十月八日」に二重傍線] 晴――曇。

朝寒、火鉢がこひしくなつた、朝月もつめたさうだ、まともに朝日があたたかく、百舌鳥の声が澄んできた。
自己省察、その一つとして、――こんどの旅は下らないものであつたが、よい句は出来なかつたけれど、句境の打開[#「句境の打開」に傍点]はあると思ふ、生れて出たからには、生きてゐるかぎりは、私も私としての仕事をしなければならない、よい句[#「よい句」に傍点]、ほんたうの句[#「ほんたうの句」に傍点]、山頭火の句[#「山頭火の句」に傍点]を作り出さなければならないと思ふ、私は近来、創作的昂奮[#「創作的昂奮」に傍点]を感じてゐる、私にもまだこれだけの芸術的情熱[#「芸術的情熱」に傍点]があるとは私自身も知らなかつた、――私は幸にして辛うじて、春の泥沼[#「春の泥沼」に傍点]から秋の山裾[#「秋の山裾」に傍点]へ這ひあがることができたのである。
シロがやつてきてうろ/\してゐる、彼もまた不幸な犬だ、鈍にして怯なること私に似てゐる。
午後、ともすれば滅入りこむ気分をひきたてて、秋晴三里の郊外を歩いて山口へ出かける、椹野川風景も悪くない、葦がよい、花も葉も、――いろ/\買物をして、湯田で一浴して帰つた、机上のノートに書き残して置いや[#「いや」に「マヽ」の注記]うに、間違なく暮れる前に!
帰ると直ぐ水を汲む、米を磨ぐ、お菜を煮る、いやはや独り者は忙しいことだ。
ゆつくりと晩飯、おいしいな、ちよいと一杯ほしいな。
留守中誰も来なかつたらしい。
ほんたうに好い季節だ、もつたいないほどの秋日和だ。
意識が冴えて剃刀のやうだ、そして睡れない、この矛盾が私を苦悩せしめる、ホンモノでないからだ。
古雑誌を読む、芥川龍之介の自殺について小穴隆一が書いてゐる、考へさせられる問題だ、古くして新らしい問題だ、それは人間そのものの問題[#「人間そのものの問題」に傍点]だ。
今日の幸福[#「今日の幸福」に傍点]は千人風呂にはいつて、そして一杯ひつかけたことであつた、うれしくもあり、さびしくもあつた。
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   今日の買物――
一金六銭 揚豆腐二つ  一金六銭  野菜種子
一金弐銭 葱一束    一金三十銭 番茶半斤
一金九銭 味噌百目   一金五銭  古雑誌一冊
   外に
一金五銭  入浴料
一金弐十銭 酒二杯
一金十銭  バス代(湯田まで歩いて、また上郷から歩く)
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やつぱり酒がいちばん高い、酒を飲まないと苦労はないのだけれど、しかし、たのしみもないわけだ。
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□自己の単純化[#「自己の単純化」に傍点]。
 何よりも簡素な生活[#「簡素な生活」に傍点]。
□今日の太陽[#「今日の太陽」に傍点]!
