かに柿をもいでゐる
・もがれたあとの柿の木のたそがれ
・散つてゐる花のよろしさがかたすみに
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作家の発展過程
第一段階、芸術殿堂建設(初歩の)。
第二段階、芸術の現実化。
第三段階、現実の芸術化[#「現実の芸術化」に傍点](自己創造へ)。
第四段階、芸術の境地実現(究竟の)。
(自己完成[#「自己完成」に傍点])
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十月十二日[#「十月十二日」に二重傍線] 曇。
日中は晴れたり曇つたり、夜に入つてしぐれる音か、落葉する音か、いづれ雨は近いだらうが、それがむしろ望ましいが、なか/\かたい天候である。
落ちついて、さうだ落ちついて、ひとりで、そしてひとりで、よろしいな。
枇杷の枯枝をかたづける、この一木がことしの冬の焚付を保證してくれる、ありがたい。
ゐのこつち草――ぬすと草の実のねばりつよさよ。
午後は近郊散策、私の好きな石蕗が咲いてゐた、龍膽はたづねあてなかつた、野も山もところ/″\紅葉してゐる、百姓は田畝でいそがしく、たいがい留守であつた。
山の木、野の草を活ける、楽しみはこゝにもある。
自転屋[#「転屋」に「マヽ」の注記]の主人Jさん、つゞいて酒屋の主人Mさんがやつてきて四方山話。
今日でサケナシデーが三日つゞく、飲みたいのをぐつと抑へて、――つらいね!
今日はじめて熟柿を食べる(歯のない私は熟柿しか食べられない)、何といふ甘さ、それは太陽そのものの味であらう。
今夜も寝苦しかつた。……
(昭和十一年十月十二日午前十時記す)
――所詮、私は私の道[#「私の道」に傍点]に精進するより外はないのである、たとへ、その道は常道でなくとも、また、難道であつても、何であつても、私は私の道を行かざるを得ないのである。
句作道[#「句作道」に傍点]、――この道は私の行くべき、行き得る、行かないではゐられない、唯一無二の道[#「唯一無二の道」に傍点]である。
それは険しい道だ、或は寂しい道だ、だが、私は敢然として悠然として、その道に精進する。
句作が私の一切となつた[#「句作が私の一切となつた」に傍点]、私は一切を句作にぶちこむ[#「私は一切を句作にぶちこむ」に傍点]。
私は我儘である、私は幸福である、私は貧乏である、私は自由である、私は孤独である、私は純真である。
私は飛躍[#「飛躍」に傍点]した、溝を飛び越した、空も地もひろ/″\として、すべてが美しい。
よろこびか、かなしみか、よろこびともいへようし、かなしみともいへよう、しかし、私はそれ以上のもの[#「それ以上のもの」に傍点]を感じる。――
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□苦しみがなければ喜びもない、――これが人生の相場である、そして苦しみと喜びとの度合は正比例する、苦しみがはげしければはげしいほど、喜びもつよいのである。
苦しんで喜ぶか、はげしく苦しんでつよく喜ぶか、苦しまず喜ばず、無味に安んずるか、どちらでもよろしい(後者は実際がなか/\許さない)。
苦悩悲喜を超越したところが禅門の悟だ、煩悩具足の我々であるけれど、その煩悩に囚へられないやうになるのが仏道修行である。
□現象と表象[#「現象と表象」に傍点]。
事象(自然人生)を現象として実験し分析し研究するのは科学者、それを綜合的に表象として表現するのが芸術家だ、芸術は人を離れて、即ち作者を没しては意味をなさない。
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柿の葉[#「柿の葉」に白三角傍点]
私の句集をかう名づけてもよからうではないか、柿の実でもない、柿の木でもない、柿の葉である。
私の好きな葉である。
柿膓[#「柿膓」に傍点]、柿の帶[#「柿の帶」に傍点]といふやうな書名は知つてゐるが。
私の句集には柿の葉[#「柿の葉」に傍点]がふさはしい。
我が心柿の葉に似たり[#「我が心柿の葉に似たり」に傍点]。
梅干の味[#「梅干の味」に白三角傍点]
私は梅干の味を知つてゐる。
孤独が、貧乏が、病苦が梅干を味はせる。
梅干がどんなにうまいものであるか、ありがたいものであるか。
病苦に悩んで、貧乏に苦しんで、そして孤独に徹する時、梅干を全身全心で十分に味ふことが出来る。
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十月十三日[#「十月十三日」に二重傍線] 晴。
朝曇が日の昇るにつれて晴れわたつた、暑からず寒からず、ほんたう好い季節ではある。
[#天から2字下げ]「秋ふかしよくぞ日本に生れける」
我が心は秋の水の如し!
