――晴。
早起して身辺整理。
寒くなつた、冬物の用意をしなければならなくなつた。
ほうれん草を播く、大根がもう芽生えてゐる、生れるもの、伸びるもののすがたはうれしい。
午後、四日ぶりに街へ、石油買うて、一杯ひつかけて、雑魚をさげて戻る。
暮方近くNさん来庵、職を持たない人の不安と弛緩とがよく解る。
夜は婦人公論[#「婦人公論」に傍点]を読む、二・二六事件[#「二・二六事件」に傍点]の記録が胸深く徹えた、そこには頭の下る純真があつたのだ。
今夜も不眠だ、呪ふべき私自身をあはれむ。
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(七日)
・くもりおもたい木魚をたたく
・草刈るや草の実だらけ
・落葉するする柿の赤うなる
・ぶらぶら熟柿の夕焼
・ばさりと落ちて死ぬる虫
・更けるほどに月の木の葉のふりしきる
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□よい酒を飲めるやうになる自信はないけれど、よい句は出来ないこともあるまいといふ自惚は持つてゐる。
□自分の句について考へる――
私は私をうたふ、自然をうたふ。
人間性[#「人間性」に傍点]をうたひ、自然の調和[#「自然の調和」に傍点]をうたふ。
人間に眼醒めしめ、自然を味はせたいのである。
□人間としての樹明[#「樹明」に傍点]について考へる――
彼は文芸を解し、酒を解してゐる、それだけで幸福であり、不幸でもある。
□幸福と不幸とは垣一重である。
神と悪魔とは裏表だ。
地獄の底が極楽。
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