□自画像[#「自画像」に傍点]
 句集の題名として悪くないと思ふ、平凡なだけ嫌味はない、私の句集にはふさわしいであらう。
□秋の山、秋の雲、秋の風、秋の水、秋の草――秋の姿が表現する秋の心[#「秋の姿が表現する秋の心」に傍点]。
 松茸[#「松茸」に傍点]よ。
 秋を吸ふ、食べる、飲む。
 秋を味ふ、秋の心に融ける。
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(八日)
・晴れきつて大根二葉のよろこび
・柿の葉のちる萩のこぼるること
・秋晴の馬を叱りつ耕しつ
・蕗の古葉のいちはやくやぶれた
・月夜ゆつくり尿する
・播かれて種子の土におちつく
・風が枯葉を私もねむれない
   (山口吟行)
・細い手の触れては機械ようまはる(工場)
・秋草のうへでをなごで昼寝で
・秋風の馬がうまさうに食べてゐる
・とんぼうとまるや秋暑い土
・みのむしぶらりとさがつたところ秋の風
・お父さんお母さん秋が晴れました(ピクニツク)
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 十月九日[#「十月九日」に二重傍線] 晴。

身心やうやくにして本来の面目[#「本来の面目」に傍点]にたちかへつたらしい、おちつけたことは何よりうれしい。
午前、鉄道便で小さい荷物がきた、黙壺君からの贈物であつた、福屋の佃煮、おかげで御飯をおいしくいたゞくことができる、ありがたし。
秋をたたへよ、秋をうたへよ、秋風日記[#「秋風日記」に傍点]を書き初める。
痔がよくない、昨日歩いたからだらう、痛むほどではないけれど、気持が悪い。
昼飯は久しぶりにうまい味噌汁。
何といふしづかさ、純愛の手紙[#「純愛の手紙」に傍点]といふのを読む、彼の純な心情にうたれる。
午後は畑仕事、蕪、大根、新菊などゝ播くものが多い。
夕方出かけて一杯ひつかける。
夕餉するとて涙ぽろ/\、何の涙[#「何の涙」に傍点]だらう。
何となく寝苦しかつた、おちついてはゐるけれど。――
ぐうたら、のんべい、やくざ。……
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(九日)
・うれしいことでもありさうな朝日がこゝまで
・はたしてうれしいことがあつたよこうろぎよ
・飛行機はるかに通りすぎるこほろぎ
・つめたくあはただしくてふてふ
・ひつそりとおだやかな味噌汁煮える
・百舌鳥もこほろぎも今日の幸福
・水をわたる誰にともなくさようなら
・月の澄みやうは熟柿落ちようとして
・酔ひざめの風のかなしく吹きぬける(改作)
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 十月十日[#「十月十日」に二重傍線] 晴――曇。

けさも朝月がよかつた。
小猫でも飼はうかなどゝ思ふ(犬も悪くないけれど私にはとても養ひきれない)、こんなことを考へるのは年齢のせいか、秋だからか、とにかくペツトが欲しいな。
平静、しづかに読み、しづかに考へる、時々オイボレセンチを持て余す、どう扱つたらよからうか。
松茸で一杯二杯三杯やりたいなあ、あの香、あの舌触、ああやりきれない!
こんな句を見つけた――
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老いぬれば日の永いにも涙かな  一茶
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さつそく、附きすぎる句を附ける――
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夜ルも長くてまた涙する  山頭火
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同老相憐むとでもいはう。
たよりいろ/\ありがたし、それにつけても、私の方からあげなければならないたよりであげずにあるたより、たとへば秋君へのそれのやうなのがある、それを考へると胸がいたくなる、決してなほざりにしてゐるのではないが、あげられないのだ、あげたいあげたいと念じながらあげることが出来ないのだ!
今日も小包、長野の北光君から、信濃の春をおもひだす、一昨日は伊豆の一郎君から小包を受取つて、今春の会合をなつかしんだが。
第二日曜[#「第二日曜」に傍点]十月号、はつらつとしてたのもしい、音律論がまた問題になつてゐる、俳句のリズム論はずゐぶん、むつかしい問題であるが、それを理論づける[#「理論づける」に傍点]人は別にある、私はそれを実行づけ[#「実行づけ」に傍点]なければならない。
とにかくぼんやりしてはゐられない、勉強することだ。
心の中で或る人に詑びる、――友としてのすまなさよりも人間としての恥づかしさ[#「人間としての恥づかしさ」に傍点]を私は痛感してゐます。
郵便物を持つて街へ、そして米を買へるだけ買ふ、そして一杯やりたいが、今日はダメダメ!
私には仏道修行[#「仏道修行」に傍点]はとても出来ないが(仏弟子としての面目まるつぶれだ)俳諧修行[#「俳諧修行」に傍点]なら出来る、現に日夜それに全身全心をうちこんでゐる、俳諧修行もまた仏道修行の一つとはいへないだらうか[#「俳諧修行もまた仏道修行の一つとはいへないだらうか」に傍点]。
何物をも粗末にしない私が、なぜ、酒を粗末にするのだらうか、つつましい私であつて、しかも私自身をないがしら[#「ら」に「マヽ」の注記]に扱ふのは何故であらうか、酔中の私[#「酔中の私」に傍点]を考へると泣きたくなる。
近隣の子供たちが林の中でばさ/\栗の木をたたいてゐる、栗の実は拾ふべきもの[#「栗の実は拾ふべきもの」に傍点]で、もぐものではないと思ふ。
柿はもぐべきもの[#「柿はもぐべきもの」に傍点]、たゞし熟柿は落ちる!