朝からポンポン狼火の音、ハテ、演習かな、運動会かな。
風が出て柿の葉がしきりに散る、柿の葉が散りしいてゐる風景はわるくない。
生地を磨く[#「生地を磨く」に傍点]、磨いて磨いて[#「磨いて磨いて」に傍点]、底光りするまで磨く[#「底光りするまで磨く」に傍点]、――さういふ俳句を私は作りたい[#「さういふ俳句を私は作りたい」に傍点]。
酒乱清算の機縁が熟したと思ふ(私の場合では酒乱[#「酒乱」に傍点]といふよりも酒狂[#「酒狂」に傍点]といふべきだらう)。
今日も午後は近郊散策、形あるものがくづれる姿を見た、……途中、シヨウチユウ半杯が腹の虫をごまかした。
婦人公論[#「婦人公論」に傍点]を読む、なか/\面白い、私はその実話[#「実話」に傍点]や告白[#「告白」に傍点]から(それが真実のものであるかぎりは)、教へられ考へさせられることが多い。
「おさびしいでせう」と訪ねて来た人がしば/\いふ、さうです、さびしくないことはない、しかしさびしい以上によいもの[#「さびしい以上によいもの」に傍点]があります、どちらもよいことは世の中にありませんからね、私は社会の例外[#「社会の例外」に傍点]として存在してゐるのです、私だけにはかういふ生活態度も生活様式も自然で当然で、必然でもありますが、例外は飽くまでも例外ですよ、と私は答へる。
空は高く地は広く、山も水も草も美しい、私は幸福だ[#「私は幸福だ」に傍点]、生きられるだけは生きよう[#「生きられるだけは生きよう」に傍点]。――
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火!
毎朝、起きるとすぐ竈の下を焚きつける、ちろちろと燃える、燃えあがる。
うつくしい、ありがたい。
火の尊厳美[#「火の尊厳美」に傍点]をたたふ。
天地悠久を感じる。
自然の恩寵を感じる。
万物の流転を感じる。
感じることは事実だ[#「感じることは事実だ」に傍点]。
見るよりも聞くよりもたしかな事実だ。
触れること[#「触れること」に傍点]がたしかな事実であるやうに。
今日の幸福[#「今日の幸福」に傍点]。
今日の感謝。
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十月十四日[#「十月十四日」に二重傍線] 快晴。
申分のない秋日和、松茸が食べたい。
私が昨年来特に動揺してゐたのは、老年期に入る動揺[#「老年期に入る動揺」に傍点]のためであつたと思ふ、不安、焦燥、無恥、自暴自棄、虚無、――すべてがその動揺から迸つたのだらう、そしてそれに酒が拍車をかけた、私の激しい性情が色彩を濃くした、……しかしそれも過ぎてしまつた、私は今、嵐の跡[#「嵐の跡」に傍点]に立つてゐる。
たより/\いろ/\、緑平老は十八日に来庵してくれるといふ、待つてゐる、俊和尚は熊本から熊本の悪夢を思ひださせるやうに書いてよこす、困るね、リンゴは有一君の人間のよさをそのまゝ現はしてゐる。
しづかにしてなつかしく、といつたやうな気分だ、だが、私にも私としてのなやみがありなげきがある、それがだん/\「もののあはれ」といつたやうな情緒になりつつあるが。
私は俳句に対して monomania だ、それでよろしい。
Sweet solitude ! それがなくてはかういふ生活はつづけられない。
無理のない、こだはりのない、ゆつたりとしてすなほな身心が望ましい、欲しい。
米がなくなつた(銭はもとよりない)、ハガキが百枚ばかりある、それで何とかならう。
夕方やりきれなくなり、街へ出かけてハガキを酒に代へる、ハガキ酒はよかつたね、ほどよく酔うた、さるにても酒飲根性のいやしさよ。
学校の給仕さんが呼びに来た、樹明君宿直といふ、さつそくまた出かける、御馳走になつてそのまま泊る、少々飲みすぎて少々あぶなく少々寝苦しかつた。
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□自分の本分[#「自分の本分」に傍点]を知れ。
自分の塔[#「自分の塔」に傍点]を築きあげよ。
□あたりまへのもの、すなほなもの、ありのままのもの[#「ありのままのもの」に傍点]。
さういふものを私は尊ぶ。
□孤独《ヒトリ》はうたふ。
私の俳句はさういふうたの一つだ。
×
空談閑語[#「空談閑語」に傍点]。
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十月十五日[#「十月十五日」に二重傍線] 晴。
早起帰庵、何と好い秋日和。
留守中にNさんが来たらしい、すまなかつた。
少々胃の工合がよろしくない、迎酒として昨夜の残りものを飲む、壁のつくろひはやつぱり泥だといひます!