ゆふべのしめやかさが自分について考へさせる、――愚に覚めて愚を守れ[#「愚に覚めて愚を守れ」に傍点]、生地で生きてゆけ[#「生地で生きてゆけ」に傍点]、愚直でやり通せよ[#「愚直でやり通せよ」に傍点]、愚人の書でも綴れ[#「愚人の書でも綴れ」に傍点]。――
昨日今日またぬくうなつた、浴衣一枚でもよかつた。
樹明君に対して何となく不安を覚える、数日前、日記と句帖とを無理借されて、其後音沙汰なしが、その一因でもあるが、酒を飲んだ君は信用出来ない、君が好人物であるだけ惜しい。
夜、枕許へこほろぎがやつてきた。……
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(拾日)
・郵便が来てそれから柿の葉のちるだけ
・播きをへてふかぶかと呼吸する
・昼ふかく落葉に落葉が落ちては
・鳴いて鳴いてこほろぎの恋
・何おもふともなく柿の葉のおちることしきり
・ぢゆうわうにとんだりはねたり蝗の原つぱ
・もろいいのちとして手のしたの虫
・柚子の香のほの/\遠い山なみ
・砂ほこりもいつさいがつさい秋になつた
・生きてはゐられない雲の流れゆく
・明日は死屍となる爪をきる
・捨てたをはりのおのれを捨てる水
・眼とづれば影が影があらはれてはきえる
・水音のとけてゆく水音
・死へのみちは水音をさかのぼりつつ(改)
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□正しく[#「正しく」に傍点]、たゞ正しく[#「たゞ正しく」に傍点]、そこから美しさも清らかさもすべて生れてくる。
□古きものほど新らしきはなし[#「古きものほど新らしきはなし」に傍点]、真理は平凡なり[#「真理は平凡なり」に傍点]、例へば、私たちはいつでも真実[#「真実」に傍点]でなければならない、真実に生きなければならない。
 問題は真実の内容[#「真実の内容」に傍点]にある、真実であることに間違はないが、何が真実であるか、現代に即して自我の発露はどうすれば真実であるか。
 いかに考へ、いかに行ふべきであるか。
 いひかへると、真実の表現は何であるか[#「真実の表現は何であるか」に傍点]。
□托鉢して、そして仏弟子として修行しないならば、それは一種の詐偽取財[#「詐偽取財」に傍点]だ。
 行乞して、物資を費消するならば、それも一種の搾取[#「搾取」に傍点]だ。
 仏家として仏道に精進しないならば、背任行為[#「背任行為」に傍点]ではないか!
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 十月十一日[#「十月十一日」に二重傍線] 晴、空の色がはつきりしないけれど。

沈潜、自己を掘り下げることが今の私の仕事だ。
Jさんの子供が柿もぎに来た、今年はこゝの柿はあまりなつてゐない、よそのはたくさんなつてゐるのに。
今日は誰か来さうなものである、来てくれるとよいな、と思つてゐるところへ樹明君が来た、よかつた、よかつた、安心した(私の予感があたらないでもなかつたらしい、先日来、酒のために悩まされたといふ)、御飯を食べてから、君は沙魚釣に、私はポストへ。
今日も品行方正!
午後、T酒店の主人が空罐拾ひに来て閑談しばらく、先日の新聞記事が利いてるらしい。
秋を味ふ、眼で柿を食べる[#「眼で柿を食べる」に傍点]。……
がちやがちやがまだ鳴いてゐる、鈴虫があちらで一匹、こちらで一匹、おとなしくさびしく鳴く。
どうも寝苦しい、やつと寝つくと悪夢におそはれる、詰らないことである。
過去は過去、未来は未来、後悔するな、遅疑するな、現在を十分に生きろ[#「現在を十分に生きろ」に傍点]!
第一山頭火、第二山頭火、第三山頭火。――
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   「秋風日記」
○播くもの――宮重大根、聖護院大根、ころげ蕪、新菊、ほうれん草(ワケギを植ゑる)。
○秋を味ふ――酒と松茸。
○風、月、草、虫。――
○蚯蚓つぶやいて曰く――俺の寝床の平和をみだすのは誰だ!
 こほろぎはさゝやく――こゝはわたしの産褥ですよ。
 雑草曰く――もうぢき枯れるんだ。
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(十日)
・にぎや
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