待つもの[#「待つもの」に傍点]来ない、だいたい待つといふ気持がよろしくない、私にあつては。
洗濯、これはあまり自慢にはならない。
午後、散歩、入浴、学校に寄つて、新聞を読み米を貰うて戻る、樹明君、まことにありがたう。
夜、Nさん来訪、しばらく雑談。
割合によく眠れた。
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私の一生[#「私の一生」に白三角傍点]
更年期の苦悶――老年期へ入る不安。
動揺焦燥も解消した。
老境[#「老境」に傍点]。
私の前半生はこゝに終つた、後半生はこれからである。
山頭火の真骨頂は今後に於て発揮せられるだらう[#「山頭火の真骨頂は今後に於て発揮せられるだらう」に傍点]。
一日一日、一句一句、一歩一歩。
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十月十六日[#「十月十六日」に二重傍線] 晴、お天気がようつづく。
このごろの飯のうまさよ、飯そのもののうまさだ[#「飯そのもののうまさだ」に傍点]。
一粒の米にも千万無量の味が籠つてゐる、まことに粒々辛苦、ああ、お米[#「お米」に傍点]のありがたさよ。
何もお菜がないから、けふもシヨウユウライス!
おもひがけなく、S子さんと彼女の友達とがM老人に案内されて来てくれた、まつたくもつて珍客来[#「珍客来」に傍点]だ、おかまひは出来ないが、渋茶を飲んだり熟柿を食べたりして貰ふ、むろん雑草風景は十分に味つて貰ふ。
三人打ち連れて、駅前のH食堂へはいる、私は酒と刺身と焼松茸とを御馳走になる(世はさかさまとなりにけりだ)、松茸は初物、おいしかつた。
それからが少々いけなかつた、例の如く彷徨した、少々みだれた、……五時頃帰庵、誰か来たらしいと思つたら、Nさんが昨夜話しあつた約をふんで、釣つた沙魚十数尾を持参してくれたのだつた、さつそく料理して、うまい夕飯を食べた。
暮れて樹明君来庵、ほろ酔機嫌でニコ/\してゐる、今日の私の行動をもうチヤンと知つてゐる、明後日の緑平老歓迎のことを話しあつて、めでたくさよなら。
Y夫人の急死を聞かされたとき、私の身心はドキンとした、手当は十分行き届いたのだらうけれど、何しろ尿毒症の激発ではどうにもならなかつたらしい、ああ、ああ、Y主人の悲嘆が思ひやられる、彼女は私の酔態をよく知つてくれてゐた、彼女の面影が眼前に彷彿して、無常観[#「無常観」に傍点]をそそつてたまらなくなる。……
アルコールのおかげで、ぐつすり寝た、飲みすぎ食べすぎで腹工合はよくないが。
事の多い、感慨の深い一日だつた。
十月十七日[#「十月十七日」に二重傍線] 晴。
神嘗祭、よい休日。
おちつけ、おちつけ、おちついて、おちついて。――
昨日の御飯に昨夜の沙魚、うまいうまい、Nさんありがたうありがたう。
ちよつとそこらを散歩しても、秋の楽園。
午後、ポストまで、大根一本三銭。
刈田の蓼紅葉のうつくしさ、草紅葉は好きだ。
シヨウガの風味、シソの実の風味、それも秋の風味[#「秋の風味」に傍点]。
歩くと暑い暑い、帰るとドテラを脱いで浴衣一枚、涼しい